第30話 戦闘(上)
お腹に響く轟音と共に、けたたましい勢いで携帯が鳴り響いた。この音は瑠依さんの携帯だ。この音を聞いたあたしたちは一気に覚醒する。
「な、なに?」
「ミルカ、窓から離れなさい! ネム……はもう用意してるか。もしもし、私だ。王宮庭園だね、すぐ向かう。ネムとミルカも一緒だ」
寝ぼけた頭はすぐに覚醒してくれなくて、あたしはなぜかガスの火を確かめていた。
バスローブを脱ぎ捨てながら自室に駆け上がったネムは、すぐに着替えて降りてきた。あたしの姿を見るなり苛立ったように舌打ちして、ソファの近くに転がっていたあたしの靴を押し付ける。
「靴履け。服はそれでいいんだな、荷物は? いつも使ってる羊皮紙は?」
「あ……だ、大丈夫、ポケットに入ってる」
「大丈夫なんだな。よし、師匠!」
「ああ、行くよ! ……その前にネム、ひげを剃る魔術とかってあったりしないかな」
「見てくれ気にしてる場合かよ!」
叫びながらネムは部屋を飛び出す。瑠依さんはまだ納得がいっていないように鏡を見たが、すぐにあたしの背中を押した。
「行こう。――王宮庭園が襲撃されている」
*
途中で瑠依さんが街頭の自立型文様展開盤を使ってひげを剃った為、多少のタイムロスはあったが、ものの十五分で王立庭園に到着することができた。
その威容を誇る王宮庭園は、東側の壁が破壊されて酷い有様だった。早速集まり始めているマスコミや消防車両を潜り抜け、中に入ってシーラたちの姿を探す。彼女たちは庭園迷路の入口付近に、パソコンだの地図だのデスクだのを持ち込んで即席の会議室を作り、あたしたちを待っていた。
まだ防御魔術は展開しきれていないのだと言えば、シーラは分かりやすく舌打ちをした。
「いや勘違いするなよミルカ、君にではなく襲撃者にイラついているだけだからな! まったくもう少し我慢というものができなかったのかね!」
「どこが襲われたんだ」
瑠依さんが尋ねると、ミス・アルカディアが苛立ちを隠さない表情で、
「勿論庭園迷路よ。爆弾抱いた神性獣が突っ込んできて生垣はめちゃくちゃ。神性獣は速やかに退治できたけれど、問題は今王宮庭園ががら空きってこと」
「チップ・ウォルターは? 彼はどこにいる」
「彼にはちと面倒なお仕事を頼んでいる。ゆえにこの度の欠席はご寛恕願いたい」
そう言ってシーラはあたしに向き直る。
「ミルカ。直ちに防御魔術の展開を開始してくれ」
「分かった。最低でも半日かかってしまうけれど」
「致し方あるまい。伸びるとしたらどのくらいになる」
「一日……かな」
シーラの眉がひくりと吊り上る。不満足をその動き一つで如実に伝えてくるのだから、彼女がいつも下命することに慣れているのが分かる。
「不満なのは分かるよ、けどあたしはこのサイズと密度の防御文様を描画したことがない。一日以内に収めてみせるから」
「……よろしい! では一日だ、良いな諸君。これは前触れと思え。真打登場までのつなぎに過ぎん。ゆめゆめ油断のなきように」
補助線を描いた麻布を瓦礫の上に広げる。あちこちに神性獣の血が飛び散っている上に、爆散した草花と土の匂いがして集中できない。
けれど刺繍した糸の並びを見ているうちに気にならなくなった。あたしの魔力を誘うように礼儀正しく、整然と並んでいる。まずはこの補助線に沿って魔力の線を伸ばし、意匠を構築してゆくのだ。
初めて織る迷宮の意匠は、どうにもとっつきづらかった。あえて距離を詰めずに、自分の体の延長線上にあるものというよりは、もっと高次な存在として線を配置する。
迷宮は迷路とは異なり、秩序だった計算によって成り立っているものだ。
迷路には行き止まりがあり、ランダムに配置された道をランダムに歩くという特徴がある。何本もの道があって、行ったり来たりを繰り返さなければならない。
だが迷宮は一本道だ。振り子状に方向転換する一本道の周回路に、中央部分が存在するという構造になっていて、あたしが今回展開する文様もそうなっている。
『迷宮というものはね。何かを封じ込める意味を持っている。ミノタウロスの逸話を知らぬでもあるまい? だがこと魔術において迷宮の文様は少々違う意味を持つ。封印。あるいは中央部分にあるものを、外側から守る力と言い換えてもいいだろう』
『秩序は文様に強度をもたらすが、また脆さをも付与してしまう諸刃の剣だ。ゆえにこそ君の得意な植物の文様が活きてくるというわけ。―君の持つ森の力は文様を弛ませ、しならせ、泳がせ、遊ばせる』
シーラの言葉が脳裏を過ぎる。秩序だった構造を持つ迷宮の意匠を完璧に再現してこそ、防御の力が発揮される。そこに遊びを入れるのが、蓮花文様を始めとする植物の文様。
弧を描き、緩やかに傾いてゆく線を注意深く織り上げる。迷宮の形を作り上げて、様々な角度から歪みや破綻がないかどうかを確認した。
あたしの大事なものを、この真ん中にしまっても大丈夫?
