第7話「上手くいかない攻略」


「ッチ……!」


 目の前を遮る赤黒い巨体。


 そこから振るわれる強烈な一打を何とか剣で弾き、態勢を立て直す。

 鉄で出来た槌は重く、弾いたオレの右手は痺れ、痙攣していた。


「避けてくださいロイさんっ!」


 後方から青年――ジェストの声が洞窟内に響き渡る。

 後ろで魔法を詠唱するジェストの声が耳に届く。

 本来ならいつもここで避け、ジェストの魔法で敵を崩してからオレの一撃を食らわせて終わる。


 そう――本来なら……。


「うるせぇっ!! この程度の魔物俺一人で十分なんだよっ!!」


 激昂する感情に合わせ聖剣から光が迸る。

 光の粒は暗い洞窟内を明るく照らし、相手の魔物の姿をハッキリとさせた。


 赤黒い体に牛の様な角を持った魔物『赤の牛王レッドミノタウロス

 本来はその毛は真っ赤に燃え盛る炎を連想させるが、目の前にいるコイツは全身が黒ずんでおり、紅く光る双眸が不気味さを増長させていた。

 おそらくこの黒いのは今まで殺してきた人間や冒険者の返り血であろう。

 それだけで目の前の化け物が強敵である事が分かる。


 しかし、オレは止まらない。


 後ろからベシアやジェストの怒鳴り声が聞こえてくる。

 だが、気にしない。


 だって、オレは勇者だ。

 独りでだってこの魔物を倒せるし、魔王だって討伐出来る。


 そうさ、アイツが――アルスがいなくなってオレはやれるんだッ!!


「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」


 何度も、何度も、聖剣と槌がぶつかり合う。


 その度に火花が飛び散り、嫌な金属音が周囲に木霊する。


 強い、確かに強い。

 でも赤の牛王レッドミノタウロスはA級指定の魔物だ。

 オレを含めて、ここにいる人間なら誰でも単独で倒せるだろう。


 ――なのに、オレの剣はアイツに届かない。


 隙を伺て、打ち合いの合間に急所を狙うが、その全てがあと数センチのところで躱される。


 なんでだ、なんなんだッ!

 まさか、こいつ進化種なのか…?

 でも、それだってオレの聖剣が届かない相手がいるわけ――


「はぁあああああああ! 絶断衝ッ!!!」


 真後ろからベシアの声が響き、地面が勢いよく抉れていく。


「ッぐぁ!!」


 後ろから攻撃が飛んでくると予想していなかったオレは無様に横へ吹っ飛び、壁へと激突する。


――ガァアアアアアアアッ!!


 赤の牛王レッドミノタウロスの咆哮が耳に届き、そして洞窟の中から化け物の気配が消えた。

 今のベシアの攻撃で倒されたのか……?

 いや、今はそんなのどうでもいい、それより――


「――ッ! て、てめぇベシアっ!!」


 ぶつけた鼻を擦り、目の前で斧を担ぐ紅髪の女性、ベシアに詰め寄る。

 不敵な笑みと共に見据える黒い瞳にオレの神経は逆撫でされた。


「クソがッ! 何考えてるんだよお前ッ! もし今の一撃でオレが重傷負ってたらどうするんだ!」

「っは、あの程度で重症負うくらいの貧弱な勇者ならどっちみち魔王なんて倒せないさ」

「今はそういう事を言ってんじゃねぇんだよっ! 何で警告も無しにあんな大技ぶっ放したのか聞いてるんだ!」

「あぁ? 警告はしたさ、でもアンタ全然聞いてなかっただろ? それにジェストの声にだって反応しなかった。それでもあの魔物を倒せるなら文句はないさ……でも、さっきのは何だ? あんなへっぴり腰でちぐはぐな呼吸で剣を振るって、あんなんじゃいつまで経っても赤の牛王レッドミノタウロスは倒せなかったよ」


 ベシアの言う事実が胸に刺さる。


 あぁ、言われなくても分かってるさ、分かってるっ……!


 オレが振るっていた剣が今までの精彩さを欠いていた事や、周りの声を無視していた事。

 分かりきった事実がオレを蝕み、心の奥底から黒い感情が湧いて出る。


「黙れよッ!!! ここは”オレの”パーティだ! お前らは”オレの”モノなんだよッ!! 正論なんていらねぇ! 黙って”オレ”に従ってればいいんだっ!」


 喉が切れそうなくらい大声で叫んだ。

 暗闇の洞窟にオレの声は空しく反響し、酷く薄汚れた声だと実感させられた。


少しの沈黙、そして––


「あー、そう。分かった」


 拍子抜けするくらい呑気な声でベシアは言った。

 手に持った斧を背中に担ぎ、こちらへと背を向ける。


「アタシこのパーティから抜けさせてもらうわ。今までどうも」

「ッな――!」


 待てよ、ちょっと待てよッ!!

 何でそんな急に――


 口にそう出そうとして、オレはぐっと堪えた。

 流石にこれはもう惨めを通り越す、そんな空っぽなプライドがオレを踏み止まらせる。


 しかし、次に声を上げたのは予想外の人物だった。


「僕も、抜けさせてもらってもいいですか?」


 こちらもまた淡々とした口調。

 しかし、青髪の青年ジェストからその言葉が告げられると思っていなかったオレは酷く狼狽する。


「な、なんで、お前まで……」


 いつも冷静沈着で、使命に忠実。

 やる事、言う事、全てが的を射ていて、このパーティの司令塔のジェスト。

 今までだって何度も衝突してきたし、オレとは元来合わない性格だって事は分かってる――でもそれでも、最後にはいつもオレの味方をしてくれたコイツまでもが、このパーティを抜けるって言うのか……?


