第3話「二人の過去(上)」


 頭が痛い。

 ズキズキと痛みが走り、周囲をぐにゃりと歪ませる。


 あの後酒場で何杯もエールを飲んだせいなのは分かっているが、ここまで酷く酔うのは初めてだ。これは俗に言う悪酔いってやつなのか……。


 淡く光る街灯が視線の先で緩やかに軌跡を描き、周囲の景色が回り始める。


 まともに歩く事が出来なくなったオレは、その場に跪く。

 そして込み上げる嫌悪感を吐瀉物

としゃぶつ

として周囲を気にせず撒き散らした。


 酷い光景だ。

 栄えある甲冑に身を包み、聖剣を腰に携えた勇者のオレがこんな痴態を街中で晒す。

 幸い今は深夜、そして道には誰もいないのが救いだろうか……。


 オレは泥の様に重くなった身体を引き摺り、何とか道の端へと移動する。

 背を預けたレンガの壁がヒンヤリしていて、少しだけこの状態を楽にしてくれた。


 歪む視界で空を見上げれば、星が流星の様に流れる。

 じっと佇む月はオレを静かに見下ろしていて、どこかアイツを、アルスを連想させた。


「アルス……ッ!」


 白銀の髪の青年。

 オレと同郷で、幼馴染、そして絶対に”負けられない”相手。


 昔は仲も良かった。

 なのに何で、こんなにアイツが憎く……いや、怖くなったのだろう……。


 多分それはあの出来事がきっかけで――


 凄まじい眠気に苛まれながらオレは過去を思い出す。

 小さい村、でも温かくててオレの人生では一番充実していたであろうあの懐かしき日々を――




□□□




 クライフ王国の西端に位置する小さな村『アシュタ』

 特筆するモノは何も無くて、あるのはのどかな景色と山々に囲まれた自然豊か土地というくらいのどこにでもある田舎。


 オレ――ロイ・スタンフィールはそんな村の領主の息子として生を受けた。


 辺境の貴族、位も男爵という事もあり、豪勢な屋敷は持たず他の村の家よりは少し大きい程度の場所でオレは育った。

 村民は二百人にも満たない小さな村、それを抱える貴族も裕福とは程遠く、食べる食事も使う食器も他の村人と大差ない。


 しかし、オレの父親――スタンフィール家の現当主オーディス・スタンフィールはそんなちっぽけな貴族としての地位に何故か異様に執着していた。

 大してお金も無い、屋敷もそんなに広くないのにメイドと執事を雇い、有名な剣士や魔法使いを王都から招きオレに英才教育を施す。

 傍目からはそんな父がとても滑稽に映った事だろう。実際、幼いながらにオレもずっとそんな父親に疑問を持っていた。



 そしてそんな日々があっという間に過ぎていって、オレが十歳になる頃――


 偶然家の近くで一人の少年と出会った。


 白銀の髪に青みがかった翡翠の双眸を持つ少年。

 貴族のオレよりも更に整った容姿で、同性ながら一瞬見惚れてしまう程。


 彼の名前は、アルス・ゼルディア。

 母親と二人暮らしでこの村に暮らす平民の少年だった。




 同い年の子供。

 村にはオレを入れて五人程しかいない。


 今までは習い事や貴族として気軽に平民と関わるなという父の教えがあり、まともに同世代の子供と接した事がなかったオレには彼との出会いは、一種の衝撃で、人生においてとても大きな起点になった。



