第12話死神の話
俺は、自分の家まで走っていた。
エシャに、本当のことを聞くためである。
俺の父親が、エシャの魔力提供者であったかどうかを尋ねるためである。
「えっ」
そんなとき、俺の頭上の建物の窓が割れた。単身者用と思われるマンションからは、異世界人と魔力提供者と思しき人間が飛び出してきた。
「燈子、怪我はないか!」
そう叫んだ異世界人は、抱えていた魔力提供者に殴られた。
「名前で呼ぶな。気分が悪い。名字で呼べ」
本当に気分が悪そうだった。
たぶん、異世界人に魔力を渡しすぎたのだ。
次の瞬間、別の異世界人がマンションから落ちてきた。甲冑を着込んだ男の異世界人だ。剣を抜き、音も殺意もなく、それを振り上げる。
「エナ!」
燈子と呼ばれていた魔力提供者が叫ぶ。
彼女の異世界人も剣を抜いて、甲冑男の剣を受け止める。どうやら燈子という人の異世界人は、俺を守ってくれたらしい。
「長くは戦えないぞ」
エナというらしい異世界人は、唇を噛んでいた。
「こっちはありったけの魔力を注いだんだぞ。もっと働け!」
「怪我人だぞ、こちらは」
燈子はぎゃあぎゃあと騒いでいたが、エナも不満げである。
とりあえず、この二人は目の前の異世界人と長く戦えるような手段がないらしい。
「逃げるにしてもな」
燈子は、俺の方をちらりと見た。
「俺たちが逃げたら、たぶんこの子に襲い掛かるだろうし。だとしたら、やることは……分かってるよな」
燈子の言葉と共に、エナと呼ばれていた異世界人が俺を持ち上げる。両手で俺と燈子を抱えた異世界人は、そのまま全力疾走した。
「えっえっええっ!!」
人を二人も抱えながら、エナはよく走れるものだと思う。
しかも、俺の全力疾走よりも早い。だが、肝心なのはそこではない。問題なのは、どうして自分が抱えられているのかということだ。
「どっ、どうなってるの!」
「すまん、ちょっと我慢してくれ」
燈子はそういうが、我慢してくれという問題ではない。
立派な人さらいだ。
「安全を確保できたら、下ろさせるから」
燈子はそう約束はしてくれた。
信じられるようなものでもなかったが。
俺は、甲冑男の確認をする。
甲冑男もエナを追いかけて走っていた。ただ人間二人分よりも甲冑の方が重いのか、エナのほうが早い。
「……エナ、少しスピードが落ちてきてるぞ」
燈子の指摘に、エナは舌打ちする。
「魔力不足だ」
「ギリギリまで食わせたのに、これだから燃費の悪いタイプは」
燈子も舌打ちする。
正直、知り合ったばかりだがこの二人の息は悪い方向でぴったりだ。
「エナ。その子を遠くに投げろ」
燈子の言葉に、エナは数秒黙る。
「着地のことを考えているか?」
このまま俺を放り投げたら、間違いなく俺は着地できずに大怪我する。エナがそのことを考えていてくれたのは俺にとっては朗報で、俺は投げ飛ばされずにすんだ。本当に、よかった。
「じゃあ、どうするんだよ」
「俺が囮になる」
燈子に、エナはそう告げた。
「魔力が足りないだろ」
燈子の指摘に、エナは何も言わない。
やはり、足りないのだろう。
「……仕方がない。エナ、その子を離せ」
燈子の言葉通りに、エナは俺から手を離す。
「できるかぎり、走れよ。適当に交番とかに助けを求めればいいから」
そう言いながら、エナの掌には魔法陣が浮かび上がる。
彼女は、さらにエナに魔力を提供するつもりなのだろう。
「それ以上は、お前が持たないぞ」
エナの苦言に、燈子は笑っていた。
それは、強がりのための笑顔だった。
「だからといって、これ以上の手段もないだろうがっ!」
断言した燈子の体が大きく揺れる。
俺は、慌てて燈子の体を支えた。
そのとき、思ったのだ。
