第28話 森と図書館

 犯人は、見つからなかった。


 ネムとミス・アルカディアも含め、全員がシーラの部屋に集合していた。そこでそのニュースを聞かされたあたしは、思わず立ち上がっていた。


「どういうこと!? だって出入り口は封鎖したんでしょう!?」

「封鎖したが、杖を持った男はいなかった。凶器になるだろう物を持った奴も見つからなかったそうだ」


 チップの冷静な言葉の意味を取るのが難しかった。


「十三門閥の人たちの中で、杖を持ってる人たちが何人かいたじゃない! それに植物園にいた人たちの中にも、足の悪い人はいたよ」

「門閥の連中は、オレたちが散歩をしていた時には定例会の真っ最中だった。誰も欠席したり中座したりしていないそうだ。足の悪いヤツは確かにいたが、彼らは車椅子に乗っていたそうだから、そもそも杖を持っていなかったらしい」

「そんな……」

「そもそも、あんたが見かけた後姿が本当に犯人だったのかっつう疑問もある。あんたが見間違えたって可能性も否定できねえ。……怒るなよ、可能性の話をしてるんだから」

「分かってる、けど」


 あとちょっとで犯人の顔を見ることができたのに。あそこで瑠依さんがあんなに止めなければ、と恨みがましく思う気持ちを必死に押し殺す。あれは善意なのだ、あたしを怪我させるまいという思いから出た行動なのだ。

 

 ――だけど、あたしの防御魔術ならば身を守れたかもしれないのに!


 口を開けば嫌なことを言ってしまいそうで、あたしはずっと唇を噛み締めていた。

 あたしの後ろに立っていたシーラが、片眼鏡を掃除しながら、


「しかし事態のまずさは殺人が起こってしまったことに留まらない。王宮庭園に入るには金属探知機を通り抜けなければならないし、ボディチェックもしている。それを潜り抜けて殺人を犯したのだとすれば、何らかの形で我々を欺いているのは確かだ」

「それに魔術を使ってました。生垣を魔術でかき分けながら逃げて行きましたし」

「あの生垣を? あそこは迷路だからね、魔術で簡単に突破できないような構造になっているはずだ。そんな場所で、しかもミネルヴァの真下で気軽に魔術を使えるのは……相当な術士だな」

「……殺す場所にあそこを選んだのも気がかりね」


 ミス・アルカディアが下唇に指を当てながら言う。彼女の考え込むときの癖らしかった。


「確かに今日はひと気がなかったけれど、普段ならカップルで賑わってるところよ。なぜあそこなの?」

「……一理あるな、ヴィヴィ。犯人は“あの迷路の意味を知っていた”可能性がある」

「そうね。出張報告会がうやむやになってしまったから、言えずにいたけれど……。シーラ、あなたが危惧している通りのことが起きている」

「やはりか! そしてここへきて、未知なる犯人ミスターないしミスXが我らを脅かさんとしている。……ふむ」


 シーラとミス・アルカディアが揃ってちらりとあたしを見た。


「話すか」

「……そうね。仕組みを知って貰えればきっと私たちの手助けになるわ」


 アルカディア姉妹が揃って立ち上がる。ふわふわの金髪がそれぞれにたなびいて、誘うように揺れた。美しい色彩を持つ姉妹はあたしにそっと手を差し出す。


「いらっしゃい。シドゥリ・ハッキネンがあなたに伝えられずにいたことを教えましょう」


 犯人が見つからなかったという悔しさと焦りを、未知への恐れと期待が塗り潰してゆく。それを企図してミス・アルカディアがこの話を持ちかけたのだとしたら、彼女は凄い。


 あたしは既に彼女の言葉に引き込まれている。






「あなたは、図書館と森の共通点をご存知?」

「……どちらも静かな場所ですよね」

「そうね。そこではいつも何かが生い茂り、繁茂し、豊かに実っている」


 知識、果実、草木、歴史、花々。

 歌うように紡がれる言葉を、吹き込む風に身を任せながら聞いている。

 あたしたちはあの迷路の入り口に立っていた。既に夕刻を回っており、西日が差しこんで眩しい。たそがれ時とは、逢魔が時とも言うのだと瑠依さんが言っていた。


「図書館と森はこの国にとって重要なファクターよ。もともと貧しかった私たちの国にとって、人は財産だった。財産の価値を高める為に教育が重視されていた」

「そして住まう場所としての、森。真冬の厳しい時でさえも、私たちに実りを与えてくれた森。この世ならざる精霊たちが密かに住まい、魔力を秘めている場所」


 シーラの言葉は神託のように厳かな雰囲気を湛えている。いつものけろりとした雰囲気とは打って変わった無表情は”逢魔が時”とやらにはふさわしいように思えた。


 二人がゆっくりと庭園迷路の中へと進んでゆくのを、慌てて追いかけた。


「図書館と森は全国各地に点在している。森が全部でいくつあるかご存知?」

「ええと、今現存しているものは二十七だったはずです」

「公式ではそうなっているわ。けれど、私が調査した限りでは、現存しているのはたったの三つよ」

「み、三つ!? そんなはずないです、もっとたくさんあるはずです!」

「いいえ。ほとんどの”ガーデナー”は死んでいた。どれも等しく心臓を持ち去られてね」

「それでは……! 森が、閉じてしまいます!」

「ええ。だから現存しているのは三つ。セプ・ルクルムの他には南に巨大な森が二つあるきりね。ここはある一族が代々守ってきた森なのだけれど、今回の有事に備えて既に次の”ガーデナー”の継承も済んでいるそうよ」


 残っている森が、たったの三つ!


