第31話 戦闘(下)

「集中しろ、ミルカ」


 あたしの耳元で囁いたのは、泥で汚れたチップだった。背後にはシーラと、武装したミス・アルカディアもいる。

 続いて雪崩れこんできたのは、泥と血に汚れたロカンポールの群れだった。彼らはネムを追いつめていた神性獣たちに吼えかかり、果敢に遠ざけている。


「チップ? なんで、今までどこに……?」

「オレの得意分野―狩りをしてたんだよ。迷路に残された死体の匂いを追って、真犯人に辿り着いたってわけだ。泥の中で待ち伏せした甲斐があったぜ!」


 チップは白髪の男を連れていた。両手を手錠のようなもので拘束し、ロカンポールたちに囲ませて逃げられないようにしている。まるで囚人のような扱いだ。

 その白髪の男には覚えがあった。

 ごつごつした紋章入りの指輪。ズボンから垣間見える学校名入りの懐中時計。

 そして――杖を持っている。


「あなたは、院長の……ティアドロップさん?」

「そう。そうして今回の首謀者でもある」


 ティアドロップ氏は拘束されているというのにも関わらず、涼しい顔であたしたちを見ていた。痛みに喘ぐネムの姿を見て口の端を釣り上げる。チップは低い声で、


「十三門閥はオブシディアンとどんな取引をしたんだ」

「さて。言うは容易いが、それをあなた方が理解できるかどうかはまた別の話だ。何しろここは神性の美しさを介さぬ者しかいない!」


 吐き捨てるように言うと、ティアドロップ氏は空を仰いだ。


「神性獣を殺めることに血道を注ぐ愚か者たちよ。しかし、君たちのお蔭でこのアルハンゲリスクという都市は保たれてきた。君たちが都市の正常な運営を実現せしめたことについては、我ら十三門閥は賞賛を惜しまない」

「十三門閥ゥ? そもそもあんた、僧侶なんじゃねーのかよ。魔術も派閥も何もかもを捨てて、信仰の道に入ったんじゃねーの?」

「信仰の道に入ろうとも、門閥にて学びしことは薄れまい。私の全ては門閥の為――ひいては魔術大道を極める為にある」

「魔術大道を極める? でっけえ大風呂敷広げんのも構わねェけどな、あんたのしでかしたことはどう説明してくれんだよ」


 チップはティアドロップ氏の持っていた杖を蹴飛ばした。杖はカラカラと音を立てて床の上を転がってゆく。


「先日ここ庭園迷路で十三門閥の人物が殺害された件。元”ガーデナー”であり術士のミスター・ローザが倉庫内で亡くなっていた件。そして数か月前のシドゥリ・ハッキネン殺害。その他大勢の”ガーデナー”殺害。全てお前がオブシディアンとの取引のために行ったことだろう!」


 耳鳴りがした。


 この人がばあちゃんを殺した。

 理由は分かる。オルトラの森を閉ざすためだ、けれどどうしたって聞かずにはいられなかった。


「……なんで、ばあちゃんを。どうやって……!」

「森を閉ざす必要があった。アルハンゲリスクを支える忌々しい森をな。その中でも特にオルトラは目障りだった、巨大な磁場を有している上に老獪な”ガーデナー”が守っているとくれば、真っ先に排除の対象となるのも無理はない」


 ティアドロップ氏からは罪の意識が感じられなかった。ばあちゃんを殺したのは、道路を整備する為に木を切り倒すことと同義であるかのような口ぶりだ。

 罪の呵責を覚えていればいいというものではないけれど、この人は人の命を奪うことに、何らの躊躇も後悔もしていないようだった。その事実に心臓の奥がかっと熱くなって、代わりに体がすうっと冷えてゆくのを感じる。


「同じ門閥の人間や、術士を殺したのはなぜだ」

「決まっている。決断直前になって怖気づいた阿呆どもにご退場頂いたまでのこと。腑抜けどもめ、ここへきて売国奴のような真似はしたくないと抜かしおった。まったく愚かな連中だ、もう引き返せぬところまで来てしまっていたというのに!」


