私は女になりましたが神父なので付き合えません。
廊下
聖トランスの書 一章一節「かくして主は変身せり」
「…………自身の幸福の追求は、得てして隣人との共有の果てである」
木造の小さな教会堂で、質素な祭壇に向かい一人の男が聖句を読み上げていた。年の頃は三十を過ぎたあたりだろうか。肩まで届く黒い髪を後ろに流し、同じく黒い神父服を着た彼の背後では七人の子供達が長椅子に腰かけ、それぞれが自由な方法で祈りを捧げていた。
「主は旧友の姿を見てひどく驚かれた。なぜ人とはかくも容易く変わってしまうのか」
目を閉じ祈る者、体を脱力させ周囲の空気に身を任せようとする者、椅子に横たわる者、ぼうっと窓の外を見つめる者。彼らの行動は様々であったが、数人を除き皆胸中は同じだった。男の話は十分以上続いているのだ。もうとっくに飽きてしまった。早くこの教会堂を出て、外で遊びたい。彼らは全員聖句に関しての興味が薄かった。
「我々の肉体に悪意なく施された大穴に意味などなかった。流れる意志に完全などなく、ただ無為に欲求を…………」
バタン! 男の話は教会堂の扉が勢いよく開かれる音で遮られた。
「先生!」
「……ライ。今はお祈りの時間ですよ」
男の呆れた声に、ライと呼ばれた青年は笑顔で返した。
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大きな国の、隅っこにポツンと存在する小さな町ポット。これといった名産品も目立つところもなく、まさに平凡の二文字がぴったりなこの町に聖トランス教会はあった。神父が一人で運営する孤児院も兼ねたこの教会は、ポット町が小さな村だった頃からあったとされており、地域に根付く信仰の場として町人から大切にされてきた。
孤児であり先代の神父に拾われたウィーダムは十二歳の時に新たな神父となり、それから十八年間ずっとポット町で過ごしてきた。町を出た事のない彼にとっては、教会と町、そして孤児院の子供達こそが全てだった。
ウィ―ダムと共に孤児院で暮らす子供達は七人いた。
一人は、孤児院の最年長でしっかり者のパトリック。十六歳の彼は家事全般に加え、孤児院の運営にも関わっていた。頭がよく、金銭の管理もウィ―ダムに代わって担当している。普段は生真面目な態度をとっているが実は甘えん坊で、自分を頼ってくれるウィ―ダムが好き。
獣人のジョエルはパトリックと同じ十六歳だったが、とても素直な性格で複雑なものは苦手だった。その代わり高い身体能力を利用して、孤児院やそれ以外の場所での力仕事をよく引き受けていた。人と触れ合うのが好きで、誰に対しても懐っこい。育ての親であるウィ―ダムが好き。
十五歳のハニーはお調子者で、いつも遊んでばかりである。しかし整った容姿と元来持っていた優しい性格で誰からも人気だった。器用な腕を持ち裁縫が得意で、孤児院の皆の服を作ることが多かった。その中でも丁寧に作るのは自分の服で、それらはほとんどが女物の服だった。ハニーには女装癖があった。自分の趣味にも理解を示してくれるウィ―ダムが好き。
ディーンは子供好きの十四歳で、読書家である。本人はかっこいいと思って強い言葉遣いをしているが、周りの人物には心情を見抜かれて微笑ましく思われている。フロリーと仲が良く、実の弟のようにかわいがっている。子供の頃から変わらず接してくれるウィ―ダムが好き。
コルトは孤児院で一番すけべな少年である。まだ八歳だが女性に強い興味を持ち、町に行く度にウィ―ダムを困らせる。今は小さいから許されているが、成長してもこのままだとマズイと心配されている。ウィ―ダムは優しいので好き。
七歳のリトリーにとってウィ―ダムはかけがえのない存在であった。彼は年齢以上に理知的で、他とは違う特別な才能を持っていたが、それ故に悩むことが多かった。常に寄り添い無償の愛をくれるウィ―ダムは、現在ではリトリーの心の支えになっている。リトリーは無口であるが、代わりに自分の意思を示す時は行動で相手に伝える。ウィ―ダムが好き。
子供達を外に出し、ウィーダムは教会堂でライアンの隣に座っていた。
「たった二週間いなかっただけでお昼のお祈りの時間を忘れるなんてどういうことですか。あなたは小さい頃からそうです、お祈りを途中で抜け出して……」
「ごめんってお父さん。久しぶりなんだしお説教は許してほしいなー」