 お互い子供同士。

 何の事情も知らないオレ達が仲良くなるのは一瞬と言える程早かった。


 少し慎重派ながらいざという時の根性が据わっているアルス。

 大雑把だがどんどんと前に突き進むオレ。


 正反対でどこか似たような雰囲気のオレ達はどうやら相性も良かったようで、出会ってから数ヶ月毎日の様に遊び歩いた。

 もちろん、彼は平民でオレは貴族。

 この事実がある限り身分に厳格な父にはアルスと遊んでいることは伏せていた。

 バレたら絶対二度と関わるなと言われるからだ。



 そして、二人で隠れながら遊ぶ日々は続いて、そのうちにアルスの家の近所に住むという少女セリナもいつの間にかオレらの仲間に加わり、三人で遊ぶようになっていた。



 そこからの時間は本当に楽しかった。

 小さい頃から痛い思いで剣の修業をし、頭を抱えながら魔法の勉強をする日々。

 オレにとって人生は、貴族としてのくだらないプライドを守りたい父のためにあるようなモノで、とても辛かった。


 でもアルスとセリナ、この二人と出会えたおかげで辛い日々も、苦じゃなくなった。


 オレもいつかは父の跡を継ぎ、この村の領主になるだろう。

 前まではそんなのは嫌だと思っていた。

 でも、彼らと過ごす時間がそんなオレの思考を変えてくれた。

 守りたい、この村を……彼らが過ごすこの日常を守りたいと、気付けばオレはそう考えるようになっていて、今まで嫌だった修業も勉強もいつも以上に精を出す様に……。




 そして時は移ろい、二年の月日が経つ


 十二歳になったオレらは少しだけ大人に近づき、背も伸び、幼さが残る顔も少しずつ変わりだしていた。


「なぁ、ロイ……話があるんだけどいいか?」

「ん?」


 セリナが帰った後、夕陽が差す野山の頂上でアルスがオレに話しかけてきた。


 夕陽を背にこちらへ向ける彼の翡翠の眼差しはとても真剣で、今まで見た事ない程揺れていたのを覚えている。


「なんだよアルス。もう日も沈みかけてるし、早く帰ろうぜ?」

「いや、うん。この話が終わったら帰る。だから、今ここで少しだけ聞いてくれないか?」

「え、いや……なんだよ改まって」

「頼む」


 アルスが纏う雰囲気がとても真剣で、普段は軽く返すオレも思わず息を飲む。

 そして、何故かは知らないけど――この話を聞いてしまったらもう、何かが変わるんじゃないか――そんな漠然とした不安がオレの胸を埋め尽くし、アルスの話を聞くのがどこかこわいと感じている自分がいた。


 でも、初めて見せる彼の真剣さを無下には出来なくて、オレはコクリと首を縦に振った。


「……ロイ、お前魔法はもう使えるようになったのか?」

「あん? 魔法? そんなもんまだに決まってるだろ。毎日魔法を覚えた時のためにやりたくもない勉強をさせられてるけど、全然全くだ」

「そっか……」


 思っていた話とは少し違って拍子抜けをしてしまう。

 てっきりオレはセリナがいないから、彼女に関する事――そう、彼がセリナを好きだとかそんな話だと思っていた。

 実際オレはついこの前にアルスにセリナが気になっていると打ち明けたばかりだ。

 その時は笑顔で応援すると言ってくれたが、アルスの方がよっぽどオレよりもセリナとの付き合いは長い。

 だからてっきりアルスもセリナの事が好きで、その事実をオレに告げる……と思っていたんだが、どうやらそれは杞憂で、思わず大きな溜め息を吐いてしまう。



「はぁぁぁぁ……お前が聞きたかった事ってそんな話か? だったら別にここじゃなくても――」


「なぁ、ロイ……俺、魔法を使えるようになったんだ」


「――は……?」



 ガツン、と頭を槌で殴られた様な衝撃。

 思わず一瞬その場でよろめいてしまう。


 感情が一気に複雑に動き出し、汗が止め処なく溢れてくる。

 さっきまで見ていた景色がとても色褪せ、オレの何かが変わっていく感覚。


 そして、目の前に立っている少年の顔から向けられる同情か、あるいは愛憐か、分からなかったが、とてもその視線はオレの心に突き刺さって、


 心の奥底から今までに知らないドス黒い何かを生み出した。


 今でもこの瞬間を鮮明に覚えている。

 この日を境にオレとアルスの関係は変わっていった事を……。

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