第22話 ギヨティーヌ

 全速力で走るのはあたしじゃない。けれどロカンポールたちはまるであたしが乗り移ったように走った。

 じきにアルハンゲリスクの目印である双頭の鷲の像が見えてくる。


 思った通りひと気はない。運河が多く、小さな橋の多いこの街は、人間がいないとどうも居心地が悪く感じる。橋のすぐ近く、川べりにずらりと揃って停められた車とか、半地下のレストランとか、そこからひょっこり何かが出て来そうで。


 ベータがひょいと車のボンネットからボンネットへ飛び移り、運河を飛び越える。船から船へと優雅に跳躍するさまは、流線の美しさを秘めて水面を揺らす。

 背後では神性獣が車を行儀悪く跳ね散らかしていて、しつけの差に苦笑した。


 大きな川べり沿いに出る。ここならそんなに建物を壊さなくて済むだろう。

 走っているとどうも右目の端にちらちらと光るものがあった。川面かと思ったがそうではない。あたしの右手には大きな建物があって、そこの屋根の上に風見鶏よろしくくっついている王冠のオブジェが光っているのだ。


 国立王宮庭園だ。一度も行ったことがないけれど、アルハンゲリスクの有名な観光スポットらしい。瑠依さんがよくデートに行くって言う。


 王冠のオブジェの下の窓が開いた。

 ぬるりと突き出す黒い筒。それが乾いた音を立てた。


 刹那、背後で神性獣がもんどりうって倒れた。体が浮くのじゃないかと思うくらいの轟音に遅れて、外壁や街灯が崩れる嫌な音がした。


「おーいミルカ、こっちだこっち」


 ドアが開いてひょっこりシーラが顔を出す。片眼鏡の向こうの目は相変わらず澄んだロイヤルブルーをしている。このブルーにミルクを混ぜたらちょうど王宮庭園の外壁の色になりそうだ。


「神性獣相手にずいぶん粘ってくれたね。おっとこいつらはロカンポールか、また随分な奴らを引き連れてきたもんだ。セプ・ルクルムの匂いがする」

「セプ・ルクルム……チップは!? ネムは!?」

「そうはしゃぐもんじゃないよ。何しろまだこちらさんのおもてなしが終わっちゃいない。――ヴィヴィ!」


 呼ばわりに応じて窓から飛び降りてくる女性がいる。

 流れるような金髪にオーロラのような瞳。シーラに似ているが決定的にシーラと違うのは、その手つきだろう。彼女の手はよどみなく動き、粛々と事を進めてゆく。そこに遊びは微塵もない。


「こんにちは」


 ヴィヴィと呼ばれた女性は短く挨拶すると、持っていた槍をくるくると回しながら間合いを測ったかと思うと、上体を低くしてから思い切り右足を踏み込んで槍を投擲した。

 サイドスローで投げられた槍は過たず神性獣の眉間を撃つ。急所を穿たれた神性獣は再びもんどりうって倒れた。


「ふふん。あの銃弾が効いているようだな。一撃にて絶命させるという目的こそ達せられなんだが、なかなかやるじゃあないか。……なんだミルカ、その目はあの武器の名を聞きたいと言う目だな!」

「いや別に、聞いてな」

「良い良い君の健闘に免じて教えてやろう! あれはな、王宮庭園の巫女なりしこの私が手ずから作り上げた神性獣特化型兵器、通称ギヨティーヌである!」

「……ギヨティーヌ?」

「オブシディアンたちには内緒だぞ? せっかくプレゼントしたものを細かく刻んで全く別のものに変えられたとあっては、さすがの彼らも良い気はすまい」

「プレゼントしたもの……。あ、槍?」

「そうそう。あれを作るのには並々ならぬ努力が要ってな、私たちの父の代からちまちまちまちまと研究を続けて来たのがやっと結実したというわけ! 今更オブシディアンにチクられて没収されでもしたらたまったものではない。だから秘密だぞ」


 建物からぞろりと出てきた神性殺しの人たちが、槍を構えて駆けてゆく。倒れた神性獣は起き上がることもなく、滅多刺しにされていた。白い毛皮にじんわり滲む紅色の美しさに見惚れていると、体がどんどん冷えてゆくのを感じた。川べりは風が冷たい。


「ハッハ! こうもあっさりやられてくれるといささかつまらんというか、山場が欲しいというか。戦闘は予想通りに終わるのが望ましいのだが、ね」

「何を長々と喋っているの。まずは彼女の治療でしょうに」

「おっと」


 存外低いこの声にどこか聞き覚えがある気がして、あたしはじっと彼女の後姿を見た。対神性生物対策班のジャケットを、赤いドレスの上に着込んでいる。その体つきに見覚えがあった。

 違う、忘れるはずもない、だってこの人はあたしの憧れだ!


「ヴィクトリア・アルカディア!」

「……あなたはミルカ・ハッキネンね。ルーイんとこで働いてる」


 そうだった。そうだったこの人は、瑠依さんの、元カノ。


「は、はあ、まあ、そうですね」


 別に思うところはないはずなのだけれど、どうリアクションしたらいいのか分からず、憧れの人の前だと言うのに笑み一つ作れないあたしがいる。つめたかった心臓が熱を取り戻し始めていて、なんと正直な体だろうと我ながら苦笑した。

 きらきら輝く金髪を翻し、ミス・アルカディアはこちらに近づいてくる。冷徹な美しさをたたえたその顔は、仏頂面といってもいいほどの表情だ。


「ミルカ、足上げて。ハーネス外すよ」

「あ、はい」


 シーラがハーネスを外してくれている間も、あたしはミス・アルカディアから目を離せなかった。腕を組んで立っているだけなのに、とってもとっても様になる。かっこいい。頭も良くて美人で強いって、もう、なんなの。


「うわっ、血ィやばいよ、ミルカ」

「え?」


 のろのろと立ち上がれば、今までしがみついていたロカンポールの背中はどす黒い血で染まり、一部は濡れて固まってしまっていた。驚いて身じろぎした拍子に、指先から血が滴って石畳に零れる。

 指摘されると、傷は痛く感じるものだ。体から物凄い量の血が抜けてしまったような気がして、あたしはよろけた。


「ミルカ!」


 後ろから支えてくれる人がいた。この香水と声には覚えがある。


「瑠依、さん」

「ああ、酷い怪我を……! ネムはどこだい? どうしてこんな怪我を、このロカンポールはどこから来た?」


 矢継ぎ早に訊ねられて答えられずにいると、シーラが苦笑した。


「そう聞いても答えは出るまいよ。まずは治療が先決だろう」

「そうね。出血が酷い。これでずっと逃げてきたのだから、大したものだわ」


 ベータが思案気にあたしの顔を覗きこむ。

 生臭い息が顔にかかって、目を閉じる。

 一度目を瞑ってしまうと、疲労と倦怠感に引きずられて、瞼を持ち上げることができなかった。

 背中に感じる瑠依さんの体温に引きずり込まれるようにして、あたしは意識を失う。

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