第2話出会いの日
その日から、俺たちの日常は変わってしまった。
その日は、ひどい雨が降っていた。
遠くで雷もなっていて、外に出ている人間はひどく少なかった。
けれども俺は家に入ることもできずに、自分の家であるマンションをずっと眺めていた。どこかで時間を潰せればよかったが、中学生にはそんな小遣いはなかった。だだから、俺は自分のマンションのドアが開くかもしれないという希望を込めて眺め続けることしかできなかったのだ。
「こんな雨の日に何をしているのですか?」
そんな俺に、声をかけてきた奴がいた。
ゆったりとした黒い服を着た、髪の長い男だった。
なんとなく外国の映画にでてくる神父っぽい穏やかな雰囲気で、雨に濡れる俺のことを本気で心配していた。俺は、ここらへんに教会なんてないのにと思いった。
「……鍵を忘れて」
俺は、何度もした言い訳を神父にもした。
神父は、目を細める。
「嘘ですね」
神父は俺に、自分が羽織っていたが外套を俺の頭にかぶせた。雨の水分を吸ってずっしりと重くなっていたが、それでも何もないよりはマシだった。
「ずっと雨が降っているのに、雨をしのぐものさえも忘れたのですか。あなたは、そんな間抜けには見えませんが」
神父は、俺に視線を合わせるように屈む。
「追い出されたのでしょう?」
神父の言葉に、俺は押し黙る。
正解だったのだ。
「あなたのような子供は、たくさん見てきました」
神父は優しい声でいった。俺のような子供というのは、親がろくでもない子供ということなのだろうか。たしかに、神父のところにはそういう相談はくるのかもしれない。
この人は、そういう相談が来たらどうするのだろうか。
警察に連絡をするのだろうか。
俺の父親は、警察に連れていかれてしまうのだろうか。そうなれば、俺は一人っきりになってしまう。
「心配はしないでください。今日は、あなたがうちに入れるように一緒にお願いをするだけです」
貴方が風邪をひいていしまう、と神父は言った。
俺は、その言葉を信じることにした。なにより父も他人である神父のことばならば、聞くかもしれないと思ったのだ。俺は、神父を自分の家に連れていくことにした。マンションの一室のインターホンを鳴らして、緊張しながら父を呼び出す。
父は、生来の酒飲みだった。そして、酒を飲んでは俺を追いだした。ひどく、ひどく、横暴な人だったのだ。殴られることも多かったが学校の教師が俺への暴力を疑うことがあり、そのころから俺を家から追い出すようになったのだ。俺が家にいて、また俺を殴ってしまったら、俺への暴力が教師にバレるかもしれないと考えたていたのかもしれない。そんな父親だけど、神父のいうことは聞くかもしれないと思ったのだ。
家の鍵が開けられた。
家の奥からは、濃厚な酒の匂いがした。
俺は、その匂いに顔をしかめることしかできなかった。この匂いを嗅いだ神父は、どう思っているのだろうかと俺はひっそりと思った。
神父は顔すらゆがめずに、ただまっすぐに前を向いていた。酒でよどんだ眼をした父がドアから顔を出し、俺を見つめた。
「どうして……戻ってきた」
父は、いつもよりも酔っているようだった。
神父の姿など、見えていないようだった。
「この!!」
怒り狂った父は、持っていた酒瓶を振り上げた。その酒瓶は、まっすぐと俺の頭に向かっていく。俺は、死ぬと思った。自分は、父親に殴られて死ぬのだと思った。
だが、想像した衝撃も痛みも訪れなかった。
からん、という酒の瓶が地面に落ちる音が響いた。
痛みの代わりに俺の顔に滴り落ちてきたのは、真っ赤な血液だった。俺の血ではなかった。その血は、父のものだった。
父の首は、なくなっていた。
そして、父の首があった場所には鎌が置かれていた。アニメや漫画でよく見るような、巨大な死神の鎌。それが、父の体と首を切断していた。
その鎌は、神父のものだった。
「なぜ――こんなことができるのですか?」
神父は、涙を流していた。
「どうして、子供を殺すことなどできるのですか?」
その涙は、俺の頬にも降り注いだ。
その日、俺の顔は二つのもので汚れた。
一つは、自分の父親の血。
もう一つは、その父を殺した神父の涙。
二つとも、とても暖かくて、俺には何が尊くて、なにが嫌悪すべきものなのかが分からなくなっていた。後から知ったことなのだが、涙と血液の成分はほとんど同じらしい。だから、血と涙で同じものを感じていたのかもしれない。
その時は、何が起こったのか分からなかった。
けれども、一つだけ言えることがある。
この日から、俺たちの日常は変わってしまった。
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