第3話 都会の洗礼
今日は街の端にあるハローワークに足を運んでみる。近くに大きな川があるこの地区は、様々な宗派の宗教施設が寄せ集められていると、観光案内に書いてあった。なるほど確かに、十字架以外にも様々なマークが掲げられていて、統一感がない。
よく分からない流線型の記号で埋め尽くされた立て看板があったかと思えば、見たこともない脂っぽい食べ物が売られている屋台がずらりと並んでいる。オルトラでは絶対に味わえない、このぎらついた雰囲気。
施しを求めて
狭い部屋だ。仕切りでかろうじて面談ブースを分けているといったありさまなので、誰かがどなる声も入口まで筒抜けだ。何をそんなに怒っているのやら。
早口で何かまくしたてていたその人物が、大股にブースから出てきた。
「相手見てふっかけやがれバーカ。そんな値段出せたら苦労しねえっつうの」
そう吐き捨てた少年は、あたしの横を足早に過ぎてゆく。背がすらりと高く、猫の毛みたいに柔らかそうな赤毛が後頭部でぴょんぴょん跳ねているのが面白い。相手を見てふっかけろ、と
あんな力いっぱい歩いていたら、いつか底が抜けてしまいそう。
次の方、と呼ばれてブースに入る。
「さっきの人、ずいぶん怒っていたみたいですけど」
「聞いていましたか」
「聞こえちゃったんです」
「いえね、防御魔術に練達した術士を一人寄越せというのですが、それがえらく低賃金で」
「防御魔術?」
「その上大卒の門徒を要求してくるんです」
「だ、大卒の、門徒ですか……」
防御魔術というから期待したのに、大卒と門徒という二大NGワードが出てきてがっかりした。ここでもあたしはお呼びじゃない。
「大卒はともかく、門徒となると求人を載せるのに口銭が余計にかかるんです。だから求人票もこのくらいのお値段になりますよとお伝えしたら、あのお怒りようですよ」
職員は肩をすくめる。
「そもそも術士の求人はうちじゃなくてギルドの扱いになります。そこに行かないという時点でお察しでしょう」
お察し。そう、多分彼も、あんまり余裕のある状況ではなさそうだ。求人票にいちいち当たって玉砕するよりは、僅かばかりでも勝算があるかもしれない。
もしかしたら、そう思ったときにはもう、足が動いていた。
ハローワークを飛び出し、階段を一足飛びに下りる。道路に勢いよく飛び出したら、危うく自立型自動文様展開盤とぶつかりそうになった。こんなところでぼうっと突っ立ってるんじゃない!
跳ねる赤毛の後姿を探す。視界にちらつく人ごみの中で、その髪は酷く目立っていた。考える前に足が動く。
ぎこちなく人にぶつかりながら、舌打ちされながら、あたしは少年の前に立った。
「あの、防御魔術の術士をお探しと聞いたんですが!」
「……あ?」
非常に見下されている。口元を思いっきり、やりすぎじゃないかと思うくらい歪めているのも、不機嫌度が高そうで何より。
けれど立ち止まってくれた。チャンスだ。
「あたし、あの、ミルカ・ハッキネンといいます。あなたのお役に立てると思います」
「だからなんだよ」
じろじろと上から抑え込むように睨まれて、うっと怯む。けれどここで退いては明日のパンが危ぶまれる。
「ハローワークでお話を聞きました。あたしを雇いませんか」
「悪いけどな、あんたみたいな田舎娘に頼んなきゃなんないほど、落ちぶれちゃいねえんだわ」
「い、田舎娘って、なんでそんなの分かるんですか」
「そんな流行遅れの靴と髪型で白昼堂々歩いときながら、田舎者には見えないとでも? しかも魔術が使える癖にあんなハローワークにいた、ってことはどこかの門徒じゃない。門徒は大体ギルド内で仕事を見つけるからな」
靴、と言われて顔が熱くなるのを感じた。確かにあたしの靴は柔らかいラムスキンで出来ていて、都会の石畳にはあまりにもそぐわなかったから。
「門徒じゃない術士の腕なんてたかが知れてる。俺たちにはもっと練度の高い術士が必要なんだ。さて、反論はあるか」
「……ないです」
「よろしい。じゃあ分かるな、俺にお前を雇う義理はねえ。路銀が尽きそうなら、その辺にある貧窮院にでも駆け込みな」
「で、でも、待って下さい。どうして防御魔術に練達した術士が必要なんですか?あなたも術士ですよね? あなたじゃだめなんですか?」
緑の瞳が剣呑な光を帯びてあたしを睨み付ける。
「それを聞いて何になる? 田舎娘が、もう用はねえんだよ」
何か食い下がれる要素はないだろうか。
素早く彼の全身を観察する。武器こそ携行していないが、羽織った短いジャケットの内側に恐らくいくつも術式を仕込んでいる。あのふくらみから推測するに紙か布に書き込んだものだろう。ジャケットの合わせの部分が変色しているところからすると、何度も出し入れしているに違いない。
加えてこの指先の火傷と怪我の多さ。節くれだって傷だらけで、いかにも攻撃魔術に長けているようだ。そして目の中できらきら瞬く魔力の名残。総合して考えると、この人は平素から魔術を扱い慣れている人だ。
