第9話「影の王・遭遇」
「はぁはぁ……っぐ……」
額から滴り落ちる赤い雫が頬を伝う。
洞窟の中にぽっかりと不自然に空いた空洞で、オレは跪いていた。
全身から力が徐々に抜けていく感覚。
足元には大量の血の海が広がり、地面の土を赤黒く染めていく。
これは、ヤバい、かもな……。
流石に血を流し過ぎたのか、視界が霞む。
目の前に佇む黒く巨大な影を見ながらオレは、少しの”後悔”をした。
懺悔と言う程悔いてはいない。しかし、心の中でどこか贖罪を求めてる気持ちも存在していて、とても不思議な感情がオレに生まれていた。
多分、この一週間色々あった事が原因なのだろう。
アルスの追放に始り、パーティの険悪化、戦闘における亀裂、そして幼馴染が初めてオレに向けた感情――この全部がオレの中で渦巻き、様々な考えを巡らせた。
どうすれば良かったのか。
何をするのが正解だったのか。
どこから間違ったのか。
こういうモノは失って初めて気付く。
大切なモノほど当たり前で見逃しやすい。
この一週間でオレはそんな当たり前な事を学んだ……。
□□□
時間は少し遡り、
異常な魔力の圧を感じて先に進んでから、三十分程が経った頃――
オレ達は大きな空洞に辿り着いた。
天井は高く何も見えない。
今までの洞窟内とはまた違った闇の質を感じる。どんよりとしていて、どこか空気が重い。
そして、嫌な汗が流れ出る。
目の前に広がる真っ暗な闇に、オレは純粋な恐怖を感じた。
「いる……」
横に立つ灰色髪の少女フェイが静かにそう呟く。
少しだけ、意識を内に向け、周囲の気配を探る。
「ッ――!!」
思わず息を飲む。
眼前の闇はまさしく、先程の魔力の圧を発した化け物そのモノであり、そこから感じ取れた魔力量はまさしく”桁違い”であった。
逃げろ――竦む足、震える肩、オレの中でもう一人の自分が危険を発する。
しかし、身体は言う事を聞いてくれず、オレをその場に釘付けにした。
――戦いが決するのは一瞬だ。
前に家にやってきた一人の有名な剣士がオレに教えてくれた言葉。
もし、自分が圧倒的な敵に相対した場合どうするか、という話題の中で出たものだった。
彼曰く「実力が圧倒的に違う敵との戦いは、一瞬で決まる。しかしそれは勝敗の事じゃない、敵が圧倒的と分かってる時点で既に勝敗は決してるようなものだ。だから俺が君に教えたいのは一瞬で決まる――”生死”についてだよ」
数度教えてもらった事があるだけの、かつての教師の言葉をオレは今、この瞬間に思い出していた。
一つ呼吸をする。
相対してからまだ一分も経ってないだろうか。
頭に浮かんだ思考を整理し、咄嗟の出来事に備える。
大丈夫だ。落ち着け、相手もこちらの様子を窺っている。
今は冷静になる事が大切だ。
油断はしていなかった。
常に剣の柄に手を置き、いつでも戦える準備はしていた。
しかし――僅かに目を閉じて開くという人間として当たり前の、瞬きという行為。
こんな当たり前の動作すら、目の前にいる”影”には絶好の隙だったらしい。
気付けば既にオレの前には”無数の影の手”が迫っていた。
「ッ!? ッくしょうっ!!!」
間に合わないと悟ったオレは利き手を庇い、左を捨てる。
かつての師から教わった思いきり――もし無理だと勝てないと悟ったら生き残る事を優先しろ。どんな犠牲を払ってもだ、と当時は何とも思わなかったこの言葉が、今ではとてもタメになった。
「ッぐあぁっ!!!」
無様に右へ転がり、地面に倒れ伏す。
左側から焼ける様な痛みと、鉄の様な血の臭いが感じられた。
「あぁッ……っく……!」
上腕を爪の様な鋭利なモノで引っ掻かれた感覚。
服は切れ深くは無いが、腕から血が流れる。
大丈夫だ。
今の一撃で相当ダメージを負ったものの、まだ動ける……!
オレは片膝を着き、フラフラと立ち上がる。
――ッ!!
一瞬――そうとしか言えない間に再び無数の黒い手がオレへと迫る。
ッチ、なんだこれ、速過ぎるだろ……っ!!
「やらせない」
フェイの声が耳に届く。
こんな状況でも無機質なその声にどこか、頼りがいのあるモノを感じでしまう。
黒い影が目前に迫るが、影とオレの間に、薄く光る透明な壁が張られた。
フェイの魔法――断空。
ジェストやアルスも使えるかなり初歩的な防御魔法だが、シンプルであり、込める魔力が強ければ強い程その硬さは増す。
――ドンッ!!
張られた”壁”に激突した黒い手。
攻撃を阻まれたと知ると、瞬く間に暗い闇の中へと消えていく。
「まだ、くる……」
フェイの指摘にオレは唾を飲み込み、腰に据えられた鞘から、黄金の剣を引き抜く。
見事に抜かれた聖剣はこんな闇の中でも光り輝いていて、安心感をオレへと与えてくれる。
「くる……!」
フェイの宣言通り、先程までより遥かに多い無数の影がオレ達へ迫ってくる
「離れてろッ!! 我が剣は光の牙、無窮を切り裂く断罪の剣――」
黄金の剣身から無数の光が迸る。
光は徐々に広がり、暗い闇の中で太陽の様に光り輝く。
ぐっと力を込めると一気に光は集約し、教会の
「ッ! 光覇断裂斬ッ!!!!」
ありったけの力を込める。
全身が悲鳴を上げて、もうこれ以上は戦えない――そう直感する程の圧が掛かる。
まさに全力。
十字に集約された光の剣は真っ直ぐ目の前の闇へと振り下ろされ、闇に支配されていた洞窟を一瞬で明るくした。
「ッぐ! あぁ、ああああああああああ!!!」
確かに手応えがあり、跳ね返す様な力が剣から伝わってくる。
その力はオレと拮抗――いや、僅かにあちらの方が上で、徐々に振り下ろされた聖剣を押し戻す。
これは、今オレの出せる全力ッ!!
ここで引けば、命は無い!
絶対に負けるな!
勇者だろッ! オレは!
両手で握られた手から血が滲む。
でもそんなのは気にしてられない、今は、目の前の、この
「助ける……!」
横で見ていたフェイがポツリと呟く。
視界の端で映った灰色髪の少女は、懐から
「千の陽炎、無限の泉、挽歌の草原、全てを無に帰す、絶歌の終焉、我は放ち求め至らん――無限球ッ!!!」
タクトを軽く振るい、それと同時に影の真上に透明で巨大な球体が出現する。
フェイが行使する無属性の魔法――無限球。
透明な球体はどんな物体も、物質も通さない、無を司る絶対な力。
力無き者はそれを前に消え失せ、力有る者はそれを前に押し潰される。
――――ッ!!!!!
影はどんどんとその形を沈め、地面へと押し付けられる。
地面が音を立てて軋み、
ドン、と轟音を立て、地面に大きなクレーターが出来る。
「うぉおおおおおおおおッ!!!」
止めとばかりに、最後の力を振り絞り、全力で光の剣を振り下ろす。
――ッ!!!!!!!!!
影から声なき悲鳴が聞こえた。
そして、光の剣が確かに目の前の影を斬った感触を得る。
再び、大きな轟音が響き、クレーターは更にその大きさを増す。
気付けば、目の前にあった異質な闇は消え、静かな闇が戻ってくる
やった……のか?
自分でも信じられない状況に少し安堵と不安が過ぎる。
一分程、眼下を見つめ、そして”勝った”と確信を得た。
光の残滓が周囲に舞い、消えていく。
かつて師からは圧倒的な相手から逃げろと教わった。
勝てない敵とは戦わず、生きるための術を探せと。
しかし、それはあくまで一人の場合――”仲間”がいればその限りじゃない。
隣にいるフェイの存在を感じながら、そんな思考を巡らせた。
そして、光を纏った聖剣が徐々に元の金の輝きへ戻り、フェイが作り出した無限球も消える
オレ達が見つめる先には、大きく陥没した穴。
フェイの助力もあって、何とか影の王を”倒せた”
「これで……!」
額に汗を滲ませるフェイから少しの高揚を感じられた。
しかし、遠目で見ても分かる疲労。
やはりあれ程大きな無限球を作るのには、相当な魔力が必要だったのだろう。
なにより、この場所は魔力の濃度が濃い。
魔法使いにとって魔力の濃度が濃い方が大きい魔法を使えるので、実際濃ければ濃い程魔法の威力は上がるから良くはあるんだが……。
あまりに濃過ぎると魔力の威力が跳ね上がって、制御が難しくなるのだ。
もちろん、制御にはとてつもない精神力が必要で、精神力が尽きれば気を失ってしまう。
「はぁはぁ……」
大きく肩を上下させ、疲労を
ヤバいな、相当精神力使ってやがる。
「……?」
オレがほんの少しフェイの様子を目で窺った時、
いつの間にか地面まで広がっていた真っ黒な”影”。
な――ッ!?
”倒した”はずじゃ――確かに手応えはあった、なのにっ!
驚きの言葉が出る前に影から無数の手が伸びた。
「――しまッ!?」
気付いた時には既に遅く、伸びた手の影がオレとフェイを襲う。
「――アアアッ!!!」
「――ッ!!」
無残にもその攻撃を防御無しで受けたオレ達は、全身に敵の攻撃を食らう。
腕の皮膚が切れ、額からは血が滴り落ち、全身の骨に圧が掛かる。
身体全身から流血し、意識が徐々に朦朧とする。
――たった、一撃でこれなのか……?
あまりの威力の強さに、絶望が深くなる。
何とか膝立ちで倒れる事はしなかったオレだが、横にいたフェイはそのまま地面に伏していた。
依然、目の前で黒い影が無数の手を蠢かせ、こちらを見つめている。
影の攻撃によって手放した聖剣が少し離れた位置に刺さり、地面にはオレから流れた赤い血が広がる。
まさしく、満身創痍。
影の王が強いと分かっていた。
しかし、オレならやれると思った。
そうだ。確信があった。
でも、今はどうだ?
やれるか?
こんな化け物相手に?
勝てるのか?
独りで?
そんな身体で?
”仲間”もいないのに?
もう一人の自分が心の中でオレを嘲笑う。
「チ、ク……ショウッ!!」
不甲斐ない、あまりに不甲斐なさ過ぎるぞッ!
勇者ロイッ!
何が魔王を倒すだッ!
何がオレの前から消え失せろだッ!!
アルスが、仲間がいなくてこんな様のオレのどこが勇者なんだよッ!!!
心で誰にも届かない悲痛の声を上げた。
敗北するのは、地に伏すのはこれが初めてじゃない。
何度だってある。
でも、今回のこの負けは、オレにとって、今までで一番”堪えた”。
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