 それはとても恐ろしいことのように思えた。足元ががらがらと崩れてゆくような、どうしようもできず空中でふわふわ漂っているような、そんなおぼつかなさを覚える。

 シーラが皮肉っぽく口元を歪める。


「森の荒廃に比べて図書館はまだまだ無事だ。とは言え惨憺たる有様だがね。焼き討ち、盗難、水中に没した図書館も少なくはない」

「な、なんで……どうしてそんな」

「ここまでされて分からないほど私たちも初心じゃあないさ。……誰かが、ここアルハンゲリスクに攻め入ろうとしている」


 誰が、どうして。何のために。


「誰かが分かっていれば苦労はないんだがなあ! 神性獣まで首を突っ込んできているんだ、オブシディアンどもが関与していることは間違いない」


 だが目的が分からない。シーラは絞り出すように言った。

 ミス・アルカディアは万華鏡めいた目であたしを見る。


「あなたも魔術をたしなんでいるならば分かるわね? 図書館、森、――こういった場の持つ力を」


“白銀の大使”は語った。

 全てはここアルハンゲリスクの防衛のためにあるのだと。


 アルハンゲリスクは国の中心にある都市だ。そして頭上にはミネルヴァを頂いている。

 通常であればアルハンゲリスクはミネルヴァの影響を強く受け、その形状を保てなくなるのだという。瓦解してしまうのだ。

 それを防ぐために、全国各地に図書館と森という魔術的に意味を持つフィールドを設けることによって、特殊な磁場を作る。

 結界といってもいいだろう。


 ミス・アルカディア言うところの”繁茂し、豊かに実る場所”が補完し合って、アルハンゲリスクの存在を強固なものにしているのだ。全てはアルハンゲリスクを結界で守るための「装置」なのである。


「でも、どうしてそこまでしてアルハンゲリスクを守らなければならないんですか。皆この街を捨ててしまえばいいのに、安くはない補助金を出してまで、人を留めておこうとする理由は何なんですか?」


 かねてより疑問に思っていたことをぶつけてみる。シーラは難しい顔で、


「封じ込めの問題だ。今でこそ秘匿されているが、当初オブシディアンはミネルヴァを地上に据えようとしていた。今のように鏡合わせの空中都市ではなく、アルハンゲリスクを下敷きにして、屹立しようとしていたわけだな。それを押しとどめるために――アルハンゲリスクが必要だった」

「ええと……つまりアルハンゲリスクは、ミネルヴァを空に押しとどめておく為の存在ってことですか」

「ああ。そも、結界を稼働させるためにはエネルギーが必要だ。そのエネルギーの源がアルハンゲリスクという都市になるというわけ」


 アルハンゲリスクという都市をエネルギーの源として、結界が発動される。

 その結界を構成し、強度を増しているのが、アルハンゲリスクを中心としてこの国に点在している森や図書館というわけか。

 勿論図書館や森はそれ自体に意味がある。教育、啓蒙、第二の暮らしの場、実りを得る場所、知識を保管しておく場所……。結界を構成する要素という意味だけではなく、国民の生活を向上させるものとしての意味を持っている。

 だからもしそれがなくなったり、老朽化したりすれば、粛々と修理すればいい。原状復帰はさほど難しくはないだろう。


 けれどここアルハンゲリスクの防衛という意味で考えるのならば――。


 図書館と森が「消える」ということは非常に剣呑な意味合いを持つのだ。


「”ガーデナー”は皆自分たちの森の役割を知っているんですよね」

「ああ。無論君のおばあさまもね。彼女は長きに渡りあの森を守ってくれていた。早めに代替わりをしようとしていたらしいが……。残念だ」


 ばあちゃんはあたしにそんなことを言わなかった。言えなかったのだろうか。あたしが一人前の”ガーデナー”になったら教えてくれるつもりだったのだと信じたい。


「森を守り、ひいてはこの都市を守ろうとしていた”ガーデナー”たちが次々と殺されている。しかし、だからこそ分からないんだ。アルハンゲリスクを攻略したいなら、ミネルヴァから数十体の神性獣を落とすだけで事足りる。連中の目的は何だ? 何のために森を焼き、図書館を潰し、魔都アルハンゲリスクの守りを剥ぐ?」


 ミス・アルカディアは静かに首を振る。


「フーダニットもホワイダニットも分かっていない。けれど、私たちは探偵ではないわ。私たちは衛兵であり城塞である。ここの都市を守ることが私たちの務め。ならば今回もその務めを果たすのみ」


 そう言って彼女は足元を指差した。


「ここ、王宮庭園は守りの要に当たるわ。アルハンゲリスクの中央部に位置し、ミネルヴァを遠ざける為の”槍”の役割を果たす」

「この王宮庭園に限り、魔術的な防御……いや護りが施されてある。だがそれも古典的なおまじないのようなものだ。だから足りない」


 強い語調で言い放ったシーラは、あたしの目を覗き込んだ。


「君にはこの王宮庭園を守って欲しい。ここアルハンゲリスクでもなおその威容を失わぬ真紅の防御魔術によって」

「……」


 そんな大したものじゃない。あたしの魔術はせいぜい神性獣一頭を食い止める程度のものであって、何十頭も落ちてくる彼らを防ぎきれるほどの強度はない。


 ――だが、ここで怖気づいてはハッキネンの名折れである。

 やることは変わらない。あたしはあたしの世界を守るだけだ。

 頷けば、姉妹のまなざしが安堵に緩むのが分かった。

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