常にそう問い続けながら、完璧だと言い切れるまで、線の微調整を続けた。
「よし……」
次は唐草の意匠だ、そう思って額の汗をぬぐった瞬間だった。
突き上げられるような揺れを感じた。
「な、なに!?」
地面に蹲ると、瓦礫の山がばらばらと崩れてきた。慌ててそれが届かない場所まで後ずさる。廊下のつり下げ式の電球が、振り子のように激しく揺れている。
「地震……?」
初めて体験する大地の揺れにうずくまっていることしかできない。やがてそれはゆっくりと収まって行った。
ともかく文様描画を続けなければ。立ち上がるあたしの耳を凄まじい絶叫がつんざく。
神性獣の咆哮だ。
「また、神性獣!?」
それもとても近い場所にいる。落下してきたのか、もともと潜んでいたのか。
咆哮がコーラスのように重なった。
一体だけではない、二体三体、……もっといる!
それだけではなかった。空が徐々に金色の粒子で埋め尽くされてゆく。地面からふわりと綿毛のように浮かび上がってゆくそれは、アルハンゲリスクそのものを金色に染め上げてゆくようだった。
ネムと瑠依さんが迷路の跡地へ飛び込んでくる。その顔はいつになく引きつっていた。
「神性獣だ。十五体同時出現」
「出現……? 落下じゃなくて?」
「出現だ。オブシディアンの連中も気取るのをやめたらしい。明確な侵略の意思ありとして、神性生物対策班は全ての武力をもって神性獣と対峙する」
「でも、神性獣は……他の個体が側にいると、とても強くなるんだよね?」
「そうだ」
短く答えたネムは、伸ばした槍を小脇に抱えながら、銀色の銃に弾丸を込めている。見れば彼の腰には、ホルスターというのだろうか、銃と銃弾を入れておくためのベルトが巻き付けられていて、予備の槍もそこに固定されてあった。
長期戦に、なるのだ。
「“ギヨティーヌ”が俺でも使えそうで良かったです。飛び道具があるのとないのとじゃ大違いだ」
「槍に選ばれなくても、神性獣を殺すことができる……。さすがはシーラだね。私でも使えるというのがなかなかいいじゃないか」
「師匠はよっぽどのことがない限り発砲しないでくださいね。安全装置も外さないで。ノーコンなんですから」
「否定はしないけど、師匠に向かって随分な言いようだねえ……」
慣れた手つきで弾を込めるネムとは対照的に、瑠依さんはあくまでもたもたのろのろとしている。こればかりはネムの言う方が正しそうだ。
「ねえ瑠依さん、この光はなんですか」
「恐らくは神性だ。視認が可能なほどの量がミネルヴァから降り注いでいる……!」
瑠依さんは脂汗をかいていた。その黒光りする目が、紛れもない恐怖に揺れている。
「オブシディアンたちはアルハンゲリスクそのものに神性を付与した。まるで妖精の粉のように上から降りかけたんだ。今からこの都市は神性を帯びた存在となる」
神性を帯びた都市。神性を持つものは不老不死の力を得るという。
不老不死の都市って、いったいどういうことなんだろう。
「な、なんで? どうしてこんな……神性獣の出現と何か関係があるんですか」
「確かなことは分からないが……。ただ一つ言えるのは、神性獣たちは私たちを狙っているということだろうね」
最後の要、王宮庭園。ここを落とせばアルハンゲリスクは完全にミネルヴァの――オブシディアンのなすがままになる。
「ここだけは絶対に落とせない。ミルカは文様の展開を続けなさい。申し訳ないがスピードアップで頼むよ!」
言われなくてもそうするつもりだ。文様の前に戻って唐草模様を織り込んでゆく。
目はしっかりと魔力の線を追いかけている。だが耳はどうしても外の音を拾ってしまう。
「来たよネム、準備は良いか」
「師匠も。まず相手に触れるとこまで俺が持ってくんで、きっちり決めて下さいよ」
踊る赤い線が蔦の文様を描き始める。波のような唐草模様を合間に挟んで、稠密に刻み込んでゆく。一ミリ以上の隙間を許さず、丹念に精緻に植物の意匠をねじ込んで、文様の完成度を上げる。
もはや執念だ。耳は勝手に神性獣の咆哮や、瓦礫が崩れる音を拾ってゆくけれど、それが脳まで上がって行かない。
全てのリソースを文様に注ぐ。意識のかけらから血のひとしずくまで、すべてを文様描画に捧げる。
「一糸も落とすな」
ばあちゃんの言葉を何度も繰り返す。
きっちりと組み上げた文様の上に、更にもう一枚うす布を被せる感覚でレイヤーを重ねる。曼荼羅のように幾重にも幾重にも被せたレイヤーで、それぞれ描く文様を変える。
一層目が唐草なら二層目はケルトの組紐文様。三層目はいちご泥棒で、四層目はミル・フルールの小花模様。五層目はヒスパノ・モレスクで六層目は葉飾り(フォイル)に百合を組み合わせたもの。
ここまでしつこく重ねると、展開する文様から美しさは消えてしまう。乱雑な落書きのようにも見えてくる。
だがこの文様は最終的に「ずらす」のだ。多重構造の迷宮文様は、生半な攻撃では破れない固さと重みを持つはずだ。実際に魔力を注入してみないと分からないけれど。
「ネム、右だ!」
うめき声が聞こえる。ひゅっと息を呑む瑠依さんの声まで聞こえた。ネム、と何度も名前を連呼している。
声のする方を見る。ネムは膝をつき、脇腹を押さえて喘いでいた。彼の指の間からは、真っ赤な血がごぷりとあふれ出ていた。爛熟したスグリの実にも似た色。
「ネム……ッ」
線を置く指先が乱れた。目の前の文様に集中しなければと思うのに、彼の体から流れてゆく血液から目が離せないでいる。あんなにたくさん血が流れては……!
魔術の赤い線とネムの血がオーバーラップする。何度瞬きしても絡み合う二つの赤は離れてくれず、あたしは頭を振った。
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