 この人を殺したいかと聞かれれば、正直なところ頷いてしまうだろう。でもばあちゃんはきっとそれを喜ばない。それは”ガーデナー”のすべきことじゃない。

 それに自分で言ったじゃないか。犯人の心臓を七つ集めたってばあちゃんが生き返ることはないって。


 深呼吸をして、煮えるような怒りを抑えた。


 瑠依さんはあたしの肩を優しく叩くと、床に落ちたティアドロップ氏の杖をひょいと取り上げる。そのとき初めてティアドロップ氏が顔を歪めた。


「触れるな、忌まわしき神性簒奪者め。それはオブシディアンより賜りし聖なる杖だ、お前如きが触れていいものではない」

「……なるほど、槍と同じ構造か。これで心臓を奪い去って行ったわけだね」


 コツコツと先端を押し当てれば、床が僅かにへこんだ。人間の胸に押し当てれば、心臓を抉り取ることなど容易いだろう。

 今まで押し黙っていたシーラが初めて口を開く。


「目的は、なんだ? アルハンゲリスクを攻め落とし、オブシディアンは何をしようとしている?」

「……」


 ティアドロップ氏がにやにやと笑っている。間髪入れずにミス・アルカディアが自らの緋槍を振るい、彼の足元をすくった。膝から地面に倒れ込んだ氏は、にやにや笑いをやめないまま、あたしたちを仰ぎ見た。


「うすうす感づいているのだろう? 弱まった結界、無防備になったアルハンゲリスク、出没する多数の神性獣、神性を帯びた街――」

「……まさか」

「ご理解頂いている通り。オブシディアンたちは都市の簒奪を希望している」


 ミス・アルカディアと瑠依さんの顔がこわばった。


都市簒奪としさんだつ!」

「然様! ああ、あなたならば当然知っていましょうや! ”白銀の大使”どの!」

「ええ、知っているわ。都市機構。常命じょうみょうの者のみ持ちうる『システムとしての都市』!」


 彼女の美しい碧眼が歪む。


「私たち人間は一人では生きていけない。一人では畑を耕せない、一人では狩りができない、一人では子どもが産めない。ゆえに私たちは群れとなる。集団を作り、その中でそれぞれが役割を持つことで発達してゆく。

 集団は集落となり、集落は村となり、村はいずれ街と化す。栄えた街はどんどん人を誘い込んで膨れ上がってゆく。

 人々が集い昼夜の別なく生活を営む場所、エネルギーが循環し常に何かが出入りし続けている生命体。変化し、流れ、活発にその手を広げる生きた存在。街は『そのもの自体がエネルギー体である』場所!」

「そう。そしてそれは、オブシディアンには決して持ち得ないものだ。なぜならば――」

「彼らは不老不死だから。死という結末がないのであれば、物を食べなくてもいいし、生殖する必要もない。勿論助け合うことだってしなくていい。集団で生活する意味がないから、街を構築できない」

「ゆえに! 彼らはアルハンゲリスクを簒奪する」


 結界を稼働させる為のエネルギーたる、都市アルハンゲリスク。

 なぜ人々がアルハンゲリスクから逃げないのか。なぜ補助金を出してまで人々を住まわせておくのか。上空のミネルヴァに怯えながら、逃げずにそこで暮らし続けた理由――。

 それは結界を運用するエネルギーを生み出し続ける為だったのだ。

 そこまでして人間は、ミネルヴァを天上に縫いとめ、地上へ降りてこないようにしたかった。闘争ではなく繁栄を望んだのだ。

 人類とオブシディアン。異なる価値観をオブシディアンたちは受け入れた。

 だが受け入れるのと存在を許すのはまた別の話だ。オブシディアンは、自分たちでは決して持ち得ないエネルギー源の存在に目をつけた。


 ゆえに、都市簒奪は企てられた。


 ぎりりとシーラが歯噛みする。彼女の両手は指が白むほどに握りしめられていた。


「そんな身勝手な理由で街一つを気軽に滅ぼされてはたまったものではない! 神代の神を気取るのも大概にしたまえ。大体なぜ都市ほどの巨大なエネルギーを必要とするんだ。ミネルヴァで身内同士チャンバラごっこでもやっていればいいだろう!」

「はて。彼らが人間如きにそう多くを語るまいよ。ただ言えるのは……オブシディアンは不死であり不老だが、彼らが伸び伸びと生きていられる場所を持っていないということだ。頭上に別の都市があって窮屈な思いをしているのは、何も我らだけではないということさ」

「どういうこと?」


 あたしの問いかけは宙に浮く。それはティアドロップ氏にも分かっていないんだろうか。


「これは予測でしかないが。ミネルヴァはアルハンゲリスクを取り込んで、一つの独立した、閉じた空間になろうとしているんじゃないかと思う」


 シーラは探るようにティアドロップ氏を見ながら言葉を紡ぐ。


「そうすれば神性獣が落ちても何の問題もない。闘争に専念できる。永遠の空間を作りたいんじゃないか、連中は」

「ま、そんなところだろう。どのみちオブシディアンの目的については、我々の関与するところではない。オブシディアンはアルハンゲリスクのみを欲しているのだ、気前よくくれてやれ」

