第5話「二人の過去(下)」


「わしの息子はどうやら無能らしい」


 無為な日々を過ごすオレの耳に、ある男――父の声が届く。


 時間は深夜。

 偶然目が覚めたオレは用を足しにトイレへと足を向けて家を歩いていた。

 そんな時、これもまた偶然父の書斎から光が漏れており、ちょっと気になったオレは息を潜めて、その部屋へと近付いたのだ。

 別に何かあると思ったわけでもないし、何か起こるとも期待したわけではなく、ただの好奇心――そのはずだった。


 でも、扉の隙間から聞こえてきた言葉は、深く、深く、深く、オレの心に突き刺さる。


「だ、旦那様……! 流石にそれは坊ちゃまが……」

「別にアイツが聞いてるわけでもない。言っても構わんだろ」

「ですが……」


 会話するのはオレの父、オーディス・スタンフィール。この小さな村の領主である。

 そして、そんな父と会話する黒い燕尾服に身を包んだ初老の男性、我が家の執事ボルド。

 オレが生まれた時からこの家で働き、とても温和で、オレがこの家で唯一頼れる存在だ。


「お前も知っているだろ。アイツが既に十六にもなるのに魔法を発現出来ない事を!」

「は、はい。でも魔法は本来誰でも扱える様になる代物ではなく――」

「そのくらいわしも知っている! 実際わし自身も大した魔法は使えんしな、だからわざわざ様々なところに根回しして、王都の高名な魔法使いの一族から嫁を娶った! 魔法は少なからず血筋に影響するからな」

「旦那様その辺で……今日は悪酔いし過ぎておりますよ……?」


 心配そうにするボルドの声を遮る様に父は続ける。


「なのになんだあの様は! たまたま一夜共にしただけの女に出来た子供が魔法の才能に溢れ、労力を尽くして生んだ子供は能無しの無能――こんなのいい笑い者だ……っひく」

「だ、だ、旦那様ッ!」

「こんな事になるなら、あの”アルス”とかいう子供を家に迎え入れるべきだったな」



 二人の声がどこか遠くに聞こえる。

 景色がどんどん色を失っていく。

 平衡感覚を無くし、オレはその場に座り込む。



 待てよ待てよ待てよっ……!!

 何だよそれ、何なんだよッ!!!


 アルスが、アイツが、オレと腹違いの兄弟?

 冗談にしたって、笑えねぇよ……全然笑えねぇよッ!!!


