善鸞

 義絶状御返事之状


 親鸞様。先日届きました京からの手紙に書かれていました事は、本当に親鸞様のお言葉なのでしょうか。私の事を子とも思われない、また破僧の罪を私が負ったと言われておりますが、本当にそのように御思いでしょうか。親子の縁を切ると申せられるので、この文では、親鸞様とお呼びいたしますが、本当は今でも父として、また師として慕っております。

 

 思えば遠く東の国に赴き、息子如信共々にこの地で阿弥陀様の教えの強化に勤しんでおりました。折々に文をしたため、御指示を伺おうとしましたのに、御返事が届かなかったのは、善鸞の文は親鸞様へは届いていなかったという事なのでしょう。慣れぬこの土地に根付き、信頼を得て、阿弥陀様の教えを広めようとしていたのですが、どうやら、不届きなものが親鸞様と善鸞の仲を違えようと言う輩が居たようですね。従いまして、この文も親鸞様へは届かぬことも無い事は明白ですが、僅かな頼みを持ち文をしたためております。

 

 私は念仏を唱えること自体が善行を積むことに繋がるとは申しておらず、必死に阿弥陀様の本願に報いるために念仏を唱えるのだと説いて回りました。往生はその本願を信じ順う心が発った時に定まるものだと。しかしながらこの地の者たちは親鸞様の教えを真に理解することは難しかったようです。念仏がすなわち一つの修行であり善行であると、分かりやすい曲解した教えが広まっていったことは確かに私の力が及ばなかった責任であろうかと思います。

 

 親鸞様が夜毎に私に仰っていた秘事など私には身に覚えのない事です。そのような嘘をついてもいずれ親鸞様のお耳に入り、否定されることは明らかではありませんか。佞言を申すものが、この地にも京にも居られるようです。今一度、京に上り親鸞様へこの身の潔白を証明したいと思っておりますが、叶わぬ願いとあきらめています。


 また継母に言い惑わさたなどと、どうして私の口から出ますでしょうか。親鸞様の次にお慕いしている継母が、私を惑わす利がどこにありますでしょうか。


 これらの事全ては、確かにこの地の者達に真の阿弥陀様の教えを伝える事が出来なかった私の責に御座います。お叱りになられるのは無理もない事であり、どのような言い訳もしようが有りません。


 ただ、再開を果たすこともなく、私とお話もしたわけでもなく、いきなり親子の縁を切り、挙句には破門を言い渡すとは余りに非道くは有りませんでしょうか。この東国から届く善鸞の噂はどのように捻じ曲げられた悪意を持った物に変わっていると思いを馳せられた事は御座いますでしょうか。


 恨み言を申しましたが、天から降り落ちる雨が再び天に戻る事が無いように、親鸞様から言い渡された義絶、破門を覆す事は出来ない事は十分に心得ています。この先、今までお育て頂いた恩を少しでも返す事が出来る様、これより先はさらに北へ下り、阿弥陀様の教えを広める所存で御座います。 


 最後になりますが、如信には、親鸞様からお教えいただいた阿弥陀如来の教えを固く守るように育ててきました。どうか善鸞との親子の縁を切ることになりましても、如信だけは信を置きまして、これからも正しき御教えをお伝え下さいますようよろしくお願います。

                              慈信房善鸞

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