第10話「影の王・共闘」


「これは予想を遥かに超える敵が出たと想定するのが妥当ですね」


 黒縁の眼鏡を指で上げ、ジェストは淡々とした口調で言った。


 現在、ジェスト、ベシア、セリナの三人は洞窟内の中枢部に向かい、歩を進めている。

 先程洞窟全体に走った魔力の圧力は、今は感じられず、静かな空気が漂い辺りには魔物の気配すらない。


 ロイと行動を共にしていた時、『影の王』の存在が現れるまでは確かに多くの魔物を感知出来たはずなのに、周囲は不気味なほど静かで、通る風の音だけが岩壁に反響し、聞こえている。


「すいません。少し止まってもらえますか?」


 ジェストは歩みを止め、その場に静止する。


「ん? 何かあったのか?」

「いえ、少し外と連絡を取るので、周囲の警戒をお願いしてもいいですか?」

「アンタの遠話魔法かい? でもアレは洞窟内や遮れた空間じゃ使えないってこの前言ってなかったか?」

「あー、あれは普通の洞窟の場合ですよ。ここは精霊がかつていたとされる霊場スポットの一つなので、魔力を増幅し、尚且つ外の霊場スポットと交信可能というわけです」

「……まぁ、そういう細かい事はアタシは分からないからね。とりあえずは、任せたよ」

「はい」


 会話を終えるとジェストは小さく息を吐く。

 銀の杖を地面に三度鳴らし、言葉を紡いだ。


「深淵を繋ぎし、ゆりかごの旅人よ、今一度の安らぎと共に、世界を渡し、導け――フロウネット」


 サァー、と周囲の砂がジェストを中心とした風に押され広がてゆく、それは波紋の様に大きく輪になり、水面に雫が落ちた様子を思い浮かばせる。



 そして、静寂が訪れ二分程――ジェストはゆっくりと口を開けた。


「とりあえず概要だけは外に伝えました。S級以上――おそらくは『影の王』クラスの魔物が出現したと」

「影の王って少し大げさに伝え過ぎじゃないのか? あの魔物は既に先代勇者が倒してるだろ?」

「ですが、あれ程の魔力を発する存在を何と言います? 魔王だとでも? それこそバカげてます。魔王は現在魔領の遥か北にいるはずですから」

「はぁ……、まぁ別にどっちでもいいんだけどね、こっちは。とりあえずやる事もやったし先に進むよ? 気を引き締めな」

「分かっています」

「う、うん……!」


 ジェストとセリナはベシアの声に頷き、慎重を期した上で、なるべく早く歩みを速めた。




□□□




 時間は進み、外に情報が伝えられてから一時間程が経過していた頃――



 俺は手を膝につき、大きく肩を上下させる。

 全身から汗が噴き出て、今にもこの場に倒れ込みたい衝動を何とか堪え、顔を上げた。


 目の前には大きな岩があり、その間に空いた真っ黒な穴がこちらを見つめていた。


 ここは『精霊の洞窟』

 かつて多くの自然を保っていた精霊が住んでいたとされる土地。

 今は精霊信仰はすっかりすたれ、こういう”抜け殻”の様な場所が各地に点在している。

 そして、精霊が住んでいた土地は非常に魔力の濃度が濃く、魔物達がそこへ住み着けば異様な姿に変貌するとまで言われる。


 なので、この洞窟の魔物討伐は定期的に行い、異常種イレギュラーが出ないようにしてきた。

 しかし、ここはかなり広い洞窟。どうやら見逃しがあったようだ。


「モモ、準備はいいな?」

「もちろんですっ」


 くるりと一回転周り、モモは自慢の黒いスカートをフワリと躍らせる。

 そして、フェイとは違う大きな胸を弾ませた。


「よし、行くぞ」


 俺は大きく息を吸い、吐き出す。

 しばらくはこの外の空気も吸えなくなる。


 気合いを改めて入れ、俺達は精霊の洞窟へと足を踏み入れた。




□□□




 大きな過ち犯した人間には必ず天罰が与えられるという。


 今、世界に普及している教会の教えの一つだ。


 神とその対になる女神を崇拝する宗教で、世界中の多くの人がこの信仰を心の拠り所にしている。

