第2話
大学という施設に通うようになって一年半。
政治経済学部としてそれなりのことを頭の中に詰め、議論し、幾度となくレポートとしてまとめてきたけれど、それでも。
一番学びになったことは、一日が二十四時間で出来ているということだろう。
義務教育から高等教育に至るまでの十二年間の間。
時間割という制限と製薬の下、今日まで育ったことへの弊害だろうけれど、しかしこうも一日が長いとは思わなんだ。
授業はあって、一日平均三時間。必修の時間割にも恵まれた結果、週の三回、学校に通いさえすれば基本的には事足りるスケジュール。
また長期休暇も本当に長期で、二ヶ月ある夏季と冬季のそれぞれ二回。
軽四ヶ月の休日がこの学徒には提供されている。
それでいて学費は高校の二倍ほどかかるというのだからなんとも世間というのはわからないところである。
「相変わらずの馬鹿だね、君は」
前の席。
いつも通り、頼んだサラダセットなる定食にフォークを突き立てつつ、口を開く
「君は大学という施設を本質的に理解していない」
草食動物じゃあるまいし、一体何が楽しくて598円も払ってサラダを買うのだろう。
そんな疑問を先日ぶつけたところ、また同様に「馬鹿ね」と言われたのを思い出した。
「大学の言う学費というのは『授業費』ではないんだぜ。学校に関わる『施設、設備の維持費』のことを言うんだ」
申し訳程度に乗っているスモークサーモンをレタス共々口へ運びながら彼女は言う。
「教授は私たちに教育を施すために存在しているのではなく、日本の、先進的な学問研究維持のためにいる。私たちが払っている学費はそんな彼らの給料や、あるいは、そこでする高等研究の費用に用いられているわけ。私たちの指導なんてついでもついでだよ」
「ついでのわりには、ずいぶん出席とか単位には厳しいがな」
「厳しい? 特段出席をする必要もない授業に教科書を覚えれば合格点が取れて、挙句、相対評価なんていう勉強さえすればいい環境。挙句、教授のほとんどはこちらに無関心で寝ていようがスマホをいじろうが基本無視。これの一体どこが厳しいのか」
「……まあ、そうだけど」
「それなりに学ぼうと思えば思うだけ、応えてくれる環境じゃないか。あなたも学費の無駄を嘆くぐらいだったら、まずはいい成績を取ってからにしようか、ね?」
前期の試験、悲惨だったでしょ。
と言いつつ、もぐもぐと。
格好よく、姿勢良く。
どんどんと口へ緑を放り込む。
反対、俺のサバの味噌煮定食はまだ一品も消費できていない。
俺は取り終えたサバの骨どもを端に避けつつ、言う
「そんな、言うほど酷い成績じゃなかったと思うけどな」
「単位をギリギリ落とさなかった成績を酷くないと言っている時点であなたの程度が知れるね。大体、それだって、私が直前に相当助けてあげたからじゃないか」
「……はい」
それはもう。本当に。
過去問から、レジュメから、試験範囲の諸々まで。
ただでさえ、友達の少ない俺だ。
前回のテスト、その大半の点は彼女の助力によるものだろう。
下手をすれば、今日も未だ必修の面倒な科目に忙殺されていたかもしれない。
彼女は続ける。
「まあ、同じ学年、同じ授業、何より同じ部活で同じ班同士だ。君を助けることは私の利益につながることも多い」
だから特段気にすることでもないけどね。
これからもお姉さんを、どんどん頼ていきなさいな——なんて、そんな言葉と同時。
ごちそうさまと、その手を合わせて、彼女はトレイを置きにいった。
どうせまた、すぐに帰ってくる。
おそらく、野菜ジュースを片手に持って、にやけながら、カッコよく。
話好きの彼女は会話をしに、ここへ帰ってくるだろう。
先週、その会話のせいでほとんど食事にありつけなかったことを思い出した俺は、ここぞチャンスとばかり、サバを載せて白米を口へかき込んだ。
彼女——桜井悠里との出会いはわかりやすく部活だった。
