第6話 と或る(夜の街関連)のおねえさんと話した事
「電車に乗っていて、自分の座っている前に老夫婦が吊り革に捉まって立っています。どうやらその老夫婦は登山の帰りらしく、背中にはリュックを背負っています。あなたはどういう行動をとるか?」
という問いと言うか、お題について「夜の街」関連のおねえさんと話した事があります。
選択肢として、
A:座席を譲る(二人座れるように)
B:そのまま座り続ける
C:他の座っている人が立つまで座る
この選択をどうこう言うつもりはありません。この話の続きがあります。
この老夫婦の会話をよく聞くと、
「いやぁ、今日は疲れたね。電車に乗っても人が一杯だから座れないね」と話していて、さもさも老夫婦が疲れているんだから席を譲ってくれよと言わんばかりの会話内容でした。「その時あなたはどうする?」
と言う話の対応について、おねえさんとお話しました。
私は年上は誰であろうと「先輩」「先人」であるから、席を譲ると答えました。
「普通はそうよね」
とおねえさんは答えました。本懐は、
「老夫婦が健康で登山が出来るのは、ウチらの世代が働いてあなた達の年金を支払っているお陰であって、その事を慮って貰えば自分が座ってても良いだろう」
という意見があり、それに賛同する人が結構多いとおねえさんは言いました。
ふーむ、と私もその事について一考してみましたが、何となくしっくり来ません。
確かに話の筋は通っている。が、自分達が働いて目上の人々を支えるべく、年金を支払う人間になるまでに自分の力のみで出来たことなのか?その老夫婦は直接自分が成長する迄に無関係だからそう言えるのか?などの思いが浮かびました。
そもそも、「〜してやってんだろ?」という上から目線の考え方が気に食わないです。
「客なんだから」「金払ってんだから」良いんだろ?何でも許される、という風潮も少しおかしいと思います。それに乗じてクレームをつけるのパターンも多いです。
皆さんはどう思われるでしょうか?
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