二節 「川は濁流となり、濁流は激情となった」

 雲一つなく晴れ渡った早朝、ウィ―ダムはライアンと子供達と一緒に食堂で朝食をとっていた。ウィ―ダムの右隣にはリトリーが、左隣には今年で十六歳になる獣人のジョエルが座っていた。ライアンは机を挟んでウィ―ダムの正面に座り、どこか気まずそうにパンをかじっていた。


 今朝の朝食は野菜のスープとパン。加えて朝市で買ってきたばかりの果物だった。作り置きのパンは少し硬くなっていたが、果物と食べると果汁でちょうどいい柔らかさになり食べやすかった。




「パパ、お腹痛くない?」




 ジョエルが心配そうにウィ―ダムの顔を覗き込み、手を重ねた。それにつられてリトリーも体を寄せた。ジョエルはウィ―ダムと顔を合わせてからずっと心配そうに寄り添っている。




「大丈夫です。心配してくれてありがとう、ジョエル」




「なにかあったら言ってね。手伝うから」




 リトリーがウィ―ダムを見上げて言った。




「ボクも手伝う」 




「リトリーもありがとう」




 三人の様子を見て、机の向こうで所在なさげに目を泳がせていたライアンが慌てて口を開いた。




「僕も手伝いますよ!」




「それは嬉しいですね。では食べ終わったら庭の草むしりをしてきてください」




 ウィ―ダムはライアンに目を向けることすらせずに言った。




「……はい」




「パパ怒ってる?」




 ウィ―ダムはジョエルに笑顔を向けた。




「ジョエルには怒ってませんよ」




(僕には怒ってるってことかー!)




 ライアンは心の中で自分に悪態を吐いていた。




(そりゃあんなことしたら怒るよな~)




 不審そうな目でライアンを見つめるウィ―ダムの背後に、コルトがゆっくりと近づき胸を鷲掴みにした。ウィ―ダムは体を強張らせた。




「んっ!」




 コルトはニヤニヤと笑っていた。




「うわ~先生のちっちゃいな! 町の姉ちゃんたちはもっと大きいのに」




 ウィ―ダムが叱ろうとすると、コルトはさっと手を離して自分の席に逃げていった。ウィ―ダムから三つ隣の席である。




「コルト! 先生のおっ……胸を触るのはやめなさいと言ったでしょう」




「いいじゃん先生のだし」




「よくありません。癖というのは恐ろしいもので、そのうち町の皆さんにも同じことをしてしまいますよ」




「大丈夫だって……てかライアン大丈夫?」




「大丈夫!」




 ウィ―ダムが振り向くと、ライアンは椅子に座りながら天を仰いだ体勢で反り返っていた。ライアンは顔に手を当てて必死に鼻血を抑えていた。




「なにをやってるんですかライアン」




 ウィ―ダムに気づかれるわけにはいかないと、ライアンは必死に話を逸らした。彼の隣に座るハニーは呆れた表情をしていた。




「なんでもないです! ただ今日はいい天気だなーと思って……」




「ここは室内ですよ」




「あっ、そうでしたね! じゃあ外に出て直接見てきます!」




 ライアンは残っていた朝食を口に詰め込むと、すぐに立ち上がり依然として上を向きながら小走りで食堂を出て行った。




「鼻血って……もしかしてライアン意外とうぶなのかなぁ」




「なにか言いましたか? ハニー」




「なんでもないよ!」




 ハニーはライアンの痴態を教えようとはしなかった。ライアンはウィ―ダムの変化に戸惑っているのだと考えたからだ。


 ライアンを除き、孤児院の面々は皆ウィ―ダムの変化を受け入れているように見えた。心配はしていたが、ウィ―ダム自身があまりにもいつも通り過ごしているので非常事態のように思えなかったのだ。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 孤児院の廊下を歩きながら、ライアンは昨晩起きた奇妙な出来事と、自身の失態を思い出していた。


