第23話 失格
怒鳴り声で目が覚めた。
「だから、どうして彼女が囮になったんだ!」
「さっきから言ってんだろ。三方向に別れた方が都合が良い。鬼ごっこの鉄則を知らねえのかよ、神性簒奪者サマよ」
このガラの悪い喋り方はチップだな。それにしてもやけに響く。
「う……るさい……」
「お、起きた。師匠、ハッキネンが起きました」
頭に包帯を巻いたネムが枕元に立っている。口の端に大きな裂傷があるけれど、あんまり気にしてないみたいだ。あたしの顔を覗きこんで、安堵したように目元を緩めた。
看護師が音もなくやって来て、色々あたしの体をいじくりまわした。いつの間にか白い貫頭衣みたいな病院着を着せられていて、手首には名前の書かれたバンドがはめられてあった。全身を確認されている間、あたしは馬鹿みたいに口を開けて高い天井を見ていた。
ここは植物園だ。植物園の中にベッドがある。
天井はガラス張りになっていて、ミネルヴァが落ちて来そうなくらいくっきり見える。明かりという概念のないミネルヴァは、夜陰に包まれてしまうと急に重みを帯びて存在感を増す。
部屋の壁を優しく覆うのは緑の蔦だ。あちこちがぼうっと光っているのはインゴウグサだろう。オルトラの森にも生えていた。この木の身を常食とする鳥は毒を持っているので、あんまり近づくなと言われていたものだが。
辺りを窺って気づく。ここはどうやら植物園というより、植物園風に作られた部屋だ。繁茂する植物や、ちょっとした彫刻の傍に本棚やソファが設えられてある。通路の隅には水路が設けられていて、水が流れるさらさらという音が心地よかった。
部屋の中にいるのはあたし、ネム、チップに瑠依さん、そしてシーラ。
「心臓は!?」
思わず叫べば、チップはにまっと笑って、自分の左胸を拳で叩いた。
「じゃ、じゃあセプ・ルクルムは、無事……?」
「おう。お前のおかげでな」
長い長い安堵のため息がこぼれる。膝を抱えてばたんとベッドに横になると、
「静かに。安静にして下さい」
と早速看護師に釘を刺された。いかにも有能そうな彼女は、あたしの体調に問題がないことを確かめると、そそくさと部屋を出て行った。滝のような設えの後ろにドアがあるらしい。何とも手の込んだこと。
「気分はどうかな、ミルカ」
「うん、だいじょうぶ。ありがとうシーラ」
「良かった。で、起きて早々悪いんだが、君の雇い主を落ち着かせてくれないかね」
「落ち着く? 落ち着けるものか、彼らにこんな怪我をさせておいて!」
瑠依さんはいつになく荒々しい動きで、あたしとネムを指差した。
「ミルカは肩に裂傷で全治一か月。ネムは頭と顔に傷を負ってこっちは全治三週間だ。それもこれも君が無茶なオーダーをしたせいだろう」
「悪かったな。だがあん時ゃそれしか方法がなかったんだよ」
「心臓を二つに割ったのは確かに良策だ、認めよう、けどその心臓を二人に奪わせるなんて、信じられない!」
「オレはツラが割れてたんだよ、心臓抉って殺したはずの奴がのこのこ出てきたらおかしいだろうが!」
「変装するなり魔術で姿を変えるなり、方法は色々あっただろう!」
「おいおいどうしちまった神性簒奪者! 神性獣の近くじゃまともに魔術は展開できねえんだよ!」
正論をぶつけられ瑠依さんが口ごもる。すごい、一度喋らせたら止まらない瑠依さんが、言い淀むなんて。
ネムも横でびっくりした顔をしている。
「師匠が口喧嘩で劣勢なの、初めて見た」
「口喧嘩って、あのねえネム……!」
「三方向に分かれようって言ったのはあたしです、瑠依さん」
いつまでもチップが責められるのは何だかおかしい。そう思って口を挟めば、瑠依さんはぎょっとしたように立ち上がった。
「本気で言ってるのかな。こいつを庇おうとしてるんじゃなく?」
「はい。あたしが三方向に分かれようって言って、あたしがあの神性獣を挑発しました」
「なぜそんな馬鹿なことを」
「一番時間が稼げると思ったからです。あの場で魔術をちゃんと展開できるのはあたしだけですし、ネムは頭を怪我してたから、あんまり動かさない方がいいと思いました」
瑠依さんの黒曜石みたいな目が揺れている。
