第4話 神性を奪うもの
翌朝、門前払いが目に見えているハローワークに向かうのはためらわれたが、それでも服を着ていつものように髪を結った。
くすんだとび色の髪で三つ編みを作って、それから後ろで一つに纏める、簡易マーガレット。
鏡を覗き込めば、無愛想なオリーブ色の目が見つめ返してくる。せめてこれが、綺麗なブルーとか、翡翠のように鮮やかなグリーンだったら、話は違っていただろうか。
そう思いながら食堂に下りると、同じドミトリーの宿泊者たちがテレビに群がっていた。フリーのパンを二つとって齧りながら、テレビの前に行ってみると。
「また神性獣ですか?」
「みたいだね。ご覧よ、川辺の建物が全滅らしい」
ジプシーめいた格好をした初老の女性が画面を指差す。テレビリポーターが沈痛な面持ちで、犠牲者は現在分かっているだけでも十数名にものぼり、などと話していた。
どうやら深夜にまた神性獣が落下してきたらしい。しかも今回は警告無しだ。深夜だったために、神性殺しの到着が遅れてしまったことも、死傷者を増やした原因であるという。
画面に映る建物の屋根を彩る、流線型の模様に見覚えがあって、あたしは目を凝らした。確か昨日、ハローワークの近くにあった建物にも似たようなマークがあった。
「……あ」
瓦礫の山と化しているその一帯は、昨日あたしがいたところだった。
間違えようがない。だって歴然とした証拠がそこにはあった。
『あちらが神性獣の落下の際に唯一崩壊を免れた倉庫です。ご覧下さい、警察によって文様可視化処理を施しているのが分かりますでしょうか。誰かがあの倉庫にだけ非常にレベルの高い防御魔術を展開していた模様です』
非常にレベルの高い、と言われたことよりも、自分の描いた文様が可視化され、テレビに映っている事実の方が衝撃だった。こうしてみると蓮の花の意匠は何とも言えず野暮ったい。もっと洗練された、こう、かっこいい文様にしておけばよかったかも。
『また先程入った情報によりますと、倉庫内で四十代から五十代の男性が心肺停止の状態で発見されました。警察は現在その男性の身元を調査しています』
身元不明の男性? 昨日術式を展開したときに、倉庫の中に人がいる気配はなかったけれど。てことはあたしが立ち去った後に、自分から入って行ったのかな。
テレビの画面に目を凝らす。カモメの糞まみれの壁だけが瓦礫の山の中で屹立している光景は、あまり気持ちのいい眺めじゃなかった。どうせなら民家に防御魔術を展開しておけば、誰かしらの命を救えたかもしれないのに。
「……ん?」
リポーターの近くを見覚えのある赤毛が通った。
黄色いテープで立ち入り禁止状態になっている倉庫の中へ、誰かと連れ立って入ってゆくその後ろ姿。すり減った靴底は見間違えようもない。
あたしを騙したあの少年だ!
「あいつ……!」
犯人は犯行現場に戻るという。
ならば被害者が犯行現場に戻っちゃいけない道理はどこにもない、と思うのだ。
*
倉庫周辺は思った以上に荒れ果てていた。まだ犠牲者の正確な数も分かっていないという。
メトロでは途中までしか行けなかったので、徒歩に切り替えた。野次馬ではないのだが、結果的に野次馬と同じ動きをしてしまっているのがなんだか悔しかった。
「あそこかあ」
見えてきた。まだ報道陣がうようよいる倉庫周辺に赤毛を探すけれど、なかなか見当たらない。もう帰ってしまったんだろうか。
野次馬たちをかき分けかき分け、立ち入り禁止のラインぎりぎりに体を捻じ込む。確かに倉庫には傷一つついていなかった。
現場に来て分かったのだが、テレビに映っていない西側の壁面には、夥しい量の神性獣の血が飛び散っていた。やはりこの近辺で神性獣たちは暴れたのだ。
血の量からして一体ではないだろう。メトロに落ちていた新聞曰く、今回落下してきた神性獣は三体にも上ったとか。その数をしのげた、という事実に少しばかり興奮した。
誰も守れなかったけど。
『守れない防御魔術に意味はない』
ばあちゃんの言葉を思い出す。技術に溺れてはいけない。防御魔術は、徹頭徹尾守りにあるのだと――。人の営みを守り続けることにあるのだと、ばあちゃんは口を酸っぱくして言っていたではないか。
それにしても、よくよく考えればおかしな話だ。神性獣が落下してくることが分かっているのに、どうしてこの街の人たちは対策をしないんだろう? 例えば指定の建物に防御魔術を展開しておいて、何かあったらすぐそこに逃げ込むようにしておくとか。
というかそもそも、あたしが逃げ込んだコンテナ、あそこは防御魔術が展開されているというふれこみだったような気がする。ならばどうしてそれをたくさん用意しておかないのだろう?
