第14話 木蓮

 それからあたしたちは、全ての神性付与物を除去したことをティアドロップ氏に確認して貰った。これで完了というわけではなく、神性付与物の影響がないかどうか、対神性生物対策班の方で定期的にレビューするのだそうだ。損失額や補填の話も彼らがするらしい。

 あたしたちはあくまで応急処置。そういうことらしい。

 だからだろうか、ティアドロップ氏は終始笑顔だったけれど、決して友好的ではなかったように思う。持っていた杖も一度も使っていなかったし、気を張り詰めていたのかも。


 だからそんな僧院からやっと帰れるということになって、心底ほっとしたのだ。初めての仕事を、及第点ではないにしろ、どうにか乗り越えたという安堵もあった。


 帰りは僧院の馬に乗せてもらった。瑠依さんもネムも、都会の人間にしては上手く乗りこなすので驚いていたら、神性生物対策班では乗馬研修というものがあるらしい。


「たまに強い神性獣の近くだと、車なんかも使えなくなることがあるんだ。ええとなんだったかな、EMPとかいう電磁気を発するから、だったかな」

「だから馬にも乗れなきゃ神性殺しはやってけないってわけですか」


 考えてみれば森の中と理屈は同じだ。森の中でも特に強烈な磁場がある場所は、トラクターや衛星電話さえも使えなくなる。そういう場所に一般の人が立ち入らないようにするのも”ガーデナー”の大切な役割だった。


「ミルカはやっぱり乗馬が上手いね。家ではずっと乗っていた?」

「はい。真冬の豪雪地帯を、馬ぞりに妊婦さんを乗せて、夜じゅうずっと走ったこともありましたよ」

「”ガーデナー”はそんなこともすんのか」

「必要があればね。何でも屋みたいなところがあって、農家のお手伝いとか、屋根の修理とか、牛のお産の介助とかしてたよ」

「う、牛のお産? それはすごいね……。今きみが挙げた仕事のどれか一つでもできる気がしないよ」

「そうですか? 別に、やってしまえばそう難しいことはないですけれど」

「私はなんだかんだいって都会っ子だからなあ。何でもお金を払って誰かにやってもらうってことが多かったかな。煙突掃除とかさ」


 煙突掃除なんて、逆に他人に任せて怖くないのだろうか。やにが詰まりすぎていると煙が酷いし、最悪火事にもなりかねないので、ばあちゃんは毎年自分で掃除していたものだけれど。

 知識豊富で優しくて、何事にもうろたえなくて。ばあちゃんはそういう”ガーデナー”として、村の人々から尊敬されていた。あたしがそのあとを継ぐのを心待ちにしていた人も多いと聞く。


 その期待を裏切ってしまって少し胸が痛む。あたしがもっと賢くて要領がよくて、中途半端に防御魔術の才能がなかったら、早めにばあちゃんから”ガーデナー”を引き継げたかもしれないのに。そしたら、ばあちゃんが死んでしまっても、森との関わりは途切れなかったかもしれない。

 オルトラの森は、あたしが足を踏み入れても、もう昔のようには歓迎してくれない。ガーデナーを失った森は死んでしまうから。

 だけど、あたしが去っていく日に、たった一本狂い咲いた木蓮の木があった。

 死んだ森は実らない。当然花も咲かないはずなのだけれど、まるであたしを鼓舞するみたいに、一本だけ綺麗な花が咲いたのだ。

 あれを思い出すと泣きそうになる。失ったもの、奪われたもの、それからあたし自身のふがいなさが、目の前に突き付けられるみたいで。


 ――ばあちゃんが死ななかったら。こんな風にはならなかった。


 手綱をぎゅうっと握りしめる。ばあちゃんをあんな風にした犯人は―あの犯人は今も、どこかで、人の心臓を奪っているんだろうか。

 と、瑠依さんが声を張り上げた。


「さて! ネム、これから私たちがしなければならないことを、まとめてくれるかな」

「はい。まず魔狼を俺たちに差し向けた連中が誰かを探ること。それから今回本に神性を付与することになった経緯を推理すること。最後に図書館が燃え落ちた原因を推理することです」

「よろしい。前者は心当たりが多すぎるのでまあ今度にして、二つ目と三つ目については少々深く考えなければいけないだろうね」


 ネムが頷く。


「火事が起きた理由は何となく分かります。オブシディアンの中にも地上に降りるのが上手いやつとそうでないやつがいる。それに怒ると炎を出しますからね」

「今回は下手くそなやつで、降りてくるときに雷を伴ってしまい、焼け落ちてしまった……。あるいは癇癪を起こしてうっかり図書館を燃やしてしまった、とか。可能性はあるだろうね。であれば、どうして全ての本ではなく、特定の本だけに神性が付与されていたのか」


 ミルカはどう思う、と聞かれて考える。


「ええと、オブシディアンが触ると、神性が付与されるんですよね。ってことは燃えなかった本だけを読んでいったんでしょうか」

「うん。私もそう思ってる。さっき作った目録、ざっと読み上げて貰ってもいいかな」


 ネムが目録を読み上げた。『アルハンゲリスク史第七巻』『風俗と習慣』『書物の歴史』『子どものためのドラゴン史』『意匠学』『ガーデナーと十三門閥に関する覚書』『文様展開における西洋の歴史』『文様入門』『レディ・ベッキーの生涯』『アルハンゲリスク―十九世紀メイドの歴史』『大都市内での文様展開の公共性』『森に帰れ』『ガーデナー名鑑』等々。


 タイトルから察するに、歴史や文様に関する本が多いようだ。統一感があるようなないような。


「うーん、何を考えてるんだかさっぱり分かんないね! 分析は任せよう。いやはやこういうのに素人が手を出すもんじゃないね」

「地上に下りるのが下手だったり、人間の世界の歴史を勉強しようとしたり、何だかかわいいオブシディアンですね」


 思わず笑ってしまうと、瑠依さんも苦笑しながら頷いた。


「本当ならスケジュール外の降下ってことで抗議しないといけないんだけれど、ミルカがようやく笑ってくれたんだ。少し手加減してあげてもいいかもしれないね」

「あ……あたし、そんな笑ってなかったです?」

「すっごいしかめっ面だったよ」


 無邪気に笑う瑠依さんは、馬のたてがみを撫ぜながら、独り言のように言った。


「変に立ち止まってしまうのがよくないんだ。悪いことばかりを考えてしまうし、自分ばかりがこの世で一番不幸であるような気がしてしまう。だからね、いつも頭を別のことでいっぱいにしておくといいよ。そうすれば立ち止まらなくて済む」


 実感のある言葉だった。頭を別のことでいっぱいにしておく。それって、瑠依さんがいつもやっていることなんだろうか。女の子たちで頭を埋め尽くして、立ち止まらないようにして、そうして瑠依さんはどこへ行くつもりなんだろう。


「……そうですね。今度からそうします」

「うん。さーて、そろそろ携帯の電波は復活するかな」


 携帯をいそいそと取り出し、画面をチェックする瑠依さん。細くて白いかんばせには、疲れの色一つ見えなかった。

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