第24話 茨の道
昼食に行くまで一休みし、二人が気を取り直すのを待った和泉は、脱走計画の続きを打ち明けた。
「少なくとも数日中には脱走決行するよ」
「早い方がいいもんね」
「それもあるけど、今は満月に近いから」
「あれ、ホント? スマホに月齢カレンダーでも入れてんの?」
「いや、ここに来たとき、新月で真っ暗だったでしょ?」
バスを降りて、施設に入るまでの十数秒。辺りは真っ暗で、木々のさざめきしか聞こえなかった。
「そんな余裕なくて気づかないって……」
「おまけに周りは森で、ろくな明かりがない。夜に紛れるなら今しかないよ。照明器具はスマホのライトがあるけど、流石にそれ使ってたら目立つからね。月明りがあるうちになんとかしたい」
「なるほど……。んで、あのドアの鍵はどうすんの? 玄関のことは考えなくていいってのは聞いたけど」
真尋の言う通り、問題はエントランスへと続くドアの鍵だ。未だにそれを入手できてないが、強引になんとかできる可能性はある。
「かなり野蛮な方法だけど、蹴破ってもらう」
「蹴破ってもらうって……、誰に?」
「茨戸」
かなおから聞いたが、茨戸は毎日のように軽運動室に行き、筋トレをしているらしい。格闘技をやっているような体つきで、自分が殴られた印象でいえば、痣ができるほどであってもかなり手加減をしているようだという。
茨戸がいなくとも三人で力を合わせればドアを破壊できるかもしれないが、まともに体を鍛えていない女子三人が寄ったところで、どれほどの力になるだろうか。自分自身運動部にいたのは数か月前の話で、今ではすっかり筋力は衰えている。
野蛮で静かな脱走とは程遠いが、機を逃すべきでないことを
「えー? あのチンピラ?」
「僕も反対だよ。あんな奴が仲間になってくれるとは思えない」
「それは単なる偏見。とりあえず話してみて、行けそうならそれから誘ってみる」
「まあ、行けそうなら……」
二人は釈然としない面持ちであったが、任せてみようかという流れにはなった。
茨戸は食事や筋トレ以外では部屋にいることが多い。長々と話すなら別の場所に誘う必要がある。和泉はまず、食事中の茨戸に目を付けた。
和泉は昼食を終えたあと、食堂にかなおがいないことを確認してから、食堂の隅でまだ食事をしている茨戸に近づく。通り過ぎざまに、茨戸の背中に小さく話しかける。
「話があるから、このあと自習室に来て」
「なんでだよ」
こちらを見向きもせず、小声で返してきた。
「それじゃ、そういうことで」
そう言って、すぐにその場を離れる。背後で舌打ちが聞こえたが、拒否はしなかった。
先に誰もいない自習室で待っていると、予想通り茨戸は来た。見るからに不機嫌そうで、こちらを射殺さんばかりの鋭い目をしている。こうまで攻撃的なのは、何か理由があるはず。
茨戸は向かいの席にどかっと腰掛け、和泉を睨みつけた。
改めて相対してみると、体格と目つきからはかなりの威圧感を受ける。喧嘩慣れしていそうな拳も、それだけで脅しだった。
「ンで、話って?」
「茨戸さん、かなおのこと殴ってるよね?」
「そんなことかよ」
大きく舌打ちをして、早くも立ち去ろうとする。
「待って。別に咎めるために呼んだんじゃないよ。茨戸さん、あなた、かなおに何されてるの?」
茨戸の動きがぴたりと止まる。おそらく、これまで被害者として扱われたことがないのだろう。
座り直して発せられた言葉には、いくらか険はなくなっていた。
「お前はあいつがオカシイって思ってンのか?」
「正直に言うと、そう」
その言葉を聞いて一瞬驚いた顔をしたあと、大きなため息をついた。それから決まりが悪そうにだが、ことの経緯を語り始めた。
「あいつ、多分わざと傷口を抉ってきてンだよ。助けたいだのなんだの言ってさ。分かってると思うけど、オレって相当短気で、すぐに手が出ちまう。それを分かってて傷抉って、殴られて、被害者面すンだよ。最近はオレだけにじゃない。仲良くしてた奴にさえそんなことするようになった。んで、悲劇のヒロインぶってンだよ。『わたしはみんなを助けたいのに傷つけられてる』ってな」
「……やっぱり、そういうことだったんだね」