でも、防御魔術の術士を必要としていると言っている。
すり減った靴底を変えるお金の余裕もないのに、もう一人術士が必要だと言う。それも高度な。
いずれにせよ、何かを守りたいと言うのならば、それに応える自信がある。
「あたし、神性獣を防いだことがあります。お役に立てます!」
「どうせならもう少しましな嘘をつけよ」
「いえ、新聞にも載りました」
少年はイライラとあたしを見ている。どうやったら追い払えるのか、きっとそのことばかりを考えている。
「証明します。あたしの術式を一度見てください、そしたら……」
「あー、わぁったわぁった」
うっとおしそうに指の関節を一つ鳴らして、少年は一つの建物を指差した。
赤レンガ造りの建物で、ちょっとした倉庫として使われているのだろうか、高い位置に小さな窓がずらりと整列している。薄汚れた窓ガラスは所々割れていて、なんだか怪しい雰囲気だ。
「前は倉庫だったが今はもう使われちゃいない。何やっても文句は言われねえ。あそこで防御魔術のデモをやってみろ」
「役立つと思ったら、あたしを雇ってくれますか」
「ああ、役立つと思ったらな」
その倉庫に近づいて、外壁に触れてみる。砂っぽいざらついた感触。秋口に近いせいかずいぶんと冷えている。カモメの糞のあとがあったりして、あんまり清潔じゃないけれど、まあいい。
手のひらをぺたりと壁につける。がらんどうの建物の中に息を吹き込むようなイメージで、自分の体温を分け与える。これはあたしの隣人。感覚のすぐそばにある、あたしの体の延長線。
手のひらに防御魔術の様式を展開する。魔力を細い糸にして、文様を紡ぎあげてゆく。銀盆ほどの大きさの正円に蓮の花の意匠を織り込んで、その脇に唐草文様やアラベスクなどを丹念に描きこむ。
例えるなら水中に血を一筋溶かし込んだような。
指先が遊びかけたところで、ばあちゃんの言葉が脳裏を過ぎった。
『一糸も落とすな』
気を引き締めて再び集中する。意匠を織る際には、どんな小さな線も見逃してはならない。立体的な意匠を構成する全ての要素を把握し、デザインし、配置する。ここを誤ると防御は紙のように破られてしまう。
二次元の構造ではだめだ。折り紙のように立体的に仕上げてこそ全方位からの攻撃にも耐えようというもの。あそこを突き立てて、こっちをへこませて、意匠を一つの
遊ぶ指先が妥協して置いた線が、途端に全体の調和を乱したので、慌てて消した。一つ一つを最適な場所に置いてようやく一つの防御様式として成立するのが、この文様の特徴である。執拗に、丹念に線を重ねて文様を描く。
それは一つの物語を紡ぐのに似ていた。
破綻を避け、巧妙にファクトを積み重ね、一連の流れに滞りのないように気を配る。
調和と流れ、屹立と潜行。平坦な文様など駄作の極み。起伏があってこそ文様も美しく輝こうというものだ。
全体のデザインが完了したら、全体に魔力を薄く延ばして文様を確定させる。
脳みそに汗をかくくらい集中して、描いた意匠を慎重に拡大する。少しずつ引き伸ばして、倉庫全体を包み込むような大きさにする。イメージはくるみだ。実を固い殻で守るあの木の実、丸くて調和のとれたかたち。
倉庫をくるんだらしっかりと文様を畳んで「閉じる」。ここを丁寧に繋がないと今までの努力が水の泡になる。例えるなら、パンの生地を少しねじってデコレートする感覚だろうか。あれはやりすぎてもうまくないし、やらなさすぎてもよくない。
魔力をこめた指先で、確実に文様を閉じる。折り紙は立体的だけれど、潰してしまえば平面に近くなる。それと同じ理屈で、文様を紙のように薄く延ばし、その状態で端っこを綺麗に封じた。
ゆっくりと手を離せば完璧な防御文様の出来上がりである。
「どうですか!」
振り返った先に少年はいなかった。それどころか人っ子一人通っていない。
それ以前の問題として、辺りはすっかり暗くなっていた。夕方だ。秋らしいしっとりと濡れた宵闇がひたひたと迫っている。
「あ……あれ、もしかして、あたし」
置いてかれた?
違う、騙されたんだ!
「うわ……うわー……!」
都会に出てくるのだから、用心しなくっちゃ、と思っていたのにこの様だ。そもそもばったり会っただけの彼が、あたしの意地に付き合う理由なんてどこにもない。要するにあたしは体よく追い払われただけだったのだ。
お金を取られなかったのが不幸中の幸いか。せめて名前くらいは聞いておけばよかった。
せっかく完璧に文様を展開できただけに、何だか無性に悔しい。
緋色の文様に包まれ、薄闇にひっそりと光る倉庫を見上げる。ただ働き、という言葉が何度も脳裏を過ぎったが、あたしはそのたびに首を振って、今のは練習と言い聞かせるのだった。
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