ライアンはウィーダムが初めて育てた子供の一人であり、初めて見送った子供の一人でもある。赤子の頃に拾われた彼は、ウィーダムの手によって病気一つせずすくすくと育った。少し自由すぎるところはあったが、ライアンは持ち前の明るさで孤児院の子供達にも町民にも好かれていた。
しかし十五の時、彼は孤児院の仲間達の引き留めを振り切り、町を訪れた冒険者と共に孤児院を出て行った。当時のウィーダムはライアンが孤児院のことを心配しないよう笑顔で彼を送り出したが、内心は不安でいっぱいだった。実の息子のように育ててきた子を、自分が行ったこともない見たこともない町の外へ行かせるのだ。次に会えるのは随分先になるだろう、それまでにあの子の身に災難が降りかかりはしないか。ウィーダムは毎日ライアンが町を出て行った方向に祈りを捧げた。だが二週間もしない内にライアンは帰ってきた。驚くウィーダムに向かって、ライアンは自分も冒険者になっただとか早く移動できるスキルを手に入れただとか、会えなかった日々の分を埋めるようにまくしたてたが、ウィーダムの頭にそれらはほとんど入ってこなかった。今生の別れのように悲しみ、毎日祈った自分があまりにもバカらしかったからだ。
それ以来、十八歳になった今でもライアンは毎月一回は町に帰ってきている。さらに毎週手紙も送ってくるので、ウィーダムがライアンは遠くにいるのだと感じたことは最初の別れを除いて一度もない。
「説教されるような行動をするのが悪いんです」
ウィーダムはパトリックが持ってきたハーブティーに少しだけ口をつけた。苦味があったが、香りはよかった。
「それで、今回はいつまでいられるんですか?」
少し体を前のめりにして聞くと、ライアンは目を伏せて申し訳なさそうに言った。
「明日の朝には帰らないといけないんだ、ちょっと用事があって」
「そうですか。忙しいですね」
「忙しいけど、楽しいから全然嫌じゃないよ。でさ、お父さん王都に来ない?」
ライアンがそう言った途端、ウィーダムの動きが止まった。
「嫌です」
ウィーダムは物心ついてからずっとポット町で過ごしてきた。他の町に出かける機会はあったが、子供達の世話があったりタイミング悪く怪我をしてしまったりで全ての機会を逃してきた。それによりこれまで彼が得られた外の情報は、町を訪れた旅人などの話からだけであった。そしてそういった旅人のする話といえば日常的に起こるような平凡なものではなく、ひどい詐欺があったとか、人が殺されたとか、巨大で危険なモンスターが出たとかの、田舎町では滅多に聞くことのない事件や災害のことばかりだったのである。結果、ウィーダムの中には都会はすごく危険なところだ、という固定観念が出来上がってしまったのであった。
「行く必要もありませんし」
「必要ならあるよ。この前も王都のトランス教会に挨拶に行かないとって言ってたじゃん」
「それは急がなくてもいいですから」
ウィ―ダムの運営する孤児院は、トランス教会からの支援金で成り立っている。生命線である支援金を受け取り続けるためにも、トランス教の本部がある王都には挨拶に行くべきなのだ。しかし、ウィ―ダムは報告書のやり取りだけで一度も足を運んだことがない。
「じゃあ行く予定はあるの?」
「……ありません」
ウィ―ダムとしては、一生ポット町でのんびり暮らしていければそれでいいのである。これまで報告書だけで大丈夫だったのだから、これからも王都に行かなくていいと彼は信じていた。
「やっぱり」
「私は待っているのです。主からの王都に行かなければならないとのお告げを」
「お父さんの教派にお告げなんてくるわけないじゃん。ほら、いつもお父さんが言ってる『自身の幸福の追求は、得てして隣人との共有の果てである』」
腕をだらりと伸ばし、ライアンはすぐ前の長椅子に体を突っ伏した。
「これって、お隣さんとケンカせず仲良くしなさいよ、そうすれば平和に暮らせるよ。ってだけの意味でしょ?」
「受け取り方は人それぞれです」
「他のだったら毎日お祈りをしろだとかこれをしてはいけないとかルールがあるのにさ、ウチにはそんなの欠片もないし。なんというか、放任主義じゃん」
「主は何より我らの自由を尊重してくださっているのですよ」
ライアンは呆れた顔をウィーダムに向けた。
「……ああ言えばこう言う。じゃあジェス達に会いに行かない? みんなお父さんに会いたがってるよ」
ジェスとは、ライアンと同じく王都で暮らしており、今年で十七歳になるウィ―ダムの息子の名だ。彼も孤児院で育った身である。
「そうですね。それもいいですね」
「えっ、ホント!」