俺の魔力を燈子に渡せないだろうか、と。燈子とエナは間違いなく、魔力の相性がいい。だが、俺とエナの魔力の相性は分からない。ならば、燈子を通して俺の魔力をエナに渡せればと思ったのだ。
「そんなことできるのか!?」
エナの言葉はもっともだ。
俺も、そんな方法は聞いたことがない。
だが、やらなければならない。
俺は、エナの腕をつかんだ。流れろ、と思った。だが、俺の策には根本的な問題があった。魔力を送り込むための魔法陣は、魔力提供者になったときに初めて現れるものだ。俺は、魔力提供者ではない。だから、魔力を送り込めない。
甲冑男がエナに追いつき、エナは燈子も放り出す。そして、自らも剣を抜いて、甲冑男の剣を受け止めた。エナは魔力で肉体を強化するタイプなのらしいが、魔力が不十分なので甲冑男の剣を振り払えない。それどころか、押され始めている。
「もう一度!」
燈子は、もう一度魔法陣を展開させようとする。
だが、燈子の腕は地面に落ちた。
もはや、彼女には自分の腕を支えるだけの力もないらしい。エナも、魔力切れが近い。なんとか甲冑男の剣を受け止めているが、剣を受けるたびに、その足は後ろへと後ずさっている。
ここから、エナが巻き返しをすることは難しいだろう。
死ぬのだろうか、と思った。
けれども、かつて感じたような死の恐怖はなかった。父が生きていた時、俺は何度も死にかけた。食事を用意してもらえなかったし、殴られることもあった。そのたびに、今度こそ死ぬかもしれないと思った。けれども、今は死ぬかもしれないという恐怖はなかった。
「殺させません!」
声が聞こえた。
それは、エシャの声だった。
エシャは死神のような巨大な鎌を抱え、エナとか甲冑男の間に割って入った。エシャは巨大な鎌で甲冑男の剣を受け止めて、それを薙ぎ払う。恐れることなく甲冑男との距離を詰めて、容赦なく鎌を振り下ろす。
「殺させません」
エシャは、殺意を持って呟いた。
とても、低い声だった。
獣のような声だった。
けれども、その声は誰よりも愛情にあふれた理性的なものに思えた。エシャは、守るために戦っていた。それは、たぶん生前からだったのだろう。生前から、きっとエシャは守るために戦っていた。
「誰だ、あれは」
エナは、小さく呟いた。
エシャは、小さく息を吐く。
大ぶりなエシャの鎌は、甲冑男の細身の剣とあまり相性が良くないようだった。というのも、エシャの鎌は隙が大きいのだ。おそらくは、エシャの武器は暗殺用のものだったのだろう。大きな鎌は、その重さを振り子のように利用して威力をあげている。だが、甲冑男の剣は細く小回りが利く。エシャの隙をつくように、甲冑男の剣は伸びる。
エシャは、まだ魔力に余裕があるようだった。
だが、予断はできない。
エシャに魔力提供者はいないのだ。
「エシャ!」
逃げよう、と俺は言おうとした。
逃げれば、エシャは助かるような気がした。
だが、俺の言葉を見越したかのようにエシャは首を振る。
「今逃げれば、すべてを失います」
エシャは言う。
「私は、そうでした」
鎌を握りながら、悔しそうに彼は呟いた。
「失敗は尾を引くのです。その尾が、いつか自分たちを苦しめます」
俺は、はっとした。
今のエシャは、外見を変える魔術を使えていない。おそらくは、鎌を出したせいだろう。もしかしたら、エシャは普段は鎌を認識できなくしているだけなのかもしれない。彼自身の姿を俺の父親に見ているように。だが、今のエシャにはそれができていない。普段はそれで、コンビニのアルバイトもしているというのに。魔力が、足りないのかもしれないと俺は思った。
「生前に何かあったのか?」
エナは、エシャに尋ねた。