 今まで全く予想していなかった言葉と事実。


 確かに、アイツは母親と二人で暮らし、父親はいなかった。

 それに、何故か村では少し浮いていて、容姿が良いはずなのに目立とうともせず、二人の親子はひっそりと暮らしていた。


 正直、今までその事情について気にした事はあまりなかった、だって、まさか、そんな事情があるなんて普通思わないだろ……。


 今、父が言った言葉が酔った勢いで放った出まかせ、そう思う方がよっぽど自然だ。

 ……でも、老執事の態度がそれを現実だとオレに否が応でも認識させ、どんどんと頭を混乱させていく。


 これが三つ目。


 オレの心を、アイツへ向ける感情を更にぐちゃぐちゃにした決定的な出来事であった。



 そして、世の中は非情で、そんな次の朝――オレは光の魔法を授かった。




□□□




 場所はクライフ王国の王都『ギルティア』

 その王城の中にある、王の間。


 全体的に白い大理石で造られたそこは、光を反射し、神々しさすらも感じさせる。


 俺はゆっくりと歩を進め、赤い絨毯の上を歩いて行く。

 絨毯の両脇に並ぶ銀の甲冑の騎士達はとても荘厳で、見る者を圧倒する。


 こんな緊張はいつ以来だろうか。

 初めて魔法を行使した時か、あるいは魔法学院に初めて足を踏み入れた時だろうか? それとも戦場に初めて立った日……いや、今回のも含めてそのどれもが、だろうな……。


 余計な考えが頭を埋め尽くしては消えていく。


 そして、気付けば、俺は玉座の前へとやってきていた。


 青白い結晶体で造られ、周囲の光を受け輝く王の椅子。

 それはとても威厳と畏怖に溢れており、自然と背筋を伸ばさせる。


 身に纏う白のマントをはためかせ、俺はその場に跪く。

 一瞬、視界の端に映るのは同じく金、赤、青、そして桃色のマントを羽織った四人の者達。

 おそらく俺と同じ様に王に呼ばれたであろう彼ら、その顔はこちらから見る事が出来なかった。



「よく参ったな、我が国が誇る英雄達よ」


 頭の上から男性の声が聞こえる。

 ただの言葉――なのにその声から滲み出る貫禄は思わず額から汗を出させた。


 これが王の威厳――クライフ王国第十九代国王バイス・クライフなのか。


「さて、今回貴殿らに集まってもらったのは他でもない。既に噂を耳にしている者もいるかもしれんが、ついに我が王国に”勇者”が誕生した」


『――ッ!』


 その言葉に張り詰めていた緊張の糸が更に強くなる。


「先代の勇者が逝去してから約三十年、長かった……。前回は魔王に深手を負わせたものの完全に倒しきる事が出来ず、既に傷も癒え、魔王の力は日に日に増すばかり。そして王国の防衛線も去年突破され、今や国の全土に魔物が多数押し寄せている」



 バイス王の言葉が俺の中に入ってくる。

 思い出される最前線で戦った記憶。


 血と汗、そして鉄錆の臭いが充満する地獄と思える惨状。

 一年前、魔法学院を卒業し、王政の依頼で俺は王国の東端の更に先にある『アルギス平原』で、兵士の一人として魔物達と戦った。


 初めて踏み入れる戦場は、ハッキリ言ってこの世とは思えなかった。

 ある兵士は首を狩られ、またある兵士は四肢を魔物に貫かれ、そして目の前にいた兵士達は身体から血飛沫を上げ倒れ伏す。

 魔法学院で得た知識と経験は全部無駄だったんじゃないか、そう思わせる程の無力感と恐怖が俺を支配した。


 そして、そんな地獄で俺は必死に藻掻いた。

 手と剣と顔を血に染め、何度も死を隣に感じながら全てを出し切った。


 そして気付けば、最前線は”突破されていて”負傷した仲間を連れ、命からがら逃げだしたのが去年の今頃だ。

 王都に戻った俺は賛美と罵倒の両方を受けた。

 ある者はよくやったと手を叩き、ある者は逃げた臆病者と蔑み、そしてある者はただ黙って涙を流しながら俺を見る。


 長い戦いで心身共に疲れ切った俺はつい最近まで王都の病院で療養していた。

 気力もある程度は取り戻し、何とか病院を後にした俺に入った報せが――新しい勇者の誕生だった。



「皆面を上げよ。そして勇者は前へ」


「ッハ!」


 国王の声に金のマントを身に纏った青年が声を鳴らせる。

 玉座へ向かうその姿は、確かに悠然としていて、なびく黄金の髪はどこか彼に似ていて、幼馴染のロイを思い出せた。


 カチャリ、と黄金の鎧が音を立て、腰に据えた金色の聖剣を抜き放った青年は、剣を天へと向ける。

 剣が陽光を浴び、光り輝く。


「我が剣は王のため、王国のため、国民のため、全身全霊を持って魔を打ち滅ぼし、世界に安寧をもたらす事をここに誓う」


 勇者が代々御前で紡ぐ宣言の言葉を口にする。


「頼んだぞ、勇者よ。そしてそれを支える英雄達よ」


『ッハ!!』


 俺を含めた五人の声が王の間に木霊する。


「それでは今代の勇者を皆に紹介しよう――勇者ロイよ・・・・・、皆に言葉を」


 おい待て、今何て……?


「ッハ!」


 くるりとこちらを向いた青年の顔は、どこか見覚えがあって、懐かしい面影を残していて――本当にロイ、なのか……?

 整った目鼻立ち、そして紅い双眸、金色の髪が揺れ、勇者――いや、ロイはその顔に自信を滲ませた。


「オレはロイ、ロイ・スタンフィール!! 光の魔法をこの身に宿し、世界から魔を消し去る者だ! オレはここに誓おう! 何があっても魔王を討ち滅ぼすという事を!!」


 大声で言い放った言葉に後ろに並んでいた騎士達から歓声が巻き起こる。


 勇者が現れたという事実は既に世間にも広まっていた。

 しかし、その人物の名前や経歴は今日この日まで明かされず、この場に招かれた俺ですら誰かも知らなかった。


 それが、まさか、現れた勇者がロイだったとは到底考えつかなかった事だ。


 こうして俺とロイは再び邂逅を果たした。

 もちろん、その後の関係はお察しの通りで、昔の様な友情は築けず、結局俺はパーティを追放される事となる。

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