 信じられないことに突然空から雷が落ちてきて、目の前に少女が現れた。そして信じたくないことに、父親にであったその少女に自分はしつこく求愛したのだ。身を寄せ、手を握り、あまつさえ離れようとしたその体に手を回した。常識に当てはめて考えれば、付き合ってもいない女性に過度なスキンシップをした時点でアウトなのに、相手は育ての親であるウィ―ダムであったのだ。もしあの時、ウィ―ダムにビンタされて正気に戻っていなかったら、自分は何をしてしまっていただろう。


 ライアンは窓枠に手をかけ、外に目を向けながら大きく息を吐いた。




(あの少女は本当にお父さんなのだろうか。だとしたら、あの姿に魅力を感じる僕はおかしいのだろうか)




 ライアンは生まれて初めて胸の高鳴りを覚えていた。少女の見た目は完全にライアンの好みだったのだ。




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「そういえば、パパはどうして女の子になっちゃったの?」




 ライアンが出て行った後の食堂で、ウィ―ダムの肩に両手を置いたジョエルが聞いた。ウィ―ダムは顎に手を当てて悩む素振りを見せてから答えた。




「分からないんです。私は気づいたらこうなってましたし、昨晩一緒にいたライアンも雷みたいなのが落ちてきたように見えた、気がするとしか言ってませんでしたから。何も分かりません」




 ウィ―ダムは雷を受けた瞬間に気を失った。そして次に目を覚ました時には体に変化が起きていたのだ。




「どうせ寝ぼけてたとかそういうのだろ。俺さっき教会堂に行ったけど、どこも壊れてなかったしいつも通りだったぜ」




「そう、そこなんですよコルト。教会堂は全くの無傷なのに、私の体にだけ異変が起きてるんです。こんなこと、魔法でも使わない限り不可能です」




 確かに昨晩の雷は教会堂の屋根を壊していたはずだったのだが、今朝ウィ―ダムが確認するとその痕跡はすっかりなくなっていた。まるで昨晩のことが夢であったかのようでウィ―ダムは困惑したが、事実自分の体は変わってしまっているのである。




「じゃあ魔法使われたんじゃねーの」




「この町に雷を落とせて人の性別を変えられる魔法使いなんていません。旅の魔法使いという線も考えましたが、わざわざこの孤児院に来て私を狙う理由がありません」




 ウィ―ダムは両手を広げてやれやれと首を振った。




「謎です。このままずっと女性の姿でいるわけにもいきませんし、どうしましょう」




 リトリーがウィ―ダムの膝に乗ってきてウィ―ダムを見上げた。前はすっぽり腕の中に納まっていたリトリーも、今のウィ―ダムには大きく感じた。ウィ―ダムはリトリーの頭に顎が刺さらないように、顔を少し上に向けなければならなかった。




「ボクは今のお父さんも好き」




 私を心配して言ってくれたのだろう。嬉しくなったウィ―ダムはリトリーをぎゅっと抱きしめ、彼の頭を優しく撫でた。ふわふわした髪に指が沈み心地よかった。




「ありがとう、リトリー」




「おっぱいあるもんな! ちっちゃいけど」




 ウィ―ダムはじとりとした目をコルトに向けた。




「コルト、リトリーはあなたのようにやらしくはないのですよ。そもそも私は男ですし」




「えーそんなことないってー。リトリーだっておっぱい好きだよな? な?」




「…………」




 リトリーは何も言わなかった。




「無視すんなよリトリー!」




 リトリーはウィ―ダムの胸元に顔を埋めると、心地よさそうに目を閉じた。ウィ―ダムからは優しい香りがして、リトリーはとても安心できた。




「さて、食べ終わったら食器を片付けましょう。それから朝のお祈りです」




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 朝のお祈りが終われば自由時間の始まりであり、その間子供達は思い思いの場所で遊ぶ。この時間、普段ならウィ―ダムは子供達を見守ったり雑務をこなしていたりするのだが、今日は大きく違った。ウィ―ダムはトイレの個室に入ってから立ち尽くしていた。








(性的表現が含まれるため、この部分の文章は移行しました)