ライアンは目を輝かせた。ウィ―ダムと共に王都に行ったら、やりたいことがたくさんある。仲間を紹介したいし、行きつけのとっても美味しい店で食事もしたい。町外れにある露天風呂に入ってのんびり過ごすのも魅力的だ。
「ですがまず、昼食の用意をしないとなので私はこれで」
椅子から立ち上がると、ウィーダムはライアンが止める間もなくそそくさと教会堂を出て行った。
ライアンは彼の背中に抗議の声を浴びせた。
「もう、出不精ー!」
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その日の夜。まだ寝たくないと駄々をこねる子供達を子供部屋で寝かしつけた後、自室で雑務を終えたウィーダムは祈りを捧げるため教会堂に向かっていた。
ランプを持っているとはいえ教会堂へ続く廊下は暗く、不気味だった。ウィーダムは神経を尖らせながら歩いた。自分の足音と、虫の声が変に大きく聞こえるような気がした。
暗闇から人影が現れ、ウィ―ダムの前に立った。
「お母さん」
「わっ!」
唐突に聞こえてきた声に、ウィーダムは情けない悲鳴を上げ飛びあがった。ランプが大きく揺れ、ウィ―ダムともう一人の影を怪しく踊らせた。
「っだだだ誰ですか?」
ウィ―ダムの声は情けなく上ずっていた。
「……ウィーダム?」
声の主は眠たそうにまぶたをこすりながらウィーダムを見上げた。寝間着姿のリトリーが明かりも持たずに立っていた。
「ウィーダム……」
「なんだ、リトリーですか。びっくりした。目が覚めちゃったんですか?」
相手がリトリーだと気づいたウィ―ダムはほっと息を吐いた。リトリーは両腕をウィ―ダムに伸ばして抱っこをせがんだ。
「トイレ……」
「トイレは向こうですよ。ほら、行きましょう」
ウィーダムはリトリーを抱き上げた。彼は今年で八歳になるとは思えないほど軽かった。
リトリーを孤児院に連れてきたのはウィーダムではなく、ポット町に住む農夫だった。農夫曰くリトリーを見つけたのは街道沿いで、その時の彼は土まみれの服のまま、おぼつかない足取りでどこに行くでもなくふらふらと歩いていたらしい。衰弱していた彼は孤児院で食事を与えてもほとんど食べなかった。ウィーダムが根気よく時間をかけて食べさせることで、なんとか栄養を与えることができた。その時の影響か、成長した今でも小食なリトリーだが、ウィーダムが食べさせようとすると嬉しそうに口を開くのだった。
「うん……」
抱えられると、リトリーはウィ―ダムの胸に顔を埋めてか細い声で話し始めた。
「さっきね、みんなと話してたの」
「どんな話ですか?」
「どうしてお父さんにはおっぱいがないのかなあって」
「えっ」
リトリーの言った言葉の意味が分からなくて、ウィ―ダムは思わず立ち止まった。
「コルトが、お父さんにおっぱいあったらめっちゃ触れるって言ってたの」
なんだ、コルトが言ったのか。ウィーダムは心の中でほっと息を吐いた。
コルトは茶髪に強気さを感じさせる瞳を持つ孤児院一番のすけべ小僧だった。まだ八歳であるというのに悪い方向にませてしまい、町に出ればいつも美人にいたずらをしている。一度怒られれば反省もするだろうが、すけべなところを除けばよく働くしっかりとした子供なので町民の皆からは好かれている。
「コルトはそういうのが好きですね」
「うん。ウィーダムはお母さんになれないの?」
リトリーはウィ―ダムに頬を擦りつけて甘えながら言った。
「私は男ですから、お母さんにはなれませんよ」
「そっかぁ……」
子供部屋に着く頃には、リトリーはすっかり眠ってしまっていた。ウィーダムは起こしてしまわないようゆっくりとリトリーをベッドに寝かせた。
同じ部屋でジョエルとハニーが眠っていたが、起きる様子はなかった。ウィ―ダムは今にも床に落ちてしまいそうな姿勢のジョエルをベッドの真ん中に戻し、ハニーが蹴とばしていたシーツを元の位置にかけ直した。
「おやすみなさい」
小声で囁き、ウィ―ダムはリトリーの額にキスをした。リトリーの寝息はさらに深くなった。
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ウィーダムは教会堂の扉を開いた。中ではロウソクが一本だけ灯っており、祭壇の前ではライアンが両手を組み合わせ祈りを捧げていた。彼の表情は真剣に見えた。
(珍しいな……)
あまり信心深いわけではないライアンが一人でここにいるなんて、彼は一体何を祈っているのだろう?