「だからって、どうしてきみが」
「できると思ったからです」
「できる!? きみの防御魔術は確かに効果的かもしれないが、なぜ一人で処理できるなんて馬鹿なことを考えたんだい」
「馬鹿なこと? 馬鹿なことじゃないです。確かに心配をかけたかもしれませんが……」
「私からしてみれば愚行以外のなにものでもない! 三人で逃げて、神性殺しに頼れば良かったんだ。自分たちでどうにかしようとせずに」
一瞬、話しているのが瑠依さんなのか信じられなかった。瑠依さんはこんな臆病なことを言う人だっただろうか。この間の神性獣七体の時も思ったけれど、どうして瑠依さんはあたしを信じてくれないんだろう。
「三人で逃げていたらジリ貧でした、心臓を戻す時間も稼げなかったし」
「いや、どうにかなったはずだ。きみやネムばかりがこんな怪我をする必要もなかった」
「どうにかならなかったから決断したんじゃないですか」
「何度も言ってるだろう、だからってどうしてきみがやらなきゃいけない? ”ガーデナー”気取りはやめなさい」
頭の中で、カーンと音がしたような気がした。
そうだ、あたしは”ガーデナー”じゃない。ならなきゃいけなかったのに、なれなかった。
だからこそあたしは自分が”ガーデナー”だなんて思ったことは一度もなかった。そんな大きな看板を背負おうとした覚えはないのに。
瑠依さんにはそう見えているんだろうか。いつまでも未練がましく”ガーデナー”にしがみついているように感じられるのだとすれば、それはとても――。
「師匠」
ネムが鋭く声を飛ばす。
「師匠は、レプリカの槍を持つ俺にもそう言いますか」
「……」
「神性殺し気取りはやめろと言いますか。……どう頑張ったってなれないことは、自分たちが一番よく知ってるのに」
吐き捨てるように言うと、ネムは折れた槍を拾い上げた。
「これ、修理して貰いたいんすけど」
「三階へ行っておいで、そこで技術班が待機しているから」
シーラが優しく答える。ネムは頷いてそのまま部屋を出て行ってしまった。
「今のはだな、十割あんたが悪いぞ、常盤瑠依」
「……だけど納得できない。どうしてあの子たちが」
「子ども扱いは止めなさい。誰があんたに彼らの保護者をせよと言った」
「違う、子ども扱いをしているんじゃない。うちの従業員として話してる」
瑠依さんは近くのソファにどっかと座った。シーラはため息をついて、あたしのベッドの端に座る。
「つまりは臆病者ってことさね。自分以外の誰かが傷つくのが嫌なんだろうよ」
「好きな奴はいないだろう」
瑠依さんが鼻で笑うと、シーラはベッドにぽすんと倒れ込んだ。シーツの上に広がる金糸のような髪の毛を指先で弄んでいる。
「皆誰かが傷つくのを見るのは嫌だよ。殊に自分の好きな人が傷つくのを見るのはね。だけど私たちはオブシディアンに関わる身だろう。恐怖心さえも呑み込んで、平気なふりをするんじゃないか。……ま、そんな臆病者だからこそ、ヴィヴィも好きになったんだろうが」
ふと気になってあたしは口を開く。
「シーラは、ミス・アルカディアのことをヴィヴィって呼ぶくらい仲良しなの?」
「ん? だってアレ、私の姉だからね」
「あ……姉!?」
ミス・アルカディアとシーラが姉妹。
ふわふわの金髪、綺麗な目の色、スタイルといった外見は似ているかもしれない。けれど中身が全然結びつかない! 意外な組み合わせにも程がある。
「……待って、ってことはシーラって今幾つなの?」
「ふはははは! そうさね、ヴィヴィと私は結構歳が離れてる、とだけ言っておこうか」
「き、気になる」
「ふふん。まあ君とあんまり変わらんから、そう気にしないことだね」
片眼鏡越しに見るシーラの目は、どこか優しい。
シーラにかいつまんで教えて貰った話によると、分かれたチップとネムはすぐに合流できたらしい。ネムはあたしを追いかけて行こうとしたけれど、頭の出血が酷すぎたのでチップが止めた。
神性獣と距離を置いたおかげで、電話も繋がるようになったので、分かれてから程なくして神性生物対策班への通報を行ったそうだ。それからゆっくり心臓をチップに戻したらしい。時間は十五分以上かかったというから、やはりあのまま三人一緒に逃げ続けていれば稼げなかったと思う。今となっては、の話だが。
