三節 「我々の常識は容易く崩れ去った」

ウィ―ダム達が暮らす孤児院は、ポット町から少し離れた小高い丘の上にあった。そこから町への道は徒歩で十分ほどかかり、坂道も多いが、道中には小規模な花畑があり目を楽しませてくれる。運がよければ無害なモンスターの姿を見ることもできるため、ウィ―ダムはこの道を歩くのが好きだった。




「はぁ、今日も花が、きれいですね、ライアン」




「そうですね。荷物重くないですか?」




「大丈夫です、それにしても今日は、熱くないですか」




「少し熱いですね。荷物持ちましょうか?」




「大丈夫です、ところで最近、地殻変動とか起きましたっけ。道が長いような気が……」




「起きてないと思います。荷物半分持ちますよ」




「……お願いします」




 ウィ―ダムは町長に渡すための野菜がたくさん入った袋をライアンに渡した後、ディーンから借りた少しぶかぶかのシャツで汗を拭いた。以前まで着ていた神父服は大きくなりすぎてしまったせいで着れなかった。当然男物の服を着ているので、ウィ―ダムの容姿には違和感があった。


 出かける前、ハニーが自作の女物の服を目を輝かせて持ってきたのだが、男物以外着るつもりはないウィ―ダムは断った。




「いつもならこんなに疲れないのですが……。体が変わったせいでしょうか」




「身体能力が見た目相応になってるってことですか?」




「多分そうです。昨日までならあれくらい楽々持てましたし」




 子供達の世話をしている時、雑務をこなしている時などのふとした瞬間に、ウィ―ダムは自身の体が変わってしまったということをひしひしと感じていた。普段当たり前にしていた作業がすぐに疲れてしまい終わらないのに加えて、力が弱くなってしまったため重い物を持つときは誰かを頼らねばならなかった。


 ウィ―ダム一人分の働き手が抜けてしまったが、そもそも孤児院は男手が多く、リトリー達幼年組も皆自分達で料理ができるので、大した問題にはなっていなかった。




「ライアンがいてくれてよかったです。私一人ならどうなっていたか」




「いえ、気にしないでください。体調はおかしくないですか?」




 熱さで顔は赤くなっており、汗もたくさん流していたがウィ―ダムは意地を張った。




「普通……だと思うんですけど、この体ですからね。どこかおかしいところがあっても、気づかないってことがあるかもしれません」




 ウィ―ダムは振り返ってライアンを見上げた。視線がかち合うと、ライアンは気まずくてすぐに目をそらした。




「ライアン、あなたから見て私はどう見えますか?」




「どうって……」




 ライアンは精一杯素直に答えた。今のウィ―ダムはすっかり少女の体になっていて、とても魅力的に見えた。




「とても……女性らしいと思います」




「女性らしい? ふふ」




 ウィ―ダムはライアンが冗談を言ったのだと受け取った。まさか、自分が女らしいなんて。




「ライアン、別に気を使わなくていいんですよ。私はこの体になってしまいましたが、それも王都に行って魔法を解いてもらうまでです。容姿がおかしくても気にしませんから、遠慮なく言ってください」




 ウィ―ダム袖を大きくめくり、自分の腕をまじまじと見つめた。




「見てくださいよこの細い腕。ちっとも力が出ませんから、水汲みするだけで一苦労です」




 ライアンから見れば、ウィ―ダムの腕と柔らかな手の平は、まるでおとぎ話に出てくるお姫様のようにかわいらしかった。




「足だって、こんなに小さかったらジョエル達とのかけっこに勝てません」




 白く、傷一つない足は人形のように美しく、ライアンには愛おしくてたまらなかった。




「髪ってこんなに長い必要ないですよね。歩く度背中に擦れて気になるんですけど」




 絹のようにきめ細やかな髪は、ウィ―ダムが歩を進める度太陽の光を受けてクリーム色に輝き、その魅力を贅沢に振りまいていた。




「なにより違和感があるのは……」




「お父さん! それはダメ!」




「え?」




 ウィ―ダムが服の裾に手を伸ばそうとしているのを見て、ライアンは慌てて大声を出した。




「ここは外だから誰が見てるか分からないし、リトリー達ならともかく僕も大人だし、お父さんは女性の体になってるわけだから気をつけないとみたいな……」




「そうですか? まぁ確かに、大人なのに子供用の服を着ていたら怪しまれますよね」




「そうそう、だから確認しないといけないなら孤児院の、できればみんなが見てないところであっそういう考えはなくて」




「確認はしなくていいでしょう。多少大きい服でも十分着れますし」




「か、確認はいいんですか。え? 服?」




「服です。そんなに焦ってどうしたんですか?」




 ライアンが自身の勘違いに気づくまでには三秒ほど必要だった。彼はちらりとウィ―ダムの顔を見た後、俊敏な動きで後ろを向いた。




(やっばぁぁぁ! 嫌われる!)