そもそもを考えるならば、こんな危ない場所に都市を構える必要はないんじゃないだろうか。だってこの国の首都は別にあるし、王様だってそこにいるし。ミネルヴァなんて剣呑なものがぷかぷか浮かんでる街は、とっとと人払いして閉じるのが正しいような気もする。
こんな街に住む人がいるというのも不思議だ。あたしだったらこんな街とっとと出て行って、どこかひと気のない場所でのんびりと暮らすけどな。
考え込んでいたら、のんびりとした声が降ってきた。
「なるほどなるほど。見るからに田舎の出だね、それも冬国の」
「は?」
「一周回っておしゃれなんじゃないかな、そのラムスキンの靴。少なくとも歩きやすそうだ。でも髪型はもう少しラフでもいいと思う。マーガレットは君には古すぎる」
喧嘩を売っているとしか思えないその言葉の主は、テープの向こう側でにこにこ笑っている一人の男性だった。肩辺りまである黒髪を、ブルーのリボンで一つに纏め、胸の方に流している。
たれ目の、どちらかと言えば幼い顔立ちをしている。年齢は二十代後半といったところだろうか。ひょろりと長い体躯を、足首ほどまでのズボンと少しだぼっとしたシャツで包んでいる。象牙色の肌、黒曜石のような目を見るに、極東の出身と思われる。
特徴的なのはその声かも知れない。気だるげで、少し訛りがあって、男性にしては少し高めの、ずっと聞いていたくなるような声だった。
「しかし君の描画する文様は恐ろしく古風だねえ。今どき蓮の花なんて、お年寄りでも使わないのじゃないかな。それでもここアルハンゲリスクで防御文様を展開できるというんだから、ひとかたならぬ腕を持っているのは間違いないだろうが」
「あの……?」
「いい仕事だった。おかげで妙な死体を発見することができた」
「妙な、死体?」
ニュースでは心肺停止としか言っていなかったが、やっぱり亡くなっていたようだ。その人は内緒ごとを耳打ちするような口調で、
「心臓がね、抉り取られていたんだ。おっと、女の子に聞かせる話じゃないかな」
「心臓……あの、あなたどなたですか」
「ん? 昨日ネムに声をかけたのは君じゃないのかな」
「ネム。赤毛の、靴底がすり減った男の子のことですか?」
そう言うと男の人はけらけらと笑った。
「さっすが女の子、靴底までチェック入ってるとは、厳しいねえ。しかし責めないでやっておくれよ、あの子は私のために粉骨砕身で頑張ってくれているのだし」
「で、結局あなたは誰なんですか」
男性は答えずに、テープを少し上げると、あたしだけを中に入れてくれた。野次馬たちの視線が背中に刺さる。
「私は常盤瑠依。ルイでもルーイでも呼びやすいように呼んでくれ。肩書きは、そうだねえ。神性殺しの外部顧問といったところか」
「神性殺し……? でも、槍がないですよね?」
「外部顧問と言ったろ。神性殺しじゃないが、神性にまつわる仕事をしてる」
「はあ」
言いながら瑠依さんはすたすたと倉庫に近づいてゆく。誰にも見とがめられていないところを見るに、詐欺師の類ではなさそうだ。今のところ。
けれど心なしか視線が痛い。皆が投げかける視線に少しばかり棘があるように感じるのは、気のせいだろうか。
「師匠!」
駆け寄ってきたのは昨日の少年だ。瑠依さんはネム、と呼んでいた。
「先に見つけたんすね。ね、言ったでしょ、超田舎娘って」
「ちょっと。今“超”ってつける必要ありました?」
「あるある。だってあの野次馬の中でもめっちゃ目立ってたしな、その恰好」
そんなに変な恰好だろうか。普通のスカートに、ブーツに、ジャケットを着ているつもりなんだけど。この馬の革でできた鞄がいけないのかな。使い込まれていい色出てるけど、女の子っぽくはないかもしれない。
「気を悪くしないでね。ネムが言いたかったのは、きみがあの中で目立つくらいかわいかったってことだよ、ミルカ」
「は、はい?」
脈絡もなくかわいいと言われてびっくりする。なに。なんなんだこの人。
驚いているあたしを見て、ネムが呆れたように、
「まーた始まった。言っとくけど、本気にすんなよハッキネン。この人は雌と見れば動物でも花でも見境なく口説く癖があるからな」
「へえ。地球上のおおよそ半分は雌ですから、それを見境なく口説くというのは……。勤勉な方なんですね」
「あはは! 勤勉と言われたのは初めてだ。どうもどうも、ありがとう」
「いえいえ……?」
「でも私だって、ほんとうにかわいい子にしかこんなことは言わないんだからね」
「はあ」
両手をぎゅっぎゅっと握られながら、ネムと瑠依さんの顔を交互に見上げた。
「で、あなた方は結局いったいなんなんです?」
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