第6話 就職
「おばあさまの傷と?」
瑠依さんは形の良い顎を指で押さえ、何かを思い出すように視線を宙にさまよわせた。
「……心臓。そう、心臓を取られたという事件はひと月前にもあったね。確かオルトラの、六十代の女性だった」
「それはあたしのばあちゃんです。ばあちゃんはあたしが森にかけた罠を見回っている時に、殺されました。こんな風に」
見間違えるものか。ドリルで無遠慮に穴を開けたような、図々しいこの傷口を。
「残念だったわ」
女性があたしの手にそっと触れる。優しい手つきだ。
けれど今のあたしに必要なのは、同情とか、労わりとか、そういうものじゃない。
「ありがとうございます。……あたしは誰がばあちゃんを殺したのか知りたい」
「オルトラの森ということは、あなたのおばあさまは“ガーデナー”だったのね」
「はい。森の番人でした。あたしもいずれ、そうなる予定でした」
だがその前にばあちゃんは死んだ。ゆえに、
そうなってしまうことを、森が閉じる、とあたしたちは言っている。閉じた森はゆっくり時間をかけてまた開いていかなければならない。
「ばあちゃんにこんなことをした奴を、見つけたい」
「見つけてどうする?」
瑠依さんは気軽に訊ねる。
「“ガーデナー”を失った森は閉じられる。落ちたハンプティ・ダンプティは戻らないし、こぼれたミルクは土に吸い込まれてそのままだ。よしんば犯人を見つけたとしてもおばあさまは生き返らないし、森は再び開かれない。さて、君はどうする?」
「理由を」
瑠依さんは試すようにあたしの目を見ている。
「あたしは理由を知りたいんです。ばあちゃんを殺すだけでは飽き足らず、心臓まで持ち去った理由を。どうしてばあちゃんがそんな風に死ななければならなかったのかを」
「犯人をどうこうしてやろうという気はないと?」
「さっき瑠依さんも言ったでしょう。犯人の心臓を七つ集めればばあちゃんは生き返るんですか?」
「愚問だったねえ。ごめんごめん」
からっと笑い、瑠依さんは立ち上がる。
「であれば、私たちが手伝えるだろう。どのみちこの死体について調べなくちゃならないし。本当に人使いの荒いことだよ」
「それがあんたたちの仕事でしょ。組織ではやりにくいこともあるのよ」
女性はたしなめるように言う。一応神性殺しの顧問というだけのことはある。閑古鳥が鳴くことはなさそうだ。
瑠依さんはあたしに向き直ると、
「ネムから話は聞いているだろう。私たちと一緒に働きたいかい」
「はい!」
「ならばディールだ。よろしく、ミルカ!」
分厚いてのひらがあたしの手をきゅっと握りこんだ。随分とつめたい手だ、と思った。
握手を終えると、待ち構えたように女性があたしの顔を覗きこんだ。
「じゃ、当分はルーイんとこにいるって理解でいいわね。私はターシャ・コニコヴァ。見ての通り神性生物対策班で働いているわ。それにしたってどうやってこんな防御魔術を展開できたの?」
「時間は、たぶん三時間くらいかかりましたが……。このくらいはできます。ばあちゃんに仕込まれましたから」
「このくらい、ね。それが言う程簡単じゃあないのよね」
「どうしてですか?」
あたしの展開できる防御魔術はそんなにレベルの高いものではない。独学で学ばざるを得なかったからだ。
ターシャは真剣な顔で言った。
「アルハンゲリスクはミネルヴァ、及び神性殺しの槍の持つ磁場のせいで、通常の魔術を展開することが大変困難になっている。自動文様展開盤がこの地で発達したのはそのせいよ。あれは魔力さえ流せば誰でも、どんな条件下でも魔術を展開できるから」
「磁場……。森にも魔術の使えない洞のような場所がありましたけど、それと同じって理解でいいでしょうか」
「ええ。そもそも魔術がまともに使えれば、この街全体を覆うように防御を展開するわ」
得心がいった。街全体を守る程の防御魔術が展開できないから、せめてもの避難先としてコンテナに魔術を展開しているわけか。
「あなたがこんな魔術防壁を展開できたのはなぜかしら」
「えっと」
そんなのあたしに聞かれても答えられない。いつも通りに魔術を展開しただけなのだから。
すると瑠依さんが、カメラで撮ったあたしの文様をズームで確認しながら、