「馬鹿め愚鈍め、どうしようもない脳足りんが! オブシディアンは都市を作れないんだ。アルハンゲリスクに味を占めて、地上の他の都市にも手を伸ばさないとどうして言い切れる!」


 地団太を踏みかねない勢いでシーラが叫んだ。ここで勝手を許せば、オブシディアンはつけ上がるだろう。彼らは神ではないが、神ではないからこそ、一つを許せば十を要求してくるだろうことは大いに予想が着く。

 瑠依さんが鋭く切り込む。


「では十三門閥の方々は、アルハンゲリスクと引き換えに何を得るご予定で?」

「もう得ている」

「この杖のことかな」

「そんなものではない。我ら門閥の重鎮複数名は神性を付与された。永遠を垣間見、とこしえの真理を得るための不老不死をな」


 それを聞いたチップは呆れたように叫んだ。


「重鎮? ジジイとババアばっかじゃねえか! そんな連中が不老不死になったってゾンビ以上の何物にもなれねえっつの」

「何とでも言え。長きに渡る時間が、私たちを真理へと導いてくれるだろう。……本来であれば五年前に大願成就しているはずだった。それを常盤瑠依、貴様が台無しにしたのだ」


 大使殺害。神性を帯びた大使が瑠依さんに触れたことによって、その事実を暴かれてしまった事件。


「あの時からずっと、アルハンゲリスクをオブシディアンに明け渡す算段をしていたのか!」

「そうだ。永遠を得て真理を探すことこそが我らの願い。五年経とうが変わりはしない」


 真理というものが何なのかは分からない。それがアルハンゲリスクという大都市一つを捧げるに値するのかどうかも。十三門閥の一部の人々は、数多の人々が暮らし、思い出を作り、生活を営んできた都市よりも、自分たちの永遠を選んだ。

 なんて勝手な――なんて恐ろしい決断だろう。

 その為に彼らは国中の森を閉ざし、図書館を消滅させ、瑠依さんを狙ったのだ。

 

 今までずっと静観していたネムだったが、のろのろと立ち上がると、おもむろにティアドロップ氏に近づいた。


「……一つ聞きたいことがある。お前が師匠を狙っていたのか? あの山で魔狼を遣わしたのはお前だな? 神性殺したちに師匠をリンチさせたり、神性獣退治のどさくさに紛れて師匠を殺そうとしたのも?」

「ああ。オブシディアンたちは常盤瑠依など放っておけと言っていたがな。つまらないプライドだ。少しでも我らの脅威となるならば、それとなく排除しようと思っていたのだが……存外にしぶといので驚いた」


 ティアドロップ氏がにやにや笑いながら吐き捨てるが早いか、ネムは槍で思い切り氏の後頭部を殴り飛ばした。骨を殴打する嫌な音がして、ティアドロップ氏は前に倒れる。


 ネムが唾を吐きかける。


「図々しい野郎だ。どこかに放り込んでおこう。こいつの神性とかいうのも、師匠に奪って貰えばいい」

「賛成だ! まったく本当に頭の悪い男だよ!」


 シーラは傍にいた対策班の男性に、ティアドロップ氏を連行するように命じた。

 氏を身勝手と、希代の阿呆だと謗るのは簡単だ。

 問題は――この状況をどうにかしなければいけないということ。


「シーラ。あたしのこの文様を完成させれば、オブシディアンの目論見を食い止めることはできる?」

「……正直なところを言おう。分からん! 我々はアルハンゲリスクの武装を固めていたが、まさか『上』から簒奪されるとは思ってもみなかったからな。ミネルヴァにどこまで対抗できるか」

「簒奪されたらどうなるのかしら。都市が呑み込まれて、下手すると―皆殺し?」

「エネルギーとしての都市が目的ならば、中の人間は殺さんだろう。我らの営みあってこその都市だからな。しかしいつもと同じ生活が保証されるとは限らんし、そもそもそのような勝手は許されん。大体だな、十三門閥の連中が神性欲しさに行ったこんな拙い取引なんぞ、早々にポシャらせてやるのが世の為人の為だろうよ!」


 人類ナメるなと意気込むシーラ。小鹿にも似た肢体から、はち切れんばかりの闘志があふれ出ている。


「ちょっときみたち、私のことを忘れてやいないかい」


 ティアドロップ氏が落とした杖を、不器用に弄びながら瑠依さんが言う。にっこり笑って見せる彼は、あたしたちに両手を広げて見せた。


「私は神性簒奪者だよ? 都市に付与された神性は、この私が余すところなく奪い取ってみせようじゃないか」

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