 オレ自身はそんなでもなかったが、ボンドなんかは熱心な信奉者で、週二回は村に会った教会に赴き、お祈りをしていた事を思い出す。




 眼前まで迫った無数の影の手にオレは歯を食いしばる。


 諦めるわけにはいかない。

 オレは勇者だ。

 世界を救うという使命、そして魔王を倒すという神命を持つ選ばれし人間。


 そういった人間は、諦める事を許されない。


 いつもの横柄な態度も、乱暴な物言いも、勝手な行動も――全ては勇者だから見逃してもらっていたものだ。


 何も力の無い人間が同じ行動を取れば、誰も近寄らなくなるし、関わってこないだろう。


 そう、オレがもし勇者じゃければ、誰もオレを気にしない。

 誰もオレを助けない。

 誰もオレを見つけてくれない。



 絶望してはいけない。

 まだ微かだが戦える力は残っている。


 そう分かってはいても、心に広がっていく絶望は止まらなかった。


 今までこんな危機的な状況はいくらでもあった。

 なのに、なんで、今回はこんなにも心が折れそうになるんだ……!

 今までと何が違う!


 そうしてオレは周囲をぐるりと見回した。


 相変わらずフェイは倒れていて、それ以外に立ってる人間は誰も”いない”。


 そう。

 この場には、オレとフェイ以外誰もいないのだ。


 そのとっくに知っていた現実を目にして、オレはやっと気付いた。


 あぁ、そうか……。

 いつもはこんな状況でもオレには、”仲間”がいた。

 ジェスト、ベシア、セリナ、モモ……あとついでにアルスも……。


 彼らがいたからオレは絶望せずに立ち上がれたのだ。


 多くの人間を守るなんて大層な理想を掲げても、結局は身近にいる人間を守りたいという欲求が無ければオレは本来の力を発揮できない。


 ……勇者なんて、オレには似合わない。

 オレはただ、近くにいるアイツらを――”仲間”を守りたいそれだけだったんだ……。



 やっと気付いた自分の本心。

 ずっと黒い嫉妬や憎悪の内の中にあった自らの想いに気付き、オレは笑みを浮かべた。


「ったく、気付くのがいつも遅せぇんだよなオレって……」



 視線を前へ向ければ、既に目の前まで迫った影がオレを襲おうとしていた。

 世界は何故かゆっくりと動き、一秒の時間が何故か一分にも感じる。


 こんな状況なのに頭に浮かぶのは戦う事や逃げる事ではなく、くだらない昔の思い出や仲間と共に冒険した日々――


 これが、走馬灯って奴なのか……?


 自らに迫る死を感じ、オレはゆっくりと目を閉じた。




「何やってるんだこの馬鹿勇者ッ!!!!」


 鳴り響く怒号。


 聞き慣れた女性の声が後ろから聞こえる。


 そして、こちらへ駆けてくる数人の足音。


「ロイ君っ! フェイちゃんっ! 大丈夫っ!?」


 視界の端に桃色の髪が揺れ、一人の女性の姿が目に入る。


 清潔感の溢れた白い服に身を包んだ聖女――セリナ。

 彼女は息を切らせ、こちらへ近付いてくる。


「セリ、ナ……?」


 薄く、小さい声に少女は涙を浮かべ頷く。


「もう……二人でこんな化け物と戦うなんて無茶し過ぎだよッ!」


 涙と安堵を浮かべる彼女の声はとても怒っていて、とても心に響く。


 そして、セリナの後ろから赤髪の褐色女性――ベシア。

 それに続き、青髪に眼鏡を掛けた青年――ジェストが姿を現した。


「まったく、馬鹿もここまでくると清々しいねぇ」

「ええ。まさかあの影の王相手にたったの二人で挑むなんて、無謀を通り越してアホですね」


 容赦のない視線とツッコミ。


 少し前までの”オレ”なら、イラつき、彼らに突っかかっていっただろう。

 しかし、今は”違う”。

 仲間の大切さと尊さを実感し、オレにとって彼らが無くてはならない存在だと認識した。


 だからこそ、今のオレに浮かんでくる感情は――申し訳ないという素直な謝罪の気持ち。

 