初めに抱いた違和感を思い出す。茨戸と同じ部屋になったという話の中で、自分が暴力の標的になるだろうと言いつつも、どこか危機感が足りていないという印象を受けた。実際に暴力を振るわれてからも職員に相談せず、繰り返し暴力を受け続けていた。まるでそれが目的のように。
ある病名が、和泉の頭の中に浮かんでいた。
ミュンヒハウゼン症候群。
それは精神障害の一種で、周囲からの関心を引くために病気であると偽ったり、自傷行為に走るといった症状がある。それが原因で人間関係に問題が生じることもあるという。
かなおの場合は、『被害者』であるために暴力を誘発させていたのだろう。そして特に関心を引きたい相手はおそらく、自分だ。そうとは知らず、色々と迂闊なことをやってしまった。
茨戸以外にも迫り始めたのは、茨戸からの暴力だけではこの場において『被害者』足り得ないからなのかもしれない。
もしそうであるならば、やはりかなおの扱いは慎重にしなければならない。少なくとも、脱走計画のメンバーには入れるのは無理筋である。
「どこをどう見て判断したのか知らねェけど、オレが虐待されてたってことまで見抜いていやがった」
虐待されていたという、後ろ暗い過去。
茨戸は言ってから、自らの弱みを晒してしまったことに気づき、再び決まりが悪そうにした。
「安い同情はしないけど、私も親に捨てられたから少しは気持ち分かるよ」
離婚を経て父はどこかへ行き、その後、母は失踪した。母方の祖父母に引き取られたが、心的な壁はいつまで経っても在り続けている。
「その割には、まともに育ってるように見えるけどな」
「そう思ってもらえてるのなら、私の演技が上手いってことだよ。これでも嫌われないように努力してるんだから。顔は……怖いらしいけど……」
「顔は、確かに……」
茨戸から見ても、自分の顔の印象は悪いらしい。
「ンで、そんなこと話すために、わざわざこんなとこまで呼び出した訳じゃないンだろ?」
「うん、本題はここから。率直に言うよ? 私達とここから逃げない?」
茨戸は目を丸くした。
愛歌のような例外を除いて、この施設に居心地の悪さを感じていない者は見る限りいない。
その多くがここから逃げようと考えていた。それは入所当初は施設内をくまなく歩き回る者が多かったことから明らかだ。
逃げたくはあるが、逃げ道らしい逃げ道がない。逃げられそうだとしても、その先は見えない。早々にその事実に直面し、諦めて大人しく『卒業』を目指し始める。あるいは別の方法で楽になろうとする。
だがここで強気に提案された脱走計画は、茨戸にとって他とは違う何かを感じさせた。
「これだけ言われても困るだろうから、私達が持ってる情報を話すね?」
「ちょっと待てよ。協力するとは一言も――」
「逃げたくないの?」
「そりゃ、逃げてェけど……」
「なら決まりだね」
「ああ、もう! 勝手にしろ!」
呼び掛けに応じてこの部屋に来た時点で、茨戸は根が律儀な性格をしていることは分かる。和泉は、茨戸が提案を断るとははなから思っていなかった。
これまで調べ上げた事実と考察を、茨戸に伝える。『卒業者』が外に出られるとは限らないこと、玄関には鍵が掛かってないこと、脱走を決行するならこの数日の間しかないということ。
多少都合の悪い事実を少な目に伝えたが、土壇場で計画から降りると言われないようにするためだ。
「今日の消灯後、部屋の皆が寝静まったらうちの部屋の前に来てくれる? ノックはしないで、小窓から顔覗かせてて。すぐに出るから」
「今日か……。相当急だな」
「それについては謝るしかないね。でも、茨戸さんが頼りになると思ったから誘ったんだよ?」
和泉は、茨戸の目を真っ直ぐに見つめる。
「分かったからそんな目で見るな、気持ち悪い」
照れて顔を背ける茨戸を見て、和泉は顔を綻ばせた。
「じゃあ、お願いね」
「はいはい」
密会を悟られないようにするために、茨戸とは時間差で退室した。
順調にことが進んでいると和泉は感じていたが、その日、事件が起きた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます