六節 「見覚えのある光景」 

 朝になり、孤児院の皆が目を覚まし始めた。ウィ―ダムは中庭から洗濯ものを回収し、部屋に戻って寝巻きを着替えてから食堂に移動していた。今朝の食事担当はパトリックである。




「ジョエル~少し離れてください。準備ができません」




「へへ~いいじゃん」




「よくありません」




 中庭で水浴びを終えてから、ジョエルはずっとウィ―ダムにぴったりくっついていた。廊下を歩いている最中も、皆と朝の挨拶をしている時も。そして今、朝食の準備をする手伝いのため台所でウイ―ダムが包丁を握ろうとしても、彼は離れようとしなかった。


 無理矢理くっついてきているのであれば対処はいくらでもできるのだが、ジョエルは器用にも、ウィ―ダムの行動の邪魔にならないよう気をつけながらぴったりくっついているのであだ。 彼は何も邪魔をしていないのに、ウィ―ダムが離れてくれるよう要求するのには理由があった。周りの目が気になるのである。昨晩のことを知っているのは二人しかいないし、今朝からずっと一緒にいるのだからジョエルが誰かに話した可能性もないのだが、それでもウィ―ダムは心配であった。




「怪我しますよ」




「んふ~」




 ジョエルはウィ―ダムの意見を聞き入れず、ぞれどころか満足そうな表情で息を吐いていた。




「朝ごはんいらないんですか? それとも私に何も食べさせないつもり?」




 ウィ―ダムは少し厳しい口調で言った。ジョエルはどこ吹く風で答えた。




「朝ごはんは食べるよ。でも今はこのままでいたい」




「わがまま言わないでください。ジョエルの分だけじゃなくて、みんなの分も作らないといけないんですから」




 ウイ―ダムは振り返ってジョエルと向き合った。ジョエルが離れようとしないから、二人の距離は鼻が当たってしまいそうなくらい近づいた。




「また後で遊びましょう。ね?」




「ん~」




 ジョエルは納得していない様子でウィ―ダムを見つめた。彼としてはもっと、できることなら一日中でもそばにいて、ウィ―ダムを堪能したかった。しかし、こうも困った表情をされると罪悪感が大きくなってくる。




「じゃあ、ごはん食べた後遊ぼうね」




 ジョエルは両手でぎゅっとウィ―ダムの手を握って言った。ほんの十分程度離れるだけだが、彼にとってはこれでも苦肉の策だった。




「ごはんの後はお祈りの時間ですよ」




 ウィ―ダムはジョエルに言い聞かせた。




「じゃあその後!」




「その後は、町に行く準備をしないと」




「やーだー!」




 こんなにも駄々をこねる子だったろうか。ウィ―ダムは頬を膨らませ足踏みをするジョエルを見ながら考えた。昨日まではこうではなかった。甘えん坊ではあったが、いつも周りをしっかり見ていて、よく仕事を手伝ってくれる利口な子だった。しかし今は、まるで幼子のようではないか。




(やっぱり、昨晩のことがきっかけだろう)




「ジョエル、あまりわがままを言わないでください……」




 何を言えばジョエルが分かってくれるのかウィ―ダムが悩んでいると、二人の様子を見かねたのか食事側の入り口からハニーが台所に入ってきた。




「果物切るだけだし、ボクがやっとくよ~」




「本当ですか、助かります。ハニー」




 ウィ―ダムに声をかけたのは、今年で十五歳になるハニーだ。彼は女性のような整った顔立ちと、これまた女性のような高い声を持っている。さらに抜群のプロポーションも持ち、町では男性からも女性からも好かれている人気者である。




「しっかしいつにもましてべったりだね~。何かいいことでもあったの?」




 少しぎこちなくナイフを扱いながらハニーが言った。ジョエルがふふんと鼻を鳴らした。




「あったよ!」




「気になるな~」




「えっとね……」




 ハニーに聞かれたことで、ジョエルはとても上機嫌になっていた。




「ジョエル」




 ウィ―ダムは昨晩のことを話さないようジョエルに目で訴えた。ジョエルは一瞬顔をしかめた後ハニーに向き直った。




「……秘密!」




「秘密って言われるとますます気になるなぁ」




 ハニーはウィ―ダムにじとりと視線を向けた。ジョエルは単純な性格であるが、ウィ―ダムから言いつけられたことはよく守るのである。であるならば、関係してそうなウィ―ダムに直接的聞いた方が早いだろうとハニーは考えた。




「教えてよ~ウィ―ダム」




「え、私ですか。私は関係ないですよ?」




 ウィ―ダムは露骨に目が泳いでいた。本人は誤魔化したつもりであったが、ハニーにはバレバレである。ジョエルは何食わぬ顔でウィ―ダムの柔らかさを堪能していた。




「関係なかったらそんなにべったりじゃないでしょ」




「え~っと、昨日久しぶりに一緒に寝たからでしょうかね。ジョエルは甘えん坊ですから」




(一緒に寝たことくらいなら言っても大丈夫だろう。リトリーが話すかもしれないし)




「それだけ?」




 ハニーはウィ―ダムの言葉を疑っていた。どうにも、というか明らかにウィ―ダムの態度が変に怪しいのである。ジョエルもウィ―ダムに何か言われて口を閉じたようだったし。ハニーは自分が仲間外れにされているようで気分が良くなかった。




「ええ、それだけですよ」




「ふーん」




 お腹を空かせたコルトが台所に入ってきて言った。




「先生、ごはんまだ?」




「すぐ持っていきますよ」




 パンの入ったかごを持つと、ウィ―ダムは肩にしがみつくジョエルを引きずりながら台所を出て行った。その後ろ姿を、ハニーがじとりとした目で見ていた。コルトは果物をつまみ食いしていた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 孤児院の今朝の献立は、パンと野菜のスープに、新鮮な果物とシンプルな食事である。




「今日は何する?」




 出されたばかりのスープをあっという間に飲み干してコルトが言った。隣に座るリトリーは、まだ一口パンをかじっただけである。


 リトリーは少し考える素振りを見せてから言った。




「今日は、お父さんの仕事手伝おうかな」




「えーそんなのつまんねえよ。町で遊ぼうぜ?」




 コルトは椅子の上で足をパタパタと揺らした。リトリーは彼に呆れたような表情を向けた。




「町にはこの前行ったばかりでしょ? コルト、おこづかい使い切ったのに何しに行くのさ」




「え、全部使ったっけ……」




 コルトがウィ―ダムに顔を向けた。




「先生、俺も先生の仕事手伝うよ!」




「ありがとうございます」




「その代わりさ……」




「おこづかいは今月の分もう渡したでしょう?」




「そんなー!」




 コルトは毎月のように追加のおこづかいをウィ―ダムにねだる。ウィ―ダムは少なくない量を毎月渡しているのだが、コルトはすぐにおかしや遊び道具に使ってしまうのである。


 ウィ―ダムがコルトに言い聞かせた。




「コルトは欲しい物があったらすぐに買ってしまうでしょう? まずはその癖を直して、計画的に使うようにしなさい」




「でも、おこづかいって欲しい物を買うためにあるんだろ? だったらすぐになくなっちゃうのもしょうがないよな」




 詭弁である。




「その考えだと、本当に欲しい物を見つけた時、おこづかいが足りなくて買えないってことになるかもしれませんよ。リトリーを見習ってください」




 ウィ―ダムは果物をかじりながら言った。隣ではジョエルがまだ腕に抱きついている。




「リトリーは無駄遣いせず、毎月おこづかいを貯めてるんですよ。何か欲しい物があるのか知りませんが、とてもえらいことです」




 リトリーはウィ―ダムに褒められたのが恥ずかしいのか、下を向いたままもそもそとパンを食べていた。コルトが頭を傾けてその顔を覗き込んだ。視線が合うと、リトリーはすぐに顔を上げた。




「何か欲しい物あるのかよ。宝石とかか?」




 リトリーは首を振った。彼の欲しいものはもっと、抽象的なものなのである。




「じゃあ何が欲しいんだよ~」




 コルトがリトリーの肩を意味もなく揺さぶった。




「もしかして、旅行にでも行きたいのですか?」




 ウィ―ダムの質問にリトリーは首を振って返事をした。




「行きたくない」




「なら、剣が欲しいとかですか? ライアンが立派なもの持ってますからね」




「剣は別に欲しくないよ」




「ということは、アレだね」




 ウィ―ダムの向かいの席に座っていたハニーが、目を輝かせながら身を乗り出して言った。




「おしゃれしたいんでしょ!」




「おしゃれ?」




「おしゃれですか?」




 ウィ―ダムとコルトの声が重なった。ハニーが自信ありげに指を立てて説明しだした。




「リトルももう7歳だもんね。おしゃれしたくなる年頃だよ」




 ハニーはリトリーの心情を理解しているつもりであった。


 コルトがスプーンをくわえながらわざとらしく肩をすぼめた。彼にとっておしゃれとは程遠い物である。




「おしゃれだって。女じゃねえんだからんなもんいらねぇだろ」




 ハニーは大げさに両手を広げた。ハニーにとっておしゃれとは、素晴らしい人生を送る上で絶対に欠かせないアクセント、もしくはそれ以上のものなのである。




「そんなことないさ、孤児院のみんなが自分の服装に興味なさすぎるんだよ。コルトも、リトルも、ウィ―ダムも!」




「私もですか」




 ウィ―ダムはパンを口加えたままもごもごと言った。実際彼は服飾に対して欠片の興味も持っていない。最低限服としての機能を持っていて、普通に着れたらそれでいいだろうという考えである。もちろん、だからといって子供達にみじめな格好をさせることはないが、ウィ―ダムの影響でおしゃれに興味を持つのは、この孤児院内ではハニーだけである。男所帯ということも影響しているであろう。


 ハニーはこの世の終わりのような顔をしてウィ―ダムに詰め寄った。




「そうだよ、だってなにさその格好! ディーンの服じゃん!」




「他に着れるものがありませんでしたから……」




 ウィ―ダムは昨日からずっとディーンに借りたズボンとシャツを着ている。前の服だと大きすぎたし、リトリー達年少組の服だと小さすぎたからだ。誰にも言わなかったが、ウィ―ダムはこのシャツ神父服と比べて楽に着れていいなと思っていた。できるなら、男の体に戻ったあともシャツで過ごしていきたいくらいである。




「その服だってサイズ合ってなくてぶかぶかだし……もったいないよウィ―ダム! もっとおしゃれしようよ」




 ハニーはさらに身を乗り出した。彼はどうしてもウィ―ダムを着せ替えて遊びたいのである。これまで孤児院には男しかいなかった。だからといって町の女性を着替えさせるわけにはいかないし、ハニーのモデルになるのは自分自身しかいなかった。つまりハニーはおしゃれに対して欲求不満なのである。




「せっかく女の子になったんだからさ! 町でかわいい服買って、みんなに見てもらおうよ」




 この場合のかわいい服とは、レースやフリルをふんだんに使った、おおよそ成人男性が着るようなものではない服のことである。




「ダメです!」




 女性の体になったことは秘密なのだ。町長達と孤児院の皆は例外として、外にこの事を知られるわけにはいかない。自分には似合わないだろうが、普段見ない顔の人間が町を歩いていたら、注目されるのは間違いないだろう。なんなら、ウィ―ダムはライアンが帰ってくるまで一歩も孤児院を出ないつもりであった。




「どうしてさ」




「どうしてって……気づいたら女性になってたなんて、普通周りに言えないでしょう?」




「ボクだったらラッキーって思って、みんなにいっぱい自慢するね!」




 至極当然なウィ―ダムの意見であったが、ハニーはそれを気にした様子もなく胸を張って言い切った。




「それはあなただから言えるんですよ。ハニーは整った顔をしてますから、きっと女性になっても美人でしょうが、私はそうじゃないですし」




「何言ってるのさ、ウィ―ダムはすっごく美人だよ」




「はは、ありがとうございます」




 ウィ―ダムはまたお世辞だろうと思って適当にあしらった。




「むぅ、信じてないね……。じゃあ、町に服を買いに行こう! 一回おしゃれしたら、きっとウィ―ダムもやめられなくなるよ」




「やめられなくなるってどういうことですか……」




「おしゃれには一種の中毒性があったりなかったりするからね」




 ハニーはウィ―ダムとの買い物を想像して、うきうきな気分になった。




「ほら、善は急げだよ。ご飯食べて、お祈りしたら早速行こうね」




「行けません。町の皆さんには女性になってしまったことを隠しているので」




「え~。じゃあボクの生き別れの妹ってことじゃダメ?」




「それこそダメです」




 なぜ生き別れの妹などという無茶な話が通じると思ったのか。ウィ―ダムはハニーに呆れた視線を向けながらスープをすすった。


 食事をしながら黙って話を聞いていたジョエルが、ウィ―ダムの肩に顔を寄せた。




「でもパパ、さっきお祈りの後に町に行くって言ってたよね。どうやって行くの?」




(ああ、ジョエル。そのことをハニーの前で言わないで。ハニーがきっと一緒に行くって言いだすよ)




 ウィ―ダムはハニーと目を合わせないようにしながら言った。




「あー、昨日は旅の修道女の振りをして行ったら気づかれなかったので、今日も同じように行こうかと」




 ウィ―ダムがそう言うと、ハニーは信じられないことを聞いたと言わんばかりの表情を浮かべた。




「え、ディーンの、それも男物のシャツ着たまま旅の修道女って設定で行ったの? それ絶対怪しまれてない?」




 ウィ―ダムははっとした。そういえば、農夫のおじちゃんが不思議そうな表情でこちらを見ていた気がする。あの時は単に、旅の修道女が珍しいから見てるんだろうな~程度に思っていたのだが……。




「言われてみれば……修道女の振りで頭がいっぱいでした」




(絶対怪しまれてたよね……)




 しかし、これはチャンスだ。ハニーはここぞとばかりにウィ―ダムに言い寄った。どうにかしてついていって、上手い感じに言いくるめて女の子の服を着させてやる!




