第3話 人生は「いかにバカになれるか」で決まる

あと、表題の経験も自分の糧になります。

「バカ」≠「馬鹿」です。字が違うので当然です。「バカ」は「指さされて笑われたり、どうしょうもな!」と思われる事を実行できる人ですので、かなり優秀でないとできません。

なぜ「優秀」なのか?それはそもそも「バカの真意」を知らないといけないからです。「どうすると人は指さして笑うか、どうしょうも無いと呆れるか」を研究して実行する訳ですから。

寄り道で恐縮ですが、私は気分が乗らないとき応援団の動画を観ます。いまの朝の連ドラでも少々出て来ました。(早稲田大学の紺碧の空ですね)

URLは<https://www.youtube.com/watch?v=pEXR1mH0HNM>

になります。

その27分くらいに「慶應大学」の応援が映ります。副団長さんは一流高校出身の政治学科の方のようです。将来の日本を背負っていくのでしょう。親御さんは「大丈夫だろうか」と心配されているやも知れませんが、副団長さんは面白いし、また応援の姿が「かっこいい」です。見てくれではありません。気迫が画面を通しても伝わります。4年間の集大成がこうですから「もったいない」と思う人もいるでしょうが、こういう方が失礼ながら「バカ」なのです。「応援団バカ」とでも言うのでしょうか。

(敬意を払って書いています)何となくですが、「ヲタ芸」と呼ばれる振り付けのベースの様な動きもあります。不勉強なので、上辺だけですが。それも素晴らしいと思います。

応援団に没頭しているその姿は素晴らしいです。応援団の方は就職口がいいとも伺います。それは何故かと言う理由は上記から明白です。何故なら「バカは強い」からです。へこたれないからです。

隠れ蓑にただ「就職に強い」とかいう理由で様々な資格や肩書で勝負する人がいますが、それは「本末転倒」であってその「過程や感じ取った事」が重要なのです。きっと面接ではそういう問いがあると思います。付け刃、中身が無いことくらいは人事の方々に通用する訳が在りません。

話を戻します。「慶應大学」の応援は正に「試合に勝つ」ための応援の様な気がします。比較して「明治大学」の応援がこの後映りますが、それはそれで小気味よく「チャンスをものにする」ための応援の様に感じました。主に六大学野球でその姿を拝見出来ます。どちらの大学の応援ががどうのという事は有りませんが、どちらも「必死さ」が伝わってきます。応援は「選手を鼓舞する」ためにある筈ですから、色々な形式があっていいと思います。敢えて言うなら「早稲田大学」の応援はその中間であるのでしょうか。

その際にその時音頭を取る方がいろんな口上を言うのでそこも面白いところです。

要は「本当のバカ」はある意味「丸腰」で何かを産むパワーがあるのです。そこが肝要で、最初は皆なにもかもゼロですが、そういう経験を踏んでいるのでなんて事は無く事にあたれるのです。そうしたら「強い」ですね。

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