支配者と部下

明智光秀

 儂はもう疲れた。上様の御機嫌を伺う事も、上様の言いつけ通り戦う事も。その先が見えてこない。上様をこれまで支えてきたのは、上様こそが天下に号令をかける方になっていただけるかと思っていたから。今までは、私には見せない素晴らしい慧眼をもってこの日ノ本を統べる者として君臨していただけると思っていた。しかし、私の頭ではもうこの先にどのようにして治めていくつもりなのか、見当もつかない。朝廷から人臣最高の官を推任されたのに、それをよりによって突っぱねたのだ。いよいよ天下が安らかに収まる時が来たのに。数多の人間は個人の威名に平伏するのではなくて、その者が持つ肩書に従う事を知らないのか。無用な戦いを避けることが出来るようになるのに、むしろ肩書が邪魔になるとしか思っていないのか。民衆は朝廷から得る官位によって、その人物の格の上下を知る。肩書一つで今まで苦労した戦も無くなるかもしれないのに。


 そもそも何を目的にしていたのだろうか。上様にとっては天下が治まるかどうかは関係なかったのかもしれない。ただただ戦をして領土を拡大する事のみが目的であったのだ。この世全てがすべてが遊び場であったのだろう。領地は碁のごとく陣取り合戦であり、戦は将棋の駒同士の戦いであったのだ。人は冷たい碁石であったり駒であったりしかしえなかった。今まで上様に逆らった者たちも上様にとっては、遊びがより面白くなるための要素であり、一つの駒が寝返って攻めてきたようにしか思ってなかったのかもしれない。寝返った者たちは、上様の力を見せつけるための踏み台にしかならなかった。滑稽に思えてたのかも知れない。寝返った者の領土は、上様のお気に入りに分け与える事が出来るようになるので、むしろ寝返った者を喜んで討ち果たしていった。

 

 我々家臣は上様にとっては一つ一つの駒であり、上様の発言のみが命令でありそれに従うことしかなかった。我々は法や律で動くのではなく、上様の思いが守るべきものになってしまっていた。法や律といった枠組みの中で良しとする人では無かった。太政大臣も関白も、征夷大将軍も上様にとっては要らぬ肩書であったのだ。それは帝を頂点とした枠組みに入ってしまうため、自分の思いのみで世を動かす事が出来なくなることを意味するのだから。

 

 思えば上様の我儘にいままで振り回されてきた。家臣達は死に物狂いで機嫌を取り、その勘気に触れないようにしてきた。そもそも、推任を断ったのも帝たちが慌てふためく様子を楽しんでいただけなのかも知れない。人臣最高の官を断ったのである。自分にふさわしい立場はその上だと言わんばかりである。日ノ本に生まれたものとして、在り得ない考えだ。


 上様にとってはやはり、この世の者、物全て遊び道具なのであろう。もしこの遊びが飽きたとき上様はどのようになさるのであろう。その形のまま自分が退くだろうか。いや、おそらく今の形を壊すであろう。幼児が積み上げた積み木を悪戯に手で払いのけるようにして崩すのであろう。人が慌てふためくのを見て、両手を挙げてキャッキャと笑う幼児のように喜ばれるであろう。我々はたまったものでは無い。折角、畿内は静謐となり、日ノ本を統べるもう少しの所まで来ているのに。上様は飽きたら、勝手にせいとばかり壊すのだと思う。

 

 分かった。


 上様は幼少期より成長のしてない子供なのだ。中身のないまま身体だけ大きくなった大きな子供なのだ。いくら賢かろうが、膂力があろうが天下を治めた後の形を明確に持っていない限り、それは自分の力を誇示するだけの子供と同じようなものである。体だけが大きく膨らんだ空け(うつけ)者なのであろう。尾張の大うつけと言われたときからその中身は変わっていない。儂はいままで、上様に幻想を抱いていたのだ。その鋭い眼光や、突飛もない話や途方もない夢物語は、素晴らしい人物であることを漂わせていた。しかし、何のことはない。体の大きな子供が言っている夢物語だったのだ。

  

 あのうつけ者にこの世を恣にさせて良い訳がない。完成した形になってもいずれ気に入らないと壊されるだけだ。うつけ者が描いた天下は未だ完成していないが、このまま完成させるわけにはいかない。今、あのうつけ者は僅かな供回りをつけて、京の本能寺にいるそうだ。あのうつけ者は家臣の気持ちを量ることは出来なかった。今まで逆らってきたもの達の気持ちを量ることは出来なかった。逆らわれてようやく対処してきたのだ。私の今の気持ちはうつけ者にはわからないであろう。儂はうつけ者からの命令で、備中の筑前守に援軍に行く道中である。うつけ者と共に備中に向かうのであるが、その前に京で合流する予定である。この時よりほかにない。儂は決心するのだ。うつけ者にはこの舞台から消えてもらおう。

 

 暮れ六つ時になった。既に京に入る寸前まで来たので、己の思いを吐露することにした。

 諸将を前に

  「敵は本能寺に在り。」

 と下知した。

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