 孤児院の玄関で、ウィ―ダムは子供達と一緒にライアンの見送りの準備をしていた。ライアンは未だ昨日のことを気にしていたが、ウィ―ダムは自身はライアンと離れる寂しさでもう気にしていなかった。




「野菜と手紙と……持っていくのはこれで全部ですよね」




「はい、報告書もちゃんと入ってますね」




 ライアンは孤児院を訪れる度に、遠くの町に住む孤児院を出た子供達とウィ―ダム達を結ぶ配達人のようなことをしていた。そのついでに王都のトランス教本部まで報告書を運んだりもしている。




「今度はいつ帰ってくるの? ライアン」




 名残惜しそうに孤児院で最年長のパトリックが聞いた。彼にとって、自立し皆に頼られているライアンは憧れなのである。




「忙しくなると思うから次は来月になるかも。でも、時間がとれたらすぐに帰ってくるよ」




 ライアンはパトリックの頭をわしゃわしゃと撫でた。




「それまでみんなを頼むぞ」




「任せてください!」




 パトリックは胸を張って言った。




「先生のことも頼むぞ」




 ライアンが声を潜めて言うと、パトリックは真剣な表情で答えた。このやり取りはライアンが孤児院を訪れ出て行く際に毎回交わされている。




「任せてください」




「よし」




 一方その頃、子供に心配されているウィ―ダムは、王都のトランス教会に送る報告書の最終チェックをしていた。




(うん、うん大丈夫。忘れてるところはない。全部書いてる……私のことは書いても意味ないよな)




 突然体が女のものになりました、助けてくださいなどと書いて送ったところで相手方を困惑させるだけだろう。思い直したウィ―ダムは報告書をライアンの荷物袋しまった。


 ほどなくしてパトリック達との会話を終えたライアンが近づいてきた。




「先生……報告書は大丈夫ですか?」




「大丈夫です」




「なら、もう行きますね。できるならもう少しゆっくりしてたいんですが……」




 ライアンは本心からそう言った。ウィ―ダムが心配なのである。できることなら一緒にいて見守りたかった。




「あなたは王都で仕事があるのでしょう。孤児院にはいつでも帰ってこれるのですから、気を引き締めて行ってきなさい」




「はい。それで、先生は来ないんですか?」




「行きません。私が行ったところで何も……」




 いや待てよ。ウィ―ダムは自身の現状を鑑みた。このままライアンを見送って、孤児院に残った場合どうなるだろうか。この体で普段通り過ごそうとしても、絶対に問題が起きるだろう。トイレでさえ困ったのだ。子供達を心配させてしまうだろうし、町の人達と会った時などどう説明すればいいのか分からない。そんな状態で、これからずっと生きていくわけにはいかない。




「行きます」




(この町には普通の人しかいないが、王都に行けばすごい力を持った魔法使いがいるかもしれない)




 ウィ―ダムはライアンの目をまっすぐ見て言った。




「え?」




「私も王都に行きます。行きたくないけど、行って元の体に戻ります。王都であれば、私の体を元に戻せるようなすごい魔法使いがいるでしょう?」




「探せばいると思います。知り合いに魔法使いがいますから、彼女に聞けばきっと……」




「ではすぐに行きましょう! ダッシュで!」




 ウィ―ダムは鼻息を荒くして、今にも走り出しそうな勢いだった。




「でも、どうするんですか先生。みんなを置いていくわけにはいかないでしょ?」




「……確かに」




 王都に行ってから帰って来るまで、魔法使いを探す手間も考えればどれほどの時間がかかるか分からない。その間子供達の世話をしてくれる人は必要だ。




「でしたら、町長に頼みましょう。あの方なら皆の世話をしてくれる人を探してくれますよ」




「町長ですか」




 町長という言葉を聞くと、ライアンは表情を曇らせた。




「ええ。何か問題が?」




「問題というか、確かに町長なら助けてくれると思いますが……あの人かなりの女好きじゃないですか」




「それが何か」




「先生は今女性の体になってるから、手を出されたりするかも」




「されませんよ」




 ウィ―ダムはライアンの言葉に笑って返した。




「女性なのは見た目だけで、私は男なんですから」

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