「出来る事なら自分自身の手で世界を救いたいと思ってました。でも、どうやらロイさん――アナタと一緒だと僕の望みは叶わなそうなので。他に賢者もいます、僕じゃなく彼らに協力を要請すれば、多分了承してくれると思いますよ」


 声はいつも通り、しかし眼鏡越しに見えたジェストの蒼い瞳は冷たく、オレの喉から声を奪った。


 どうして、どうして、コイツまで――ッ!!


「では、僕もこれで失礼します。今までお世話になりました」


 銀の長い杖を鳴らし、ジェストは一礼してベシアの後に続いていく。

 向けられた背中に、オレは力が抜けていくのが分かった。




□□□




 その場にへたり込む。


 二人に別れを告げられてからどれくらい経ったのだろうか?

 十分?

 一時間?

 それとも、半日?


 暗い闇が支配する洞窟ではどのくらいの時間が経過しているのかも分からない。


「ロイ、君……」


 少し前の酒場の時と一緒だ。

 残ったのはセリナとフェイ。


 投げかけられた声にオレはビクリと肩を震わせ、ゆっくり顔を上げる。


 正直、目の前の幼馴染の顔を見るのが、恐かった。

 彼女は、どんな表情でオレを見るのだろうか……?


 軽蔑?

 蔑視?

 嫌悪?

 憎悪?

 同情?


 今まで見てきたセリナの顔が、オレの中に浮かぶ。

 ダメだ、今どの表情を向けられても、オレはきっと彼女を傷つける。

 だから、顔は絶対上げちゃいけない――


 そう思う心とは裏腹に顔はどんどん下から上に上がり、気付けば目の前にセリナの顔があった。


 その顔は――哀れみを浮かべていた。


 あぁ、駄目だ、その顔は駄目だ……!!

 だって、その表情はよくアイツが――アルスがオレに向けていた顔なんだから……!


「ロイ君、立てる……? とりあえず、今日はここの洞窟の攻略は諦めて、外に出よ?」


「……黙れ……」


「……え?」


「黙れって言ったんだッ!!!」


「ッ!!!」


 乾いた音が暗闇に消えてゆく。


 オレの平手が、セリナの頬を叩いた。


 その事実に、耐え切れず、思わず下を向く。

 本当はこんな事したくない、したくないのに体の奥底にある黒い感情が止め処なく溢れてきて、勝手にオレの口と身体を動かす。


「お前、何様だ?」


 やめろ……!


「何で勇者のオレに命令する?」


 言いたくないッ! こんな事言いたくないんだッ!!


「消えろ、オレの前から消え失せろっ……!」


 もう、やめてくれ……これ以上、自分を、オレ自身を、嫌いにならせないでくれ……!



「私、でも……え、っと……そ、の……ぅッ……!」


 すすり泣くセリナの声が、オレにどんどんと罪悪感を植え付ける。

 明らかに、オレが悪い。

 頭では分かってても動いた口は止まってくれない。


「っふ……、どうせお前もアルスだろ? アイツがいいんだろ? あんな戦場から逃げ帰ってくるような腰抜けが!」


 今は全く関係ないアルスの話題。

 でも、オレとセリナの共通する話題で、オレの中でずっと燻り続けて、小骨の様に刺さってる感情……。


 ――しまった、と思った時にはもう色々手遅れで……。


 再び乾いた音が響き渡る。


 今度はオレじゃない。

 右の頬がズキズキと痛む。


 そう、オレは今叩かれたのだ。

 目の前で大粒の涙を桃色の瞳に浮かべる女性――セリナに。


「……最低ッ……」


 どんな状況でも、どんな時でも、決して憎しみやそういった感情を表に出さなかった彼女が、初めてオレに怒った。


 今までどんな罵倒や蔑視を受けても、膨れ上がるだけだった黒い感情が一気に吹き飛ぶ。

 もちろん、消えたわけじゃないが……、それでもオレを冷静にしてくれた。


 しかし、事態はもう遅い。

 冷静になったオレに一瞥もくれず、セリナはその場から駆けて行った。



 静まり返った洞窟がとても恐く感じる。

 独り――いや、まだフェイがいたか……。


 横に立つ灰色の髪の少女。

 彼女の表情は無表情で、傍目から見ても何を考えているか分からない。

 ただ一つはっきりしている事は、この少女はアルスの弟子で、俗に言う天才で殆どのモノに無関心だという事……。


 そんなフェイはこちらには視線を向けず、この先にある洞窟の闇に黙って藍色の瞳を向けていた。


「くるよ……」


「え……?」


 あまり聞いたことない少女の少し高い声が小さく聞こえた。



「――ッ!!!」


 ――その直後、異様ともいえる圧が全身に負荷を掛け、思わず息をするのすら忘れてしまう。


 この圧、魔王クラスなのかッ――いや、でもここには魔王はいるわけがなくて、でもこれは――!!


 洞窟内が魔力の圧だけで軋む。


 音を立て、岩だらけの壁は石を落とし、このまま崩壊するんじゃないか――そんな不安を頭に過ぎらせた。



「影の王……」


 フェイが再び発した言葉にオレは――絶望した。

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