「はい。私は一つの任務に失敗し、相手を殺し損ねました。そして、それが原因で私は殺されました。殺し損ねた相手に、殺されたのです。暗殺を生業にしていた私には、それは似合いの最後であったでしょう。ですが、それですべてを失ったのです」
エシャは、息を吐く。
「この魔術……今の肉体が持てばいいのですが」
エシャの鎌が、赤くきらめく。
鎌そのものが、熱で熱せられているようであった。
「地獄の業火を今ここに!」
エシャの叫び声が響く。
その声と共に、鎌から炎が発せられた。その炎は、甲冑男を包み込む。エシャの魔術を初めて見たような気がした。いや、大きな鎌を振るっている時点で魔術は使用しているのだ。肉体を強化させる魔術は、エシャ曰く基本的な魔術らしい。その魔術に加えて、エシャが使用したのは炎の魔術だった。
炎に包まれた甲冑男。
エシャは、それに少しばかりほっとしていた。炎に包まれたら、異世界人であっても大きなダメージを負う。そう思ったからだろう。
「おい、気を抜くな」
エナは、肩で息をしながら言う。
彼の手には、携帯があった。
たぶん、燈子のものだろう。
「おい、これの使いかたを教えろ」
エナは偉そうだが、携帯も使えないことにエシャは嫌悪感を露にしていた。ちなみに、エシャは携帯電話を使いこなしている。エシャは働いているし、当然なんだけど。
「緑色のアプリのボタンを押せば、通話もメッセージも送れます」
「アプリとは……」
エナの機械音痴は想像以上であった。
戸惑うエナに、エシャは携帯電話を奪い取った。そして、メッセージアプリを起動させてエナに投げ渡した。エナは何かのメッセージを送っているようだった。
甲冑男は、まだ炎のなかでもだえ苦しんでいる。
だが、次の瞬間に甲冑男の目が光ったような気がした。
「うぉぉぉ。ここ、こそ地獄だぁ!!」
その叫び声と共に、大きな炎が巻きあがる。エシャの炎ではない。もっと威力のある炎に、エシャの炎が押し負ける。エシャの眼前まで、甲冑男が出現させた炎が迫っていた。エシャは、その炎から逃げなかった。ただ、茫然としていた。
「私は……私はまた……」
「エシャ!」
彼が、何かを後悔しているのが分かった。
その後悔が、彼の足を止めているのが分かった。それを責めるつもりはなかった。だって、それはエシャの優しさからくるものだと思っていたから。
俺は、それを守りたいのだ。
エシャは生前はそれで命を落としたかもしれないけど、今は俺がいる。
俺が、エシャを守るのだ。
俺は、エシャを突き飛ばした。
エシャは、驚いたような顔で俺を見ていた。
「やめてください!」
倒れたエシャは、俺の方に手を伸ばす。
エシャは、涙を流していた。
「守りたい!守りたいだけなのに!!どうして……」
いつだって子供たちは掌をすり抜ける、とエシャは言った。
俺は、エシャの代わりに炎に焼かれるかと思った。だが、炎の熱さはいつまでたってもこなかった。恐れの余り無意識につぶっていた目を開く。炎は、そこにはなかった。
代わりに、俺が押しのけたエシャがいた。
エシャは、俺を抱きしめる。
「おいっ!」
こんなことをしたら、意味などない。
だが、エシャは俺を離そうとしない。
「次に、こんなことをやったら怒りますからね!」
エシャは、俺の目を見ていった。
綺麗な目には涙がたまっていた。
「そんなことより、あの甲冑男は!」
俺は、エシャを押しのけた。そして、エシャを殺そうとした甲冑男を睨んだ。甲冑男は、何かに苦しんでいた。何に苦しんでいるのかは、よくわからなかった。最初ころ魔力不足だと思った。けれども、甲冑男の苦しみかたはまるで毒物でも飲んだかのようだった。魔力不足ならば、こんな苦しみ方はしない。
「……そうだ。俺は――それがしたかった。俺は、それこそが俺の望みで」
ふらつきながらも、甲冑男は歩き出す。
