第31話 罪暴き

 二十三日、火曜日。


 真尋に裏切られ、ついにひとりになってしまった。しかも裏切った当の真尋も、まともな処遇を受けているとは考えにくい。不毛な裏切りだ。


 あれだけ一緒にいたというのに、真尋の嘘に気づけなかったのは不甲斐なかった。あのときは精神的に疲れていた。真尋の様子に気が付かなかったのは仕方ないといえば仕方ない。


 とにかく、自分ひとりだ。もう利用できる人間がそばにいない。


 ひとりになるというのは、思いのほか精神的な負担になった。


 刺激が無さすぎるのである。


 話し相手がいないということは、世界が自分の中だけで終わるのだ。自分が考えていることだけがすべてなので、他人がもたらす「想定外」という刺激がない。どこまでいっても想定内、想定内、想定内。


 退屈だ。


 生憎とスマホに暇潰しができるようなアプリは入れていない。いっそのこと授業を受けたり自習しようとも思ったが、どこをどう卒業認定の基準としているか分からない以上、会いたくない。もしかすると、こうして引き籠っていることが引き金になって『卒業』する可能性もある。


 退屈だ。


 体が刺激を求め、感覚を研ぎ澄ます。その結果、ベッドで身じろぎする音がうるさく感じ、食事は味が


 施設が一面真っ白だということも刺激の希求に拍車を掛け、が見えるように、ベッドの上にはバッグの中身を散らかしている。


 たった一日でこうまで退屈が苦痛になるのだ。おそらく、これからさらに低刺激な生活に苦しめられることになる。


 これから来るであろう死ぬほど退屈な時間を憂鬱に思っていると、突然ドアが音を発した。


 その音が途轍もなく大きく聞こえ、和泉は身をすくめてしまう。


 実際には、ドアが軽くノックされただけだ。


「葛城さん、今、お時間よろしいでしょうか?」


 医務室と愛歌の授業を担当していた白服、栽原さいはらの声だった。


 時間なら腐るほどある。今の言葉は皮肉だろうか。いや、ここの連中に悪意はない。


 苛立ちのせいで余計な思考が割り込んでくる。


 それほど感情に起伏がある方ではない和泉にとって、ここに来てから初めて体験する感情の大きな波は、それだけで酷く苛立たせるものだった。


「はい、なんでしょうか」


 一日ぶりに自分の声を聞いた。


 ドアを開けると、いつもの笑顔の栽原がそこに立っていた。


「葛城さんとお話したいという方がいらっしゃいますので、相談室の方へ来ていただけますか?」

「ええ、まあ……」


 話がしたい? 誰が?


 もしかして『卒業』することになったと告げられるのではと身構えていた和泉は、不意を突かれて困惑した。この状況で白服から干渉されるとは思っていなかったのだ。


 だが、何かが起きると思うだけで気が紛れた。


 和泉は大人しく栽原についていく。


 医務室の中の相談室。栽原が開けたドアをくぐると、思いもよらぬ人物と再会した。


 その人物とは――。


「やあ、一週間ぶりだね、和泉」

「治日……!」


 菊塚治日がそこにいた。一週間前、服毒し死んだと思っていた治日。確かに息も心臓も止まっていた。蘇生に成功したということか。


 椅子に座りながら、当然の疑問を治日に投げる。


「生きてたの?」

「ギリギリね。僕としてはそのまま死んでも良かったんだけど、和泉が救命処置をしてくれたおかげで死にはしなかったよ。僕が飲んだ毒、筋肉のはたらきを阻害するやつでさ、心臓マッサージされてなかったら結構危なかったんだよ。っていっても、脳に酸素が行かなかったから右足にちょっと痺れが残ったけどね」


 治日は右足を手で軽く叩いて見せた。机に杖が掛けられており、今の言葉が本当だと告げている。


「それで、


 もうひとつの当然の疑問。治日はなぜか白服たちと同じ制服を着ているのだ。


「見ての通り、僕は向こう側の人間になった……ってコト」


 道理で息を吹き返してもこちらに戻らなかったわけだ。治日は施設側に寝返っていたのだ。


 だがほかの白服たちのように、不気味な雰囲気はない。てっきり白服は全員洗脳でもされるのかと思ったが、治日は治日のままだ。


「どうやって?」

「ここの医者連中に掛け合っただけだよ。そしたらすんなり。父さんの要望もあったらしくてね」

「要望……?」

「そうだよ。和泉が言ったように、父さんは僕を愛してたんだ。今の今まで何も伝わってこなかったけどね」


 治日は、えらく上機嫌に語り始めた。愛されていたということが、それほど嬉しいのだろう。


「父さんは上からの命令で僕をここに送り出したんだけど、実験には使わないでくれって必死に嘆願してたらしいんだ。父さんに恩があるらしい医者連中もそうしたかったらしいけど、上からの命令で手を出せなかったんだって。それで、僕が仮死状態から蘇生したのを機にもう一度掛け合って、特例として引き込んでくれたってわけ」


 話を聞く限り、治日が懸念していた「父親がこの施設と関わりがある」ということが事実だったのだろう。その事実がいい方向に転がったということだ。


 そして話の途中、気になる単語が聞こえた。「実験」、と。確かにそう言った。やはりここは収容者に対して何らかの実験を行っていたのだ。


 考え込む和泉を、治日はにやにやと眺める。


「考えてることは分かるよ。でも『実験』の話はあと。今は和泉の話をしたいんだ」

「私の……?」

「そう、和泉の。和泉、君は今まで何人殺してきたか覚えてる?」


 突然、突拍子もない質問をされて和泉は答えに詰まってしまう。


「何人って……庭瀬一人だけだけど……。でも、あれはどのみち死んでた。それでも私が殺したってことになるの? ……もしかして、私、かなおも殺しちゃった?」


 かなおには、頭部に椅子を振り下ろした。気絶したと思っていたが、あれが原因で死亡したのだろうか。


 治日は、和泉の返答にため息をついた。


「白々しい嘘はやめなよ。こっちはかなり綿密な調査をして収容者を選定してるんだ」

「嘘だなんて……!」

「じゃあ質問を変えるよ。今までに何人追い詰めたの? 自殺や不登校、退部とかの話。あと離婚もか」


 自殺、不登校、退部、離婚。そのワードが揃っているということは、治日が言う「上」というのは相当なやり手らしい。おそらくは国、あるいはそれよりも上の存在かもしれない。些か陰謀論じみているが、ないとは言い切れない。


 今度は和泉がため息をつく番だった。


「……いちいち覚えてない」

「だろうね。君は役に立ちそうな人を利用して、邪魔な人を排除することの常習犯だ。家庭でいえば父親を追い出し、母親を自殺に追い込んだ。学校では気に入らない奴を排除しようって雰囲気を作るだけ作って、誰かにいじめさせた。何が『ここに連れてこられる心当たりがない』だよ。何人自殺して、何人人生を台無しにされたんだろうね。和泉も、僕たちと同じクズだってことさ」


 治日はせせら笑う。


 治日の言ったことは全て正しい。利用できる人間は利用してきたし、邪魔な人間は排除した。だがそれは人間としてあたり前のことだ。自分だけここまで咎められる理由が分からない。


 生活環境を整えるのは誰だってやっている。使える人間道具を用意するために、何人もの同性と肉体関係を持ったが、そんなことも今どき珍しくない。


 いったい何が言いたいんだ。


「それで、趣旨が見えてこないんだけど」

「そうやって悪びれないのが、君がここにいる理由なんだよ。君は精神病質者サイコパス、あるいはそれに近い脳の構造をしていると判断されてるんだ」

「質問に答えてない」

「せっかちだなあ。じゃあ単刀直入に言うよ、君はどうしたって地獄に行く。何かやらかそうとも、何もしなくとも」


 そう言うと治日は居住まいを正し、真剣な顔になった。


「今から話すのは、この施設で何が行われているかの話だよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る