扉の開いた音に気がついたのか、ライアンが顔を上げて振り向いた。彼はウィ―ダムの姿を認めると立ち上がって祭壇から離れた。
「お父さん」
「起きてたのですね、ライアン。もう眠っていると思ってました」
「目が覚めちゃって」
ウィーダムが近くの長椅子に座ると、ライアンは通路を挟んで反対側の長椅子に腰かけた。
「こんな時間にもお祈りとは、感心ですね」
ライアンは少し困ったように笑った。
「そうでもないよ」
「悩み事ですか」
ウィ―ダムがそう尋ねると、ライアンは一瞬だけとぼけたような表情をした後観念したように話し始めた。
「やっぱりわかる?」
「分かりますよ。よければ話してみてくれませんか?」
「お祈りの内容は人に話しちゃダメなんじゃなかったっけ」
「む、そうでしたね」
子供の頃にウィ―ダムに教わった規則を、ライアンはしっかり覚えていた。
少しの間、教会堂は沈黙に包まれた。二人の間に言葉はなかったが、心地よい空間だった。
「お父さん」
ライアンが少し小さな声で言った。
「なんですか?」
「お父さんって、結婚とかしないの」
「急ですね。私にはそんな浮いた話はありませんよ」
「町にもきれいな人はたくさんいるのに、恋人にしたい人とかいない?」
「いませんねぇ」
ウィ―ダムは同性愛者ではなかったが、だからといって恋人や結婚相手が欲しいと思ったことはなかった。彼は孤児院で過ごす子供達との生活だけで十分に満たされていた。
「本当に好きな人いないの?」
「いないです」
ウィ―ダムが返事をすると、また少しライアンの声が小さくなった。
「そっか」
ロウソクの火が弱くなってきていた。ウィーダムからはライアンの表情が見えなくなっていた。
「この前より身長伸びてたよね、リトリー」
「ええ、相変わらず食は細いですが元気でいてくれてます」
「僕もまた伸びたんだ。でもお父さんよりは大きくなれてないよ」
「あなたはまだ成長期です。すぐに私より大きくなりますよ」
薄暗い中でライアンはせわしなく手を閉じたり開いたりしていた。
「お父さんは自分より背の高い人の方が好き? それとも低い方が好き?」
「どっちも好きです。……どうしたんですかライアン。今日は変なことばかり聞いてきますね」
「うん……ねぇお父さん、かぞ……親しい人と結婚するのってアリかな」
「親しいから結婚式するんですよ?」
「そうじゃなくて」
ライアンは大きなため息を吐いた後、囁くような声で言った。
「僕が女だったらな……」
この瞬間! 偶然同時に様々な場所でトランス教の主に向けて強い祈りが捧げられた!
とある森では『素敵な恋人ができたら』という祈りが!
とある町では『愛する人に触れたい』『誰かと一緒になりたい』という祈りが!
とある屋敷では『愛せる女性が欲しい』という祈りが!
とある孤児院では『お母さんがいてくれたらなぁ』という祈りが!
とある教会堂では『男じゃなかったら』という祈りが!
彼らの祈りは深い眠りについていたトランス神に届き、そしてその願いは奇跡として叶えられた!
「え?」
ガッシャーン! 雷光を轟かせ教会堂に落ちたベールのように白い雷がウィーダムを直撃した。
「お父さぁぁぁん!?」
雷が落ちた時の衝撃でロウソクは消えてしまっていた。ライアンは暗闇を手探りで進み、ウィーダムが先ほどまでいた場所に歩み寄った。
「お父さん? お父さん!」
間もなく穴の空いた天井から入ってきた月明かりで教会堂内は照らされ、ライアンは木片に埋まったウィーダムの神父服を見つけることができた。
「お父さん!」
木片をどかすと頭からひっくり返ったウィーダムが見えた。ライアンは木片に気をつけながらゆっくりとウィーダムの足を掴んで起こした。
「お父さん?」
ウィーダムの姿はほんの一分前とは大きく変わっていた。伸長は以前より大きく縮んでおり、リトリーより少し高いくらいだった。肩までしかなかった黒髪は腰の位置まで伸び、男性的だった顔立ちはすっかり細くなり少女のようだった。足を掴んでいるためライアンの目に入ってくる、めくれた神父服の中では男性の象徴がなくなっていた。
「お父さん……?」
「う…………」
身をよじらせ、少女がまぶたを開いた。
「ライアン?」
「うわっ!」
「いたっ!」
目の前の存在から放たれた自分の名前に驚き、ライアンはつい掴んでいた手を離してしまった。
「誰ですか……?」
「誰って、私ですよ。ウィーダムです」
ウィーダムと名乗った少女は立ち上がり、天井の大穴に目を向けた。その瞬間の、月明かりに照らされた彼女の美しさときたら! ライアンはすっかりのぼせ上がってしまい、気づけば少女の手を強く握っていた。
「え?」
ライアンは湧き上がる衝動を抑えようともせずこう言った。
「付き合ってください!」
「え…………ええええ!?」
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