「これからも町に行くことは何度もあるでしょ? 修道女の振りするなら、せめて一着くらいかわいい服持っとかないとダメだって」




「かわいい服は必要ありませんが、確かに女性用の服くらいは持っておくべきですね」




 ハニーはニコニコ顔で激しく頷いた。




「その通りその通り! じゃあこの後服屋に行こうね。ボクが服選んであげるよ」




「いえ、ハニーの気持ちは嬉しいですが、町長に相談するので大丈夫です」




「え~」




 このまま逃がしてたまるか。ハニーは頭の中で打開策を必死に考えた。彼にとってはウィ―ダムが女になったことを町民に気づかれるとか気づかれないとかはどうでもよく、どうすればかわいい服を着せられるかということが大事だった。


 ハニーには、今のウィ―ダムの姿がとても愛らしく見えるのだ。自分より背の高かった以前と比べて、ずいぶん小さくなってしまったウィ―ダム。声も見た目も大きく変わってしまったのに、今までと同じように、むしろ以前よりも魅力的に快活に笑うウィ―ダム。肌はまるで雪のように白く、たなびく髪は風に吹かれて揺らめく花のようだ。


 ハニーは強く思った。こんなにもかわいらしいというのに、それを隠しておくなんてもったいない。




「ウィ―ダム、おしゃれしてなんて言わないから、ボクも一緒に町に行っていい?」




「ホントに言いませんか?」




「大丈夫大丈夫。ちゃんと周りに怪しまれないようにするからさ。というか、ウィ―ダム一人で行く方が危ないと思うよ。外の人だと思って、道案内をしに誰かが近づいてくるかも」




「そうでしょうか」




 ポット町には娯楽が少ない。だからこそ旅の途中で町を訪れた者や商人は町人に手厚く歓迎される。そして酒や食事を振るまう代わりに、面白い身の上話や驚くような噂を話すことを期待されるのだ。


 であるならば、今現在は少女の姿であるウィ―ダムが一人で町に言った場合、町人達がどのように反応するかは明白なのである。きっともみくちゃにされて、嘘を吐くのが下手なウィ―ダムは秘密を話してしまうだろう。




「その点ボクらと一緒なら心配なんてされないし、修道女って設定の信憑性も上がるんじゃないかな。だってボク神父の息子だから、修道女を案内してても不思議じゃないでしょ?」




 少し悩んでいる様子を見せたウィ―ダムだったが、すぐに納得してハニーに向き直った。




「確かにそうですね。昨日はライアンがいてくれましたけど、今日はいませんし。お願いしてもいいですか?」




「もちろん!」




 ハニーはガッツポーズをしながらそう言った。 




「パパ、僕も一緒に行っていい?」




 二人の様子を見ていたジョエルが、ウィ―ダムの服を掴んで言った。ジョエルもおしゃれに興味はないが、ウィ―ダムからは離れたくないのである。




「ジョエルもですか。誰にも、私のことを言わないって約束できますか?」




「うん、約束する」




 ウィ―ダムとの約束なら、ジョエルは絶対に守るつもりであった。




「お父さん、ボクも行きたい」




 リトリーがウィ―ダムを見上げて言った。




「リトリーも? 誰にも言わないって約束できますか?」




「できる」




「いい子ですね」




 そう言ってウィ―ダムがリトリーの頭を撫でると、ジョエルは羨ましがってウィ―ダムの肩に頭をぐりぐりと擦りつけ始めた。ウィ―ダムがジョエルの頬に手を当てると、ジョエルはそちらに甘え始めた。




「ウィ―ダム、ボクはいいけど、三人一緒に行って大丈夫なの?」




 一人二人ならともかく、四人で行けば目立つのではないだろうか。


 ハニーは心配していたが、ウィ―ダムは多分大丈夫だろうと考えていた。




「大丈夫ですよ。町長の家を訪ねたら、まっすぐ孤児院に帰りますから」




 まっすぐ帰ることなどできず、ひどい災難に巻き込まれるなど、この時のウィ―ダムは欠片も思っていなかった。

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