23
なんとかアンリシアを悪役令嬢の運命から逃したと思っていたのに、再び彼女をその場所に引き戻そうとする。
なんてことをしてくれるんだと睨みつけると、リヒター王子は小さく笑った。
「ようやく、君のまともな感情を見ることができたようだね」
「楽しいですか?」
「嬉しいね。僕としては、できれば君と知り合いたかったんだけど。サンドラは彼女を紹介した。君がバーレント公爵家と仲良くしているから仕方ないにしても、残念だよ」
「そう。なら、一つ、約束をしません?」
「なんだい?」
「アンリシアを危険な目に合わせないで。それを約束できるなら、おとなしくていてあげる」
どうしてそこまで魔女にこだわるのか……王子の行動に気になる部分はあるけれど、それよりもアンリシアの安全の方が重要なのであっさり黙殺。
ていうか、やっぱりアンリシア以外はどうでもいい。
「……本当に君は彼女以外には興味がないんだね。妬けてしまうよ」
「妬かれても困りますけど」
「でも、わかったよ。彼女の身分はともかく、それ以外の安全に配慮すると約束する。それでいいかい?」
「ええ」
「では頼むよ。君が何かを仕出かすのが一番怖かったんだ」
「王子に恐れられるようなこと、しましたっけ?」
「ライノロードをあんな簡単に殺すような魔女を恐れるなという方が無理ではないかな? 騎士団が一致団結して立ち向かうような敵だよ?」
「はぁ、そうですか?」
「では、約束はしたよ」
「ええ、守られることを願いますよ」
去っていく王子の背中に念押しをする。
いつのまにかいなくなっていた牢番がこそこそと戻ってくるのを感じながら、私は壁に背中を預けて目を閉じる。
色々わかったことがある。
主人公の工房に王子がやってくる裏事情は、工房の前主人が騎士カインの母親だからだと思っていたけれど、どうやらそれだけではなかったみたい。
サンドラがそこまで関わっているとは思わなかった。
とはいえゲーム通りなら主人公を見つけて王都まで連れて来てくれた恩人のカインが彼の母親の跡を継いで工房主になった主人公のところに王子を連れてくるのは自然な流れだと思っていた。
なら、サンドラの意思が関わったのはゲームでもそうだったのか、それとも……。
このゲーム、魔女と政治の関りというのがテーマで存在する。
だからもしかしたら、王子と主人公の出会いというのは、そもそもサンドラが画策した魔女の社会的地位向上のための一手だったかもしれない可能性があったりするかも?
主人公の行動が魔女全体の運命に関わってくるのはゲームをしている頃はそれなりにやる気にさせたものだけれど、もしかしてその気になっているだけでただ誰かの操り人形になっていただけだったりする?
なにそれ怖い。
ともあれ、アンリシアの身を守る手段をもっと考えないといけないなぁ。
†††††
「なぜですか⁉」
レインが釈放されるかもしれないと聞かされて、サリアは信じられないと叫んだ。
ここは彼女の工房だ。
フードを外したリヒターが困った顔でサリアを見ている。
「彼女は無実だよ。いま牢にいるのは疑惑の内容が重大だからそう簡単に解放できないってだけだから」
「嘘です。彼女でなければあんな毒が作れるはずがありません!」
「本当に?」
「それは……」
リヒターに覗き込まれ、サリアは言葉を失った。
「どちらにしろ、王を相手にあそこまで堂々とした態度を見せ、さらに物証はなにも出なかった。彼女に罪を押し付けるのは不可能だよ」
「お、押し付けるだなんて」
「……サリア」
「は、はい!」
「僕は魔女を救いたい」
「はい」
「そのために僕は君を妃にする。それは確定だよ。だから、焦る必要はない」
「焦るなんて……そんな」
「それに、魔女を救うためには、いま魔女に悪評なんて付けるわけにはいかない。わかるよね?」
「……はい」
リヒターの澄んだ目で見つめられ、サリアは頷くしかなかった。
サリアの懸念を口にできるはずがない。
「いい子だね」
リヒターの魅力的な笑みを前にすればサリアの心は踊る。この笑顔が自分のものになる日が来るのだと考えれば天にだって昇ってしまえる。
だけど、王子はサリアが感じている恐怖を理解してはいない。
常に選ぶ側である彼にはそのことを理解するとっかかりさえもないのだ。
魔女を救うためにサリアを妃にする。
だが、サリアでなければならない理由はどこにもない。魔女であれば誰でもいい。ただ王子と年が近いという理由だけでサリアがその席に座らされているだけにしか過ぎないことを理解してしまっている。
サンドラの弟子だったのに、いまは別の工房に追いやられている。
そういうことを王子がしないという保証はどこにもない。
同年代でもっと優秀なレインがいる中でサリアでなければならない理由はない。
だからどうしても、彼女にはいなくなってもらわなくてはならないのだ。
リヒターを見送った後、しばらくしてから来客があった。
入ってきたフードの男にサリアは険しい目を向ける。
「失敗したわね」
「し、しかたがないだろう。あれは。まさか、あれで無罪になるなんて」
「物証を用意していないなんて、ありえない」
「…………」
フードを外さない男はトニー・ロンバーム。現宰相の息子だ。
サンドラストリートで毒薬を探す間抜けな男はレインや他の魔女たちに散々バカにされた後だったせいか、サリアが優しい声をかけるとあっさりとその理由を喋った。
リヒター王子の婚約者がアンリシア・バーレントに決まったのには理由がある。
保守派と魔女派の二つの派閥が魔女の扱いで現状維持の協定を結んだのだ。その代わり、次の世代であるリヒター王の御代では保守派バーレント公爵家は王妃を出し、魔女派ナルナラ公爵家は宰相を出す、ということが王を介した三者の間で決まった。
これによってリヒター王子も貴族の大半から王となることを認められ、他の王位継承権者からの余計な政争を仕掛けられることもなく、めでたしめでたし、となるはずだった。
だが、それがめでたくない者もいた。
それが現宰相ロンバーム侯爵を中心とした中立派だ。
魔女の扱いになど興味を示さず、宰相を中心として国政に関わる甘い蜜に寄り集まっていた彼らにとっては、ロンバーム侯爵家から宰相が生まれないことは、そのまま勢力の減退を意味することとなる。
本来は王に忠誠を誓い国政に真摯に向き合う者たちが集う派閥だったのだが、ロンバーム侯爵家が代々宰相を輩出するようになってから腐敗臭がきつくなりつつあった。
王にとっても保守派と魔女派が手を組んだことは中立派を解体・清浄化するいい理由となったのだろう。
だがそれによってトニーは自分が信じていた未来を閉ざされてしまうこととなる。
きっと目の前が真っ暗になったことだろう。
だからこそ、サリアが付け入る隙ができた。
「でもまだ大丈夫。まだ奪還の機会はあるわ」
「そ、そうか?」
「そうよ。いまの保守派と魔女派を繋いでいるのはあのレインよ。あれが死んでしまえば派閥は再び二つに割れる。そうなればまた中立派が必要になるし、あなたの出番も戻って来る」
「そうだな。……ああそうだ!」
サリアの甘い言葉をトニーは簡単に受け入れる。
それが彼にとってもっとも信じたい未来だからというのもあるだろうが、当たり前にあった未来を失った者の哀れな弱さなのかもしれない。
最初から未来とは勝ち取るものでしかなかったサリアからは信じられない弱さであり、思わず嘲笑いたくもなる。
もちろん、そんなことはおくびにも出さないが。
「しかし、なにか策があるのか?」
「ええ、それはもちろん」
サリアは自信をもって頷く。
レインに直接手を出すのは危険だ。魔女としての能力が非常に高い。それは薬を作るだけではなく、魔法の面でもそうだ。
なにをしても勝てないとサリアは知り合ってからこれまでで痛いほど理解させられた。それは魔女になりサンドラの弟子に招かれたことでわずかながらに手に入れていた自信が簡単に踏み潰されたほどだ。
とはいえレインとて完璧というわけではない。
魔女としては完璧であっても、だからといって勝つ方法がないわけではない。
魔女なら誰でもいい王子の目をサリアにとどめておくためにも、レインには絶対にいなくなってもらわなければならない。
そのためには……。
「アンリシアがいなくなってしまえばいいのよ」
サリアには全く理解できないが、レインが執着しているのはあの公爵令嬢だけなのだから。
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