大学で、部活と言葉を並べると、どことなく体育会系を想像してしまうだろうけれど、しかし実際、俺が所属しているのは文化系。
劇団である。
高校のある時期を除けば、ほとんど演技などしたこともなかった俺は、もちろん部活の演劇という、明らかに真面目で本気な人たちの集まりに参加する気力は毛頭なかった。
というか演劇に限らず、部活というものに今更入る気はなかった。
だからと言って別に大学中にやろうと決めていたこともなかったのだけれど、しかし少なくとも部活などというものに、あるいは何かしら演技をすることになる組織に俺は所属する気は本当になかった。
そんな中で、最初、授業、オリエンテーション。
「ねえ、君。劇団に入って見る気はないか?」
多くの人がなんとなく一つの隙間を開けながら席に座っている中、唐突、真隣に座った桜井悠里に勧誘を仕掛けられたとき、当然俺は驚いた。
最初、彼女の容姿がとても綺麗なことも相まって、これが噂に聞く、美人局かあるいは宗教の勧誘的なものなのかと勘違いしてしまったぐらいなのだが、しかし実際彼女の容姿やスタイルを見る限り、その爽やかかつスポーティで中性的な彼女の雰囲気からはそれら両方の雰囲気も感じなかった。
そしてそれから、まあ、何度か。
断り続ける俺と誘い続ける桜井悠里という姿が教室の中で散見された。
その頃は今のように山紫と行動を共にすることも少なく、また俺のコミュ力に劇的な上昇が見られてということもなく、いつも基本はただ一人。
授業前、席に座ってスマホをいじる俺の隣。
「やあ」
と。
一言添え、彼女は隣に来続けた。
来続けて、勧誘をし続けた。
「まあ、最後は根負けって感じだったけどね」
桜井は笑う。
手には野菜ジュース。
それを少量ずつちびちびと飲み込んでいた。
「なんだっけね。ちょうど……そうだな。一年前ぐらいじゃないかな。君が首を縦に振ったのは」
「だっけか」
「うん、そうだよ。そうだった。君が確か試験対策で手間取って、死にそうだった時、私が優しげに手を差し伸べたんだ」
「……そうだったか?」
「なんだい? 忘れたのか? 君が試験勉強もろくにせず、また範囲もわからず資料もないのを私が教え助けてあげたんだ。その後、無事、試験が終わり、単位取得に至った君が、涙ながらに感謝を示して僕のお願いを聞いてくれたわけじゃないか」
いやか、駄目だね多和田くん。
事実はしっかりと記憶しなくちゃいけないよ。
なんて、ウィンクと同時。同学年とはいえ年上らしくお姉さんぶってくるも、しかし、記憶が正しければ俺がこいつの前で泣いたことなど一回たりともないはずだし、また感謝の言葉を言ったこともないのだが、はてさて。
これはいつもの水掛け論になるのだろうか。
「いや。今のは大分私が盛った。すまんね」
「……ん、なんだ。ずいぶんと今日は物わかりがいいな」
「私がつまらない理屈屋と思われても釈だしね。自分の非はしっかり認められる女であることをアピールしたいのさ」
「ああ、そうかい」
「実際は……そうだね。困り果てていた君に、私が交渉を持ちかけたんだ」
「交渉……?」
「違ったかな」
「脅しだろ、あれは」
まさに脅し。綺麗に脅し。
飲まねばきっと、俺は停学、あるいは退学になっていたことだろう。
桜井は「ははっ」と愉快に笑った。
「まあ、あれだね。カンニングの容疑をかけられるとは君もまだまだ甘いよ。机の中はわかりやすすぎる。やるからにはばれずにやらなきゃ」
「いやだから……あれは俺のじゃねえって」
「まあ良くても単位没収だったからね。きっと卒業するまでに後一年、余計にこの学校で過ごすことになったろうさ」
私と同い年で卒業だ。
年度は違くなるけどね。
なんて。
面白くもなければ別に自虐にもなっていないそんな自分の浪人情報を織り交ぜつつ、思い出すように桜井は笑った。
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