第23話 愛の出荷
十五日目、月曜日。
あれからもう一人自殺者が出て、二人ほど『卒業者』が出たらしい。蔓延る不安は、着実に少女たちの命を刈り取っていく。
とはいえ、脱走計画を練っている和泉には関係のないことだった。自分や真尋たちに自殺する予定はないし、卒業認定を受ける兆しもない。
脱走計画を成し遂げるという決意だけが、和泉の胸の内にあった。
和泉がグロテスクでうんざりするような授業を終え、部屋に戻ると、そこには愛歌がいた。
「和泉ちゃん、久しぶり!」
「あれ、愛歌、なんでここに?」
飛びつくようにハグしてきた愛歌を抱きしめ返しながら、和泉は問う。面会は病棟でするものとばかり思っていたからだ。
「お別れの挨拶がしたいって言ったら、行っていいよって」
「でもまだそんな風に動いちゃまずいでしょ。ベッドに座ってて」
「えへへ、実はまだちょっときついの」
和泉はゆっくりと、愛歌をベッドに座らせた。思ったより軽かったのは、愛歌は妊婦であるというイメージが強いからか。
「なんか、お腹が膨らんでない愛歌って違和感があるね」
「そういえば、みんなと会ったときから赤ちゃんいたんだったね。この愛歌がいつもの愛歌だよ」
言いつつ手を大きく広げ、体を見せつけてくる。元から大きかったというのに、産後で張った愛歌の胸はさらに大きくなっている。女性として羨ましいと思わなくもない。
愛歌に脱走計画の進捗を伝えていると、真尋と治日の二人が帰って来た。
「あれ、お姫がいるー!」
「真尋ちゃん! 治日ちゃん!」
「ちょっと! まだ安静にした方がいいんだろ?」
愛歌は二人まとめて抱きついた。
「うわー、なんかお腹膨らんでないの違和感あるねえ」
「同じこと言われたー」
「同じこと言った」
和やかな笑いが起きる。
久しく訪れていなかった明るい雰囲気を、愛歌が持ってきてくれた。今この瞬間だけは、この部屋は施設の中で一番平穏な空間だった。
だが、ここは地獄に通じている。
「あ、そうそう、病棟のこと言わなきゃだね」
そのたった一言で、現実に戻される。
「無理させて悪かったね、愛歌」
「ううん、手伝うって言ったのは愛歌だからね。それに、あんまり役に立つようなことは分からなかったの」
「それでもいいよ。些細なことでも話して」
愛歌は再びベッドに座ると、目を閉じて伝えるべきことを思い出し始めた。
「まずは間取りのこと話すね。廊下の突き当たりの先に扉があるんだけど、閉まってて開かなかったよ。耳を澄ましてみても何も聞こえなかったし、外に出られるような場所とは繋がってないかも。次に職員さんのことだけど、お医者さんたちは冷たそうな怖い顔してた。こっちの職員さんたちはにこにこしてるのに」
愛歌は思った以上に調査をしてくれているようだった。それも自分が伝えた、いくつかの観点での情報をきっちり収集している。愛歌はぽやぽやしているようでいて、その実、記憶力はいいのかもしれない。
「他の部屋に誰かいるの見たことはないんだけど、たまに職員さんが入っていく音が聞こえてきたから、もしかしたら誰かいたのかも。あんまり部屋の外に出るの許されなかったから、詳しくは分かんなくてごめんね」
「謝らなくていいよ。それより、病棟に運ばれるような怪我したり、病気になった子とかいなかった……よね?」
真尋と治日に尋ねてみるが、首を横に振るばかり。
悪い事実が判明するより、分からないことの方が不気味で、精神を削る。得体の知れない事実は悪い方へ、悪い方へと想像が膨らんでいき、ありもしない絶望へと変じる。
そうなる前に、良い事実を見つめさせなければ。
「愛歌は何かされてるような感じはない?」
「うん、なんにも? 赤ちゃん産むの手伝ってくれただけだよ」
「何もされずにここから出る子もいるってことだよ。行き先は……まあ、あれだけど……」
無事に出られたとして、その行き先という重要な部分が不穏だった。余計に不安にさせたかもしれない。
「行き先のことは結局教えてくれなかったなあ。栽原さんも詳しくは知らないみたいだし」
「まあ、そんな都合よく情報が集まるわけないよね。他に気になったこととかはなかった?」
「ほかにはー……」
うーん、と愛歌は頭を悩ませ、頭の隅々まで探っていく。
呻ること数秒、何かを思い出したようで、表情がぱっと明るくなった。
「そうだ、送迎バスは月曜日にしかこないって言ってた。だから愛歌は今日出て行かないといけないの。それでね、確か卒業した子が初めて出たのって――」
「――木曜日だ」
ここに来て四日目の木曜日。自分と同じクラスの赤松が卒業した。赤松は憔悴しきっていたらしいが、自殺したわけではなく、庭瀬曰く生きて卒業したという。だが施設から出て行くまで、どこで何をしていたのか。
「迎えが来るまでの間、どこに……」
誰か他に病棟にいたかもしれないと愛歌は言ったが、それならば気配も物音もなく部屋にいたということになる。
そもそも、庭瀬は卒業して『出ていった』とは一言も言っていない。
一体、ここで何が行われているのか。
「やっぱりあの噂、本当だったんじゃ……」
治日は俯き、呟く。それを聞いた真尋も、表情をこわばらせた。
研究のために、頭の中にチップを入れられる。馬鹿げていると一笑に付すのは簡単だが、この施設ならやりかねないという印象はすでに植え付けられていた。チップではないにせよ、何かされてもおかしくはない。
「仮にそうだとしても、私たちは逃げるから関係ないよ」
二人に強く言って聞かせる。
「それにこれは希望的観測でしかないけど、ふたつの可能性がある。月曜にしか送迎バスが来ないってことは、それだけ本数を絞らないといけないってこと。バレるとまずいような施設だから往来を減らしたいっていうなら、私達が逃げ出しても大規模な捜索はしない可能性がある。少なくともこの施設近辺ではね」
どこかで包囲網を敷いている可能性は高いが、それでも抜け道はあるはず。
とはいえ、表を歩けるような生活には戻れない。確かめずとも、相手が途轍もなく大きな存在だということは分かる。下手に目立つとすぐに発見されると考えた方がいい。
「……もうひとつの可能性は?」
「もうひとつは、私達だけじゃなくて施設側も連絡手段を持ってなくて、定期便しか出すことができない。つまり、脱走しても連絡がすぐにはいかないから、捜索の手が遅れるっていう可能性」
こちらの可能性の方が好ましいが、あくまで可能性の話だ。どちらでもない可能性もある。
どちらだろうが逃げてみせるが。
「なんか、逃げれそうな気がしてきた」