 ライアンは今までの人生で一番早く頭を回転させた。どう言い訳すればいいのか。まさか、馬鹿正直にあなたが裸を見せてくれると思って興奮しましたなんて言えない。


 焦ったライアンが必死に言い訳を探していると、ウィ―ダムが顔を覗き込んできた。




「ライアン?」




「はいっ!」




 ウィ―ダムの声に驚いたライアンは、背筋をピシッと伸ばして返事をした。




「心配してくれてありがとうございます。でも、私はあなたが考えているより気楽でいるんですよ」




 ウィ―ダムの声色は落ち着いていた。




「初めて町の外に出ることや、元に戻れなかった場合どうすればいいのかなど色々心配はあります。でも」




 ライアンは背中がにわかに熱くなるのを感じた。彼の背にウィ―ダムが抱きついていた。




「でも、あなた達がいます。こんなにも私のことを心配してくれるライアンが、一緒にいてくれてます。だから、私はすごく元気でいられるんですよ」




 ウィ―ダムは本心からそう言っていた。子供たちにとってウィ―ダムが大事な存在であるように、ウィ―ダムにとっても子供達は大事な存在であるのだ。




「お父さん……。分かりました」




 ウィ―ダムが体を離した。ライアンは振り替えることなく言った。




「僕が絶対お父さんを王都に連れて行きます。そのためにも早く町長の家に行きましょう!」




 ライアンはウィ―ダム持っていた袋を掴み取り、ほんの少し早足で歩き出した。




「あっライアン。私が持ちます!」




「僕が持ちます!」




 旅の荷物に加え、ウィ―ダムの分の荷物も持つとかなりの重さになっていたが、ライアンはもっと重い物を持ちたいと考えていた。そうでもしなければ、柔らかくて、熱くて、とても心地のよい背中の感触を忘れられそうになかった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 しばらく歩いていると、周囲にぽつぽつと民家と畑が見え始めた。暑い中、農夫や牛たちが農作業に精を出している。ポット町の中心に近づいてきた証である。




「うおーい、ライアーン」




 額を泥で汚した農夫が、ライアンの姿を認めて手を振ってきた。少し離れたところにいる農夫に、ライアンは大きく手を振り返した。




「おはようございまーす」




 農夫はウィ―ダムに目を向けて言った。




「隣の子は誰だー?」




「先生ですー」




「先生ー? なんのだい?」




「いえそういう先生じゃなくてー、お父さんです」




「ウィ―ダムの先生かい。それにしては若いなー」




「そうじゃなくてですねー、先生がお父さんなんですよー」




「何言ってるか分からないよー」




「ですからー」




 かみ合わない会話を続けるライアンにウィ―ダムが声をかけた。




「ライアン、無理に私のことを伝えようとしなくてもいいんですよ。変に噂が広まったら、王都から帰ってくる時に面倒くさいことになるかもしれませんから」




 ウィ―ダムは農夫に向かって一礼した。




「今は、私はトランス教の見習い修道女で、巡礼のためこの町を訪れたことにしておきましょう」




(修道女ということにしておけば、きっと誰にも怪しまれないはずだ)




 それでいいかと思い、ライアンはウィ―ダムの提案を受け入れた。




「修道女ですか……なら、僕は先生のことをどう呼べばいいですか?」




 偽名か、それとも修道女さまと呼ぶか。どちらにせよ、目の前にいるのが父である以上違和感は拭えない。




「え、いつも通りでいいんじゃないですか」




 ウィ―ダムが特に何も考えずに言ったものだから、ライアンは呆れて脱力してしまった。噂を広めたくないと言ったのは自分なのに、何を言っているのか。




「いつも通りだと、今みたいに勘違いされますよ」




「あっそうですね。では……普通に修道女と呼んでください」




「修道女でいいんですか?」




 神父ならともかく、修道女のことをそのまま修道女と呼ぶのはおかしいのではないかと思ったがライアンだったが、無理に偽名を使ってウィ―ダムがボロを出すよりはマシだろうと考えた。




「はい」




「……なら、よろしくお願いします? 修道女さん」




「こちらこそよろしくお願いします」




 首を傾げるライアンと、妙に自信満々なウィ―ダムの様子を農夫が不思議そうに見ていた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 挨拶される度にウィ―ダムを修道女として紹介することを続けていると、二人はようやく目的の場所にたどり着いた。


 ポット町の中心にある町長の家は、二階建てのこじんまりとした屋敷だった。門をくぐるとすぐ坂道になっており、その両脇には色とりどりの花が植えられた花壇が置かれている。庭のところどころには豪華ではないが品のいい石像が置かれており、町長が高い立場の者であることを示していた。




「すいません。町長さんはいらっしゃいますか」




 ライアンが玄関の扉をノックすると、中から妙齢のメイド服を着た女性が現れた。彼女の名はケイト。町長の娘である。




「はい……あら、ライアンさん」




「お久しぶりです、ケイトさん」




 顔見知りの二人は、お互いの姿を確認すると微笑み合った。




「お変わりないようで」




「ケイトさんこそ。いえ、以前会った時よりもきれいになりましたね」




「あら、上手ね。ありがとう」




 ケイトが横目でウィ―ダムを見た。今のウィ―ダムはぶかぶかのシャツを汗で体に張り付けており、到底修道女に見える姿ではなかった。さらに下半身なんてズボンなのだから、違和感は顕著である。