その手は、なぜか俺に向いていた。エシャは、俺を背に庇う。だが、甲冑男にはエシャなど目に入っていないようだった。
「俺は……そうすべきだった。そうだった」
「エナ!」
空から、声が聞こえた。
俺が頭上を見上げると、小型の竜らしきものが浮かんでいた。二メートルほどの大きさで、二匹が二人ずつを乗せて飛んでいた。その竜から、人々は飛び降りる。二人は異世界人で、もう二人は魔力提供者なのだろう。そして、間違いなくエナの味方だった。
「……ああ、そうだった」
敵が増えたのに、甲冑男はぼんやりと呟く。
そして、彼は俺を見つめた。
「ごめんなさいっ……師匠」
甲冑男はそう言って、だらりと下げていた腕に再び力を込めた。
「サモナー!防御!!」
エナの仲間の一人が叫ぶ。
燈子と同じぐらいの歳の大人で、サモナーと呼ばれた子供が杖を振るう。
「――僕は、世界を作り出す。――その世界は栄え、生命は命を謳歌する。――その生命の一瞬をここに!!」
頭上に飛んでいた竜の姿が消えて、代わりに大蛇が出現する。その大蛇はとぐろを巻いて、甲冑男以外の全員を包み込む。
「これで、魔法が来ても数分は持ちます」
まるで魔法使いのような杖を持った異世界人は言った。
魔力提供者と思しき少年は、一番幼い少女に向かっていう。
「攻撃、頼むぞ」
少女は、頷く。
彼女が取り出したのは、銃であった。
彼女はあっという間に、大蛇によじ登る。そして、その頭上の登った時、彼女の周囲に複数の拳銃が現れた。おそらく、少女の魔術は複製なのであろう。少女が作りだした銃器が、本物の引き金が引かれたことを合図に一斉に甲冑男に向かって掃射された。
「充填」
少女は、小さく呟く。
その間に、大蛇の陰に身を隠す。
複製された銃器でさらなる追い打ちをかけないところを見ると、少女はたぶん連射ができないのだろう。隙の多い魔術だが、それでも複製された拳銃たちによる掃射の攻撃が強力なことには変わりない。
どさり、と音がした。
大蛇の首が落とされたのだ。
落としたのは、甲冑男だった。
「えっ?丈夫なはずなのに……」
杖を持った異世界人は戸惑う。
すぐに次を召喚すればいいのに、それをしようとしない。おそらくは、彼にも何かしらの制限があるのだろう。召喚術を連続で使えない制限か、それとも回数制限でもあるのか。少女と魔法使い杖の異世界人は、エシャやエナよりも高度な魔術が使えることは間違いない。だが、高度な魔術にはそれだけ制限があるらしい。
エシャが複数の魔術を使えていたのは、彼が会得していた魔術が基本的なものばかりだからだ。それでも、生前よりも使える魔術は制限されているらしい。エシャと同じように基本的な魔術しか使っていないエナが、他の魔術を使っていないということは生前に多くの魔術を会得していないのかもしれない。
助っ人である二人が無力化されたが、エナやエシャは回復していない。それどころか、二人とも魔力を提供できる人間がいないので益々追い詰められている。
相手は、たった一人だというのに。
たった一人の異世界人に、八人の人間と異世界人が束になっても叶わない。
「……できれば、使いたくはなかったのですが」
魔法使いの杖を持った異世界人が、そう呟いた。
「みなさん、どこに飛ばされてもいいように覚悟してください」
何か魔術を使うようだった。
彼の魔力提供者が魔法陣を出そうとするが、魔法使いの杖の異世界人はそれを拒否する。
「使うのは、魔法です。使うのは、僕のなかの魔力です」
まばゆいばかりの光が俺たちを包み込み――そして、いつの間にか俺は海に落ちていた。
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