アルハンゲリスクが人払いされていたのは、二人が通報したおかげだろう。急行できる神性殺しが二名しかいなかったため、市街地に入る前に神性獣を足止めするという作戦は失敗したが、予想外にあたしが――というよりはロカンポールたちが持ちこたえたので、事なきを得たそうだ。
なぜ神性獣が牡鹿から虎の姿になったのか尋ねてみると、チップが答えてくれた。
恐らく何らかの理由で、神性獣は牡鹿に身をやつし、隠密行動をしていたのだろう。本来の姿であるサーベルタイガーは、セプ・ルクルムの森には生息していないので、そのまま行動すれば目立つと考えたに違いない。厳密に言えば、あの種の牡鹿も生息していなかったのだが、そこはチップの目を侮ったのだろう。些細な違いなど分かるまいと。
『概要は理解できたかな? では宿題だ、ミルカ。なぜ、誰が、どうやって神性獣をセプ・ルクルムへ遣わしたのか? ……それが分かれば、君のおばあさまを殺した犯人にも近づけよう。ま、私も何が起こっているのか薄らとしか分かっていないんだがね!』
シーラが謎めかしていった言葉を反芻しながら、あたしは枕を整え直した。
ここは病室だそうなので(凄い病室だ)あたしはこのままここで寝ていていいそうだ。ネムはそのうち戻ってきて、傷ついた動物みたいに体を丸めて寝てしまった。
部屋の明かりを緩めると、壁に止まっていた蝶がゆるりと空中に浮かび上がった。暖かい黄金色に輝くその蝶は、あたしの近くの木に止まって手元にほんのりとした明かりを落としてくれた。常夜灯代わりだろうか。
このまま寝てしまう気分にもなれなくてぼんやりと天井を見上げていると、爪が床にぶつかるリズミカルな音がした。
「あ、ベータ」
あたしを運んでくれたロカンポールがベッドの下にいた。見ればその背中はあたしの血で汚れている。しきりに体を舐めているので、やはり気になるんだろう。
「洗ってあげるよ、おいで」
そう言うとロカンポールは大人しくついてきた。常夜灯代わりの蝶もふわふわとあたしの足元を照らしてくれる。おかげで水路に足を突っ込まなくても済みそうだ。
水路に手ぬぐいをひたし、根気強く毛皮を拭う。
「今日は大変だったね。たくさん走ってくれてありがとう。怖かったのに、足を緩めないでくれてありがとう」
彼らが少しでもうろたえていたら、足を滑らしていたら、統率を乱していたら、あたしは死んでいたかもしれない。そう考えると、体を拭う手が今更震えてくるのを感じた。
色んな感情が込み上げてくる。刹那の先の死を見たこととか、ばあちゃんと練習した白百合文様をきちんと展開しきれたことへの誇らしさとか、色々。
ふわふわの毛からは土埃と血の匂いが漂ってくる。ちょっぴりの死臭は、共同墓地に潜んでいたときについてきたものだろうか。あそこに横たわっていた死体のうつろな眼窩と、ばあちゃんの胸に空いた螺旋状の傷跡が重なってぶれて脳内で震えている。
残像。
拭った布を水に浸すと、ほんのりと赤く染まった。
水路に水滴が垂れ、幾重にも波紋を作った。何だろうと思う間もなく、震える両手が口元を覆う。
ああ自分は泣いているんだと気づいたのは、ベータがせっせと頬を舐めてくれているからだった。悲しいわけじゃない。多分色んな感情を処理しきれなくって、混乱しているんだと思う。
けれど、もし悲しいことがあるんだとすれば、それはきっと瑠依さんのあの一言だろう。
「……瑠依さんの、ばか」
ネムの言った通りだ。“ガーデナー”になれないことは自分が一番よく知っているのに。
”ガーデナー”ぶるのはやめろ、なんて言葉が瑠依さんの口から出て来るとは思わなかった。言われた言葉も刺さったし、瑠依さんがそんなことを言える人だなんて知りたくなかった。人の大事なものを傷つけられる人だと、思いたくなかった。
あたしはベータのふかふかの毛に顔を埋めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます