第9話 駅舎


「うっそだろ! なんもねえ!」


 ネムが素っ頓狂な声を上げる。だがまあ、こんなものだろう。寒村なんて。


 電車を乗り継いでようよう訪れたデラントワ駅。これでもこの地方では一番大きな駅だと思う。有人だし。それをなんもねえとは誠に失礼な話である。


「ねえ大変だよネム、私としたことが宿のことを考えていなかった。駅に着きさえすれば何かしらの宿泊施設があるだろうと思っていたんだが……」


 途方に暮れた顔で瑠依さんがぐるりと見渡す。


「何にもないね?」


 時刻は夜の十時を過ぎ、とっぷりと日が暮れて気温が落ちている。

 駅の前には、昼間はほどほどに栄えているのかもしれないと思わせる店が幾つか並んでいるものの、この時間では開いていようはずもなく。


「野宿ですかね。真冬じゃなくてよかった」

「マジで言ってんのかお前……!」

「マジで言ってるけど、でもその前に」


 あたしはちらりと駅舎を見る。まだ年若い駅員がこちらをさりげなく窺っているのが分かる。その顔は無愛想でいかにもよそ者を警戒しているようだけれど。

 そっと近づいて、声をかける。


「すみません、あの。僧院へ行きたいのですが」

「僧院? 山の上のですか。今から行っても三時間はかかるでしょう。馬もこの時間じゃ貸し出ししていませんし」

「飛んでいくことは可能でしょうか」

「こんな夜半に? やめておいた方がいいです。朝になるまで待って、それから出たほうが安全です。あの辺りは魔狼も出ますから」

「この辺りで泊まるところは……」

「ありませんけど」


 駅員はちらりと瑠依さんたちを窺った。


「三人くらいなら駅舎にお泊めしますよ」

「ほんとうですか! ありがとうございます!」


 やり取りを見て瑠依さんが破顔しながら近づいてくる。


「やあやあどうも、こんな時間にすみませんねえ。ちょっと時間を見誤ったもので」

「都会の方は大体そうだ。宿屋ではないので大した部屋は用意できませんが」

「ありがとうございます。面目ない、このまま強行軍で登ってもよかったんですが、女の子がいるので」

「いえ、こんな時間に不慣れな人が山に登ったら遭難します。そうなりますと我々も手間ですので」


 さらりと言ってのけた駅員さんは、もう終電ですからと改札を閉じ、駅舎の中にあたしたちを入れてくれた。

 既にガスストーブが点灯している建物の中はとても暖かい。ほんのりジュニパーベリーの香りがしてあたしは目を閉じた。懐かしい。


「おう、デオン。お客さんか」


 上着を脱ぎ、シャツだけになっている四十代くらいの男性が、椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。あたしたちのような物知らずの闖入者ちんにゅうしゃに慣れているのだろう、気安い様子でミダスと名乗ったので、あたしたちもそれぞれに自己紹介をした。


 瑠依さんはあたしたちを、とある大学の民俗学研究者だと称した。大筋としては間違いではないが正しくもない。


「ふうむ、しかし教授と言うには若すぎないかね、あんた」

「よく言われますが、これでも四十に手が届こうかというところですよ」

「そうなのか? 東洋のヤツの年齢はよく分からんな」


 いけしゃあしゃあと嘘をつく瑠依さん。何も言わないで、出されたコーヒーを飲んでいるネムを見る限り、どうやら仕事中はこれが―口八丁手八丁で相手を丸め込むのが、瑠依さんのスタンスらしい。嘘をつく方じゃないという瑠依さんの自己評価には、強く異議を申し立てたいところである。


「それにしてもずいぶん美味しいコーヒーだ。この辺りで作ってるんですか」

「おう。あんたらが行く僧院、あそこで挽いているんだと。豆は確か山の向こうの別の国から仕入れてるらしい」

「道理でエキゾチックな味がするわけだ。僧院とは結構行き来があるので?」

「行き来っつうほどでもないがなあ。信心深いやつは麓の教会へ行くし。あそこへは週に二度食料を卸しにナーサリーの婆が行くくらいだよ」

「麓から誰かが降りてくることはない?」

「ほとんどない。あそこの修行はかなり厳格らしい。俗世に交わればこれ即ち悪と言ってはばからん」


 十把一絡げに悪と断じられては面白くもないだろう。現にミダスさんはあまり僧院を快く思っていないようで、


「三年ほど前か。新しい院長はそりゃあ吝嗇ケチでね、燭台一つだって無くなるとすぐ気づいて、盗んだ犯人を徹底的に追い詰めるんだと。汝の隣人を愛せよと説教しておきながら自分の心は鍵穴ほどの広さもないというのだから、いやはや程度が知れるというもんだ。その天罰かね。火事で図書館が焼け落ちちまうとは!」


 図書館。コーヒーと暖房で緩んだ体が緊張感を取り戻す。


「図書館が焼け落ちるとは! 僧院は無事だったんですか?」

「ああ、夜中のことだったんでね。いくら朝が早い僧でも、深夜一時ではまだ眠っている頃さ」

「火事の原因は?」


 火の不始末かねえとミダスさんが首をひねる。するとそれまで黙っていたデオンさんが口を開いた。


「落雷ではないかと」

「落雷? どうしてそう思うんです?」

「俺の弟が僧院にいるんです。僧としてじゃなくて、小間使いとして。弟はあの日、窓の外が昼間のように明るくなったせいで目が覚めたんだそうです。そのあとに、とても大きな、地鳴りのような音を聞いたと言っていました」

「なるほど。だから落雷。いやあ怖いですねえ、秋口はどうにも乾燥していけない!」


 大げさに言う瑠依さんに、デオンさんはこっくりと頷いた。


「古い木造の建物ですから、燃えるのも早かったんでしょう。……そう言えば、弟が妙なことを言っていました」

「妙なこと、とは」

「魔術があまり上手く使えないと。弟はあの僧院の中で唯一魔術を使えるのですが、あの夜からどうも妙だとぼやいていましたよ」

「それは不思議だ。レナード現象とかいうやつでしょうかね? マイナスイオンがこう、魔術に干渉して悪さを働くんでしょうな?」

「はあ」

「いけないなあ、とてもいけない。魔術が使えなけりゃただ働きの門前払い、給料泥棒だしそもそもすごく不便だし!」


 分かった。瑠依さん、疲れている。口から出まかせが精度を失い、喋りは胡散臭さを増している。

 ネムもそれを感じ取ったのだろう、素早く会話に割って入る。


「教授、どうにもお疲れのご様子です。今日はもう休ませて貰いましょうよ」

「ああ、気づかずにすまなかった。手洗い場と寝室へ案内しよう。と言ってもベッドは二つきり、うち一つは勿論お嬢ちゃんに使ってもらうとして、あと一つは……」

「この私に譲って下さるのですね、大変結構、ありがたい。あなた方にヤタガラスのご加護がありますように」


 瑠依さんは両手を合わせて深々とお辞儀をすると、ふらりと駅舎の奥の方へ入ってゆく。あまりにも手慣れた身勝手ぶりに、ミダスさんもデオンさんも一瞬言葉を失っていた。


「……ええと、あたし、床で寝れますが」

「いやいやお嬢ちゃんはベッドで寝なさい。女性よりも先にベッドを占領するとは、都会の人間には礼儀という概念がないのかね?」


 呆れ果てたようなミダスさんの口ぶりに、返す言葉もない。

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