第2話 嫌な事・不得意な事から逃げない
話の続きで「闘争心」とは何ぞや?と言うと、読んで字のごとく「闘い、争う心」です。では、何に対して「闘い、争う」のか?現状では「新型コロナ」ですが、こいつと「闘い、争う」心は「夜の街」でわいわい騒ぐ人間、騒いだ後電車に乗っていてもマスクもせず振舞う人間に備わっているのでしょうか?子供に聞いても答えは一緒です。
夜に騒ぐこと自体全然否定はしませんし、むしろ肯定派です。しかし、幾ら我慢していたとはいえ、「自分の振舞い」が「どういう影響が出るか」を考えていない人間には「闘う権利」すらないと思います。ですので「闘争心」は備わりません。という事は「社会で生きていけない」可能性が高いです。むしろ罹患して辛い思いをするのは「自業自得」という事になるやもしれません。まぁ、大人ですからその辺のリスクは勿論承知でしょう。
個人的な影響が「社会的影響」の一端であったなら、ある意味「犯罪」です。どう責任を取るのか経過観察したいところです。もう既に以前の「普通」が「特別」になっているのですから。厳しい事を言う様ですが、下手な「刹那主義」がまかり通るという現状ではなく、本当に「闘い、争う」事に従事している方々の身になって考えてみる良い機会だと思います。そういう人たちには「闘争心が備わって」います。
そういう方々は「嫌な事・不得意な事」を「面倒くさい」と片付けず、真っすぐ向き合ってきたはずです。最大の敵は「面倒くさい」という気持ちです。大抵の事は「面倒くさい」のです。人間は元々「さぼる」性質らしいですし。
それは私も含め、最初からそういう心持では無い人もいますが「逃げない」で向き合う事が肝要です。最初からできなくてもいいんです。最初からうまく行くなんてそんな事誰も思っていません。そう思うから「カッコつける」のです。失敗しないと成功の糸口は見えません。失敗して「恥をかく」「カッコ悪い」という気持ちが先行しすぎています。他人のそういう姿を指さして「嗤う」人間はその内淘汰されます。「失敗したくない」のですから当然ですね。成功法なんてSNSや検索エンジンにも載っている筈が在りません。ですが、用意周到に調べ上げて「成功」するのですが、そんなものは単なる「カンニング」です。ですから「経験」更に言うと「失敗経験」が何よりの糧になります。
赤ちゃんは色んないたずらをします。例えば「からし」をなめたとします。大人でも辛いのに赤ん坊なら殊更です。だから舐めなくなるのです。それは「経験」で知り得るのです。そこから「行動」になります。そうすると「成功」します。然程難しい話ではありません。
「闘争心」とは、「自分自身」との闘いから派生していきます。さんざん馬鹿にされて「この野郎」と拳を振うのではなく、「何くそ、いつか見返す」でも十分です。その気持ちを忘れない事が重要なのです。そうする度自然と「闘争心」が身について行きます。ですから、「面倒くさがらず、失敗をたくさん」してください。同調してくれる人が良き理解者となるはずと祈って止みません。
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