「オルトラの森は殊に磁場が強い。そこで育ったのであれば、ある程度負荷のかかった環境でも魔術が展開できるようになっているんだろう」
「なるほど」
「それから多分、文様のせいってのもあると思うよ。彼女の描画方法は非常に特殊だ」
「文様? この古めかしい蓮の花の意匠が?」
「うん。多分他の術士とは少し異なるやり方で描画しているんじゃないかな。きみ、誰に魔術を教わった?」
「ばあちゃんです。でもばあちゃんもあたしもどこかの門徒じゃありません」
「魔術を勉強したのはどのくらいの期間?」
「十歳くらいからです。ミドルスクールを卒業して、十五歳からはずっと、”ガーデナー”になるための勉強と魔術の訓練に専念していました」
「それは結構早いね。“ガーデナー”が後進を育成するのに長い時間をかけることは知っているが、それだって本格的に修行に取り組むのは十八くらいになってからだろう」
早いという実感はなかった。ばあちゃんがそろそろはじめようと言えば、あたしがどう思っていようと物事は進んでゆくし、そもそもあたしは早くあの森のことが知りたくてたまらなかったから。
「理由はこの際どうでもいいわ。時々彼女を貸してもらうわよ。守りの手はいくらあっても足りないんだから」
その言葉に、自分がとても自己中心的な決断をしているような気がした。ばあちゃんを殺した犯人を見つけるよりも、この街を守ることに専念した方が良いのではだろうか。あたしの魔術が役に立つのならば、それを活用した方が……。
いや、違う。逡巡は時間の無駄だ。
心臓を奪う。冒涜的な行為をした犯人を見つけ、理由を聞く。復讐したいかと言われると違う気がするけれど、今の時点では分からない。とにかくあたしはばあちゃんの心臓が持ち去られた理由が知りたい。知りたいんだ。
「これが私の連絡先よ。何かあったら連絡して」
そう言ってコニコヴァさんはネームカードを寄越した。透かし彫りの入ったそれを大事に鞄に収める。瑠依さんに背中を押されるようにして、一緒にテントから出た。
外で待っていたネムが、心なしか嬉しそうに瑠依さんを迎えた。
「師匠。で、結局こいつは」
「うちで働いてくれるそうだよ?」
「へえ。やっぱ住み込みっすか」
「その予定だけど、女の子はまずいかな」
「いや、こいつ相当金に困ってるみたいだったから、いいんじゃないですか」
「こらこら、女の子にそんなこと言うもんじゃないよ」
そうたしなめてから、でも、と瑠依さんは不思議そうに首を傾げた。
「いくらここの物価が高いって言っても、そんなに困っていたのかい?」
「オルトラではほとんど物々交換でしたし、家賃なんかもかからなかったので、現金をあんまり持っていなかったんです。それに家を潰して来たので、結構お金かかっちゃって」
瑠依さんとネムが足を止める。
「……家を?」
「え? ああ、オルトラは雪国なので、木造の家をそのままにしておくと雪で潰れちゃうんですよ、だから村を出る時は家を潰してから行くんです」
村の家はほとんどが石造りなのだけれど“ガーデナー”は水を多く扱う為、木造の家の方が便利だ。だからうちは昔ながらの木造建築だったのである。
誤算だったのは、人死にが出た家の物は誰も引き取ってくれなくて、家具やなんかも全てお金を出して廃棄してもらう必要があったことだろう。だから予想よりもちょっとかかってしまったのだ。
ばあちゃんはおらず、守るべき森は“ガーデナー”の断絶によりその入り口を閉ざしてしまった。あたしがオルトラに長居する理由はどこにもなかった、だから家を潰した。至極簡単な理屈である。
瑠依さんとネムが妙な顔をしている。家を潰すというのは冬国ではわりと普通に見られる行為なので、そこまで神妙になってもらうほどのことでもない。
もっとも、あたしに帰る場所がないという事実は変わりないが。
先頭を行くネムの後ろをさくさくと追いかける。さらにその後ろを歩いていた瑠依さんが、ぽんぽんとあたしの頭を叩いた。
「なんですか、瑠依さん?」
「気にしないでくれ。ちょっと、こうしたかったから」
子どもじゃないんですからとあしらえば、瑠依さんは寂しそうに笑った。
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