「あぁ、本当だな……さっきは、その……オレの勝手な行動と、その……色々と悪かった……」


 謝るにしても、とてもじゃないが面と向かって素直には言えず、オレは思わず下を向く。

 身体は傷ついているはずなのに、何故か今は痛くなくて、羞恥と何とも言い難い感情で埋め尽くされる。


「ッハ、何さ、謝れるんじゃないか」

「まぁ、ロイさんがそういう気持ちを伝えれる人間なら、僕もまだ夢を諦めないで済みそうです」

「うん。ロイ君、私も叩いちゃって、その、ごめんね?」


 三人から今までとは違う温かい視線と言葉が送られる。


 正直、この言葉一つで今までやってきた事全てが洗い流せるなんて思わない。

 おそらく、オレの根本……怒りっぽくて、乱暴で、独断行動を取りやすいという悪癖もまだこれからも続いていくと思う。


 でも、今――ここからオレは新たに生まれ変わる。


 今までを見つめ直し、少しずつだが彼らと共に歩んでいこう。

 そして、出来る事なら彼らを守り、”彼らから守ってもらおう”。


 オレは覚悟を決め、立ち上がる。


 全身の筋肉や骨が悲鳴を上げ、開いた傷口からは血が滴り落ちる。


 それでも、今のオレにはこんな傷痛くも痒くもない。

 だって、オレにはコイツら”仲間”がいるから――




□□□




「とりあえず、アンタは下がってな」


 ベシアは片手で立ち上がったロイを制止し、空いた手で担いでいた斧に手をかける。


 一瞬何か言いたそうに何度か口を動かせたロイだが、何とか堪え、頷く。


「セリナさん、とりあえずはロイさんとフェイさんの治療に専念してください。ここからは”僕ら”がやります」

「わかった! 二人とも気を付けてね!!」


 セリナがロイを連れ、フェイの元へと走って行く様子を確認し、ベシアは眼前の敵を見据える。

 

 大きな影。

 そうとしか言い様がない禍々しい”それ”にベシアは久しぶりの恐怖を覚える。


 今まで彼女が感じてきた恐怖はそう多くはなく。

 一度目は自らの目で魔物を見た時。

 二度目は初めて人を殺した時。


 彼女が経験した恐怖は今までこのたった二つ。


 しかし、今日でそれは三つになる。


 目の前にいる”影の王”。

 その存在を認識するだけで、手が震えた。



「もしかしてベシアさん、ビビってます?」

「はぁ? 誰が何をだ? もう一回言ってみな眼鏡小僧」

「小僧じゃないですし」


 ジェストの珍しい軽口。


 いつもの調子で返すと、いつの間にかベシアの震えは止まっていた。




「それじゃ、いきますよっ!」

「おうともさ!」



 ジェストの声を合図に、ベシアは地面を蹴り上げる。



 ベシアの戦闘スタイルは至って単純シンプルだ。

 魔法を使う才能に恵まれなかった彼女だが、何故か常人離れした魔力を持っていた。

 その魔力は物理的な破壊力を持ち、触れたモノに衝撃を与える。

 そして彼女はそんな魔力を生かし、気付けば多くの戦場を駆けた。

 結果、いつの間にか傭兵長と呼ばれ、誰からも畏怖される絶対的な強者になっていた。



 蹴った地面から土埃りが舞い、宙に踊る身体は何度か縦に回転し、振り上げた斧は魔力を帯び紅く迸る。


「くらいな!! 撃墜斬ッ!!!」


 ――ドンッ!!!!


 大きな音が響き、影は叩きつけられた様に地面へとめり込む。


「言っとくが、まだままだ続くよッ!!!」


 斧を両手で握ったままのベシアは更に回転速度を増し、地面の影へ向かい、どんどんと加速していく。


「はぁぁあああああああ!!! 撃墜斬・連ッ!!!!!」


 ――ドォォォォンッ!!!!