「こちらの方は?」




「せんせ……トランス教の、巡礼の旅をしている修道女さんです。町長さんに用があるとのことでしたので、ここまでご案内してきました」




「そうですか。トランス教の修道女様ですね。初めまして。私はこの家のメイドを務めております、ケイトと申します」




(修道女には見えないわ)




 ケイトは疑いを持ったが、顔には出さないようにして挨拶をした。




「初めまして、ケイト。二日ぶりですね」




「はい?」




 ウィ―ダムが普通に話すものだから、ライアンはひどく混乱した。




「しゅ、修道女さん?」




 ウィ―ダムはあっけらかんとして言った。




「ケイトと町長には隠さなくてもいいですよ、ライアン。協力してもらうのなら、全て話しておいた方がいいでしょう」




 困惑するケイトに向かって、ウィ―ダムははっきりとした態度で言った。




「ケイト、私ですよ私。町長に会わせてください」




「この方は何をおっしゃっているのですか?」




 ケイトは分かりやすく表情を険しくした。


 説明が下手なウィ―ダムに代わって、ライアンが昨晩起きた事と現状を説明した。




「まぁ、そんなことが……。到底信じられません」




「私自身信じられませんが、現にこの体になっている以上、事実です」




「確かに言われてみればウィ―ダムと似ているところがありますね。首元の大きなほくろなんてそっくり」




「え、そんなのありましたっけ」




 ウィ―ダムは自分の首に腕を伸ばした。その様子を見てケイトがくすくすと笑った。




「こうやって簡単に騙されるところもそっくりです。では中にどうぞ」




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 ウィ―ダム達は屋敷の二階にある一室に案内された。ここは町長の私室であり、プライベートな話をする時に使われる場所でもある。




「すぐに町長がお見えになります。少々お待ちください」




「おう、来たぞ」




 ケイトが言い終わる前に、部屋にライアンより二回り以上大きな体格をした男が入ってきた。彼の名はケネス。もう三十年近くポット町の町長を務めている男である。


 ウィ―ダム達の正面に座り、ケネスが話し始めた。




「元気そうじゃないか」




「おかげさまで、あっちでもしっかりやらせていただいてます」




「ほう、あっちではしっかり、この子とはしっぽりやったのか? ガハハ!」




「ケネスさん! おかしなこと言わないでください」




 ケネスはライアンの抗議を全く意に介さなかった。




「照れるな照れるな! お前ももう十八なんだから、一人ぐらいそういう相手がいてもおかしくないさ。しかし、見たところ相手さんは修道女じゃないか。一体どうやって手ごめにしたんだ? ん?」




「違います!」




 ライアンは表情を険しくして言った。




「この修道女さんは、お父さんです! お父さんのウィ―ダムです!」




「は?」




 ライアンの言葉を聞いて、ケネスはぽかんと口を開いた。




「信じられないでしょうがそうなのです。私です」




 ウィ―ダムはケネスに向かって前のめりになると、自分を指差して言った。




「何言ってんだお前ら」




「町長。かくかくしかじかでございます」




 ライアンとウィ―ダムに代わって、ケイトがとても分かりやすく説明した。話を聞き終わったケネスは、大きく息を吐くと椅子にもたれかかった。




「理解していただけたでしょうか」




「うん、分かったが……」




 ケネスがウィーダムを訝し気な目線で見つめた。




「本当なのか? この美人がウィ―ダム?」




「本当です」




「うーむ信じられん。ウィ―ダムが……」




 ウィ―ダムは右手でお茶請けのクッキーを、左手で紅茶のカップを持ちながら言った。




「私自身信じられていません。ですが本当なのです」




「それにしては能天気だな……。言われてみれば確かに、首元の特大ほくろなんてそっくりだ」




「あ。それもう私がやりました」




 ライアンが身を乗り出し、緊張した面持ちのままケネスに問いかけた。




「ケネスさん、何か、先生を元に戻す方法知りませんか?」




「……力になりたいが、知らんな。儂には何もできんよ」




「そうですか……」




 ライアンはがっくりと肩を落とした。




「そう落ち込まないでくださいライアン。元々王都に行く予定だったのですから、ここで解決しなくても大丈夫ですよ」




「お前達王都に行くつもりなのか?」




「ええ、王都になら私を戻してくれる魔法使いがいるはずです」




 ウィ―ダムの言葉にケネスは眉をしかめて言った。




「馬鹿か。その姿で王都に行ってみろ、すぐに処刑されるぞ」




「処刑!?」




 驚くウィ―ダムに、ケネスが当たり前のことであるかのように言った。




「そうだ。お前なら知ってるはずだろ? トランス教にとって性転換は禁忌じゃないか」


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