蒼葉アキルは痩せたい
私は今、おそらく人生で最大の境地に立たされている。
発端は今日の夕食時のケイトの一言だ。
「あれ?アキル少し太った?」
この何気ない一言が全ての原因だ。
いや、実際今まで以上に料理を食べるようになったのは事実だ。
それもこれもクリスの料理が美味しすぎるのがいけない、あんなの高級料理店でお金が取れるレベルじゃない!
……それはさておき、私はその言葉を気にしながらも大浴場に向かったのだが、そこにはアレがあったのだ。
体重計、それがこの悪魔の装置の名だ。
乗っただけでその者の体重を包み隠さず数値として映し出す魔性の道具、普段の私なら何ら気にすることのないこの道具、しかし今の私にとっては最大の敵であり味方になるかもしれない存在である。
というのもだ、これに乗って数値に異常がなければそれはそれで良い、多少なりとも増えててもまぁ目を瞑ろう。
ないとは思うがもしも、異常なまでに数値が増えていたら……いや、そんなことはないはずだ。
服を脱ぎ一矢纏わぬ姿でこの悪魔の装置の上に乗る。
我が家の体重計は今時あまり見ないアナログ式、だがその針があの数値を超えることなど決してあるはずが……
全裸であることすら忘れ、絶望に打ちひしがれる。
ありえない、これは何かの間違いよ……
けど……
震えながら自分の脇腹を軽くつまむ。
あぁ、ある、ほんの少し贅肉が、間違いなく。
嘘よ、嘘よ、嘘よ!
確かに最近ちょっと食べ過ぎかな?とか思っていたけどこんなに残酷な数値になるなんて!
あぁ……
けど、まだどうにかなる。
幸い、屋敷の地下にはトレーニングルームがある。
あそこならジムレベルの設備も整っている。
もう私に選択肢はないのだ、ゆえにやり遂げるしかない!
減量を!
翌朝午前3時、まだ屋敷の住人のほとんどが寝静まっている時間からトレーニングルームに入る。
服装は運動がしやすいようにと部屋から引っ張り出した黒のジャージを着る。
軽く準備運動をした後、ランニングマシーンの上に乗り説明書を熟読する。
数分の後、ランニングマシーンを起動させる。
『最高速』で。
圧倒的速さの中、ランニングマシーンから落ちないように走り続ける。
もう私に退路はない、いうなればこのランニングマシーンから落ちた瞬間に私は死と同然の状態になる。
そう自己暗示をかける。
体が限界を迎えようが関係ない。
走れ、走れ、走れ、それだけが私に残された道だ。
呼吸が激しくなる、足から激痛が走る、体は限界だと叫んでいる。
それでも止まらない、止まるわけにはいかない。
止まって仕舞えば私は乙女の威厳を失ってしまうのだから。
だから、ただひたすらに走る。
体が焼けるような熱を帯びようが、呼吸が間に合わなくなろうが関係ない。
ひたすらに体を酷使する。
ランニングマシーンの周りにはすでに夥しい数の汗でできた水たまりが形成されていた。
己が命を削ってでも今は遠きあの日の
走り始めてどれほど時間が経過しただろうか?
上の方からはひっきりなしに足音が聞こえる。
もうみんな起きたのだろうか?
あれ?というか私なんでこんな辛いことしてるんだっけ?
私、確か……
思考がぼやけ始める。
無理もない、だって私水分をとることを失念していたのだもの。
足がもつれてランニングマシーンから投げ出される。
視界はくるくると回り続けている。
体はもう動かない。
あー、これもしかしなくても相当やばいのかしら?
次第に視界が暗くなっていく。
意識が途絶える直前、クリスの声が聞こえた気がした。
目を覚ますと、私は地下医務室のベッドに寝かされて点滴を打たれていた。
横にある椅子にはクリスが安堵の表情を浮かべながら座っていた。
「よかった」
クリスがそう一言呟く。
「クリスが助けてくれたの?」
「ええ、まぁ、トレーニングルームに入ったらお嬢様が倒れていたのでここまで連れてきました。グレン曰く脱水症状だそうです」
「あぁ、そう……迷惑をかけてしまったわね」
「はい、すごく心配しました。なんであんな無茶なトレーニングやったんですか!ちゃんと用法を守らなきゃダメですよ」
「それは、その……」
言えない、太ったから痩せようと思ってやったなんて絶対言えない!特にクリスには!
「……深くは詮索しません。ただ、これからは1人トレーナーをつけてやってください。僕かヴァレットさんのどっちかが着きますのでお声がけください」
「わかったわ……」
そう言ってクリスは退室しようとする。
「クリス!その、ごめんなさいね。それと、助けてくれてありがとう」
「はい!私はお嬢様の従者ですから!」
笑顔でそう答えてクリスは部屋を後にした。
その日の夜、だいぶ体調も良くなったので大浴場に向かう。
思えばクリスに運ばれた時から服装がそのままだったから汗でベタベタだ。
それにしても今日のは我ながら愚行すぎた、反省しなくてはな。
そうして、私は浴場に入ろうとした際に違和感に気付いた。
体重計が変わっていたのだ、アナログからデジタルに。
気になって、近くにいたケイトにたづねる。
「体重計が変わっているんだが、前のはどうした?」
「あぁ、それね。前のやつ壊れてたらしくてさ、このケイトちゃんに対して88kgなんてふざけた数値を出しやがったからグレンに見せに行ったら案の定壊れてたのよ、で新しいのに買い換えたってわけ」
「そうか」
ん?88kg?確か私が測った時もその数値が出たような……まさか。
そう思って新しい体重計に乗る出た数値は45.7kg、前までの私の体重だった。
そうか、つまり私は太ってはいなかったんだ!
いや、運動した分と合わせたら少し減ったのか?
まぁ、どっちにしろいいや!
これで、乙女の威厳は守られたのだから!
にしても、増えた分の重さはどこに?
そんなことを考えながら湯船に浸かる、今日1日の疲れがどっと取れる感覚を味わった後、体と髪をタオルで拭く。
そうして、パジャマに着替えたのだが。
「……なんか胸がキツい?」
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