 地鳴りを起こす程の威力。

 人間が出しうる力を超越した攻撃が影の王へと直撃する。


 地面が抉れ、揺れによって岩の壁から石が転げ落ちる。


 まさしく必殺といっても過言じゃない一撃だろう。



 しかし、そんな攻撃を受けても尚、影はその闇を広げ立ち上がる。


「ッチ、これじゃダメか……!」

「ベシアさん離れてくださいッ!!」


 後ろで長い詠唱を行っていたジェストが高く声を上げる。

 それに反応し、ベシアは地面に着地すると同時に一気に後方へと下がった。


「――我に集いて、放たん――雷槍・双牙ッ!!!」


 ジェストの真上に大きな二本の槍が現れる。

 その槍は紫の雷を帯び、走る電流が弾け、その度に地面に小さな穴を開けた。


 銀の杖を勢いよく振ると、それに呼応して槍も影へ向かい動き出す。


 ――ッ!!!!!!


 槍を防ごうと無数の手が壁の様に折り重なる。


 が、迸る雷光はそれをいとも容易く打ち破り、勢い更に加速させてゆく。


 ――ッ!!!!!!!!!!!!


 影の壁が何層にも重なり、今までとは比べようもないくらい大きな障壁となる。


「無駄ですよ」


 ジェストの言葉と共に、やはり壁は無慈悲にも破られ、雷の槍は影の身を貫く。


 ――ッ!?


 声なき悲鳴が轟く。

 ズン、と影は地面に沈み。


 そして、ゆっくりとその形を崩し、溶けてゆく。



 あまりにあっけなく終わり、ベシアは少し不満そうに口を尖らせた。


「ったく、この程度かい? 拍子抜けもいいところだよ。むしろ、あの勇者こんな雑魚にあれだけ苦戦したとか信じられないね」

「まぁ、S級に近いA級程度ってところでしたね。正直、最初見た時は恐怖すら感じたんですが……見掛け倒しってとことですか」

「だね。アタシも人生で三度目の恐怖を味わったんだが、どうやら勘違いだったようだ」


 二人は気を少し緩ませ、少しの間会話をする。



「――おいッ!! 油断するなッ!!」


 先程同じ轍を踏んだロイは後方から大声を上げた。


「油断も何も敵は確かに……ッ!?」

「な――ッ!?」


 ロイの声に誘導されるかの様に倒した影の王へと視線を送ると、そこには再び大きな異質な影が広がっていた。



――しかも、七つも――



 闇の黒よりも更に濃い七つの影は揺らめき、無数の手が空洞を埋め尽くす。


 流石の英雄達や勇者もこの状況には唖然とする。


 一体ですらかなりの強さの魔物。

 なのに、それが七体も目の前にいるという現実。


 その事実を目にし、彼らの中で消えたはずの絶望が再び広がり始めた。


 ベシアは冷や汗を流しながらも斧を握りしめ。


 ジェストは再度呪文を詠唱し始める。


 治療が済んだロイも立ち上がり聖剣の元へ駆け。


 セリナもフェイに治癒魔法をかける手を止めない。


 皆、諦めず戦う意思を見せている。



 それなのに、心のどこかでもう諦めろというもう一人の自分が消えてくれない。

 そんな葛藤を各々の胸に抱き、彼らは一歩踏み出そうとする。


 目の前と内に宿る絶望に立ち向かうために――




 その瞬間だった――


 僅かに、洞窟内が揺れる。


 先程ベシアが地鳴らした揺れとはまた別種のモノだ。


 その揺れは不規則に、断続的に続き――



 大きな轟音と落石と共に終わりを告げた。



 直径五メートル程の穴が開き、そこから決して差す事がないと思っていた”日の光”が洞窟内へ入ってくる。


 高く見えないと感じた天上から、太陽の日が差し、空洞の全貌を明らかにしていく。



 そして、その大穴から白銀の髪を風になびかせた一人の青年が降ってきた。


 腰に据えた銀の鞘。

 抜かれた銀の刀身は日の光を反射し、眩いくらいに輝いている。


 周囲を緑の風が舞い、白のマントを風に躍らせてゆっくりと地面へと着地した。


 そのどこか懐かしく感じる姿を見たロイ、ベシア、ジェスト、セリナの四人は同時に口を開く。



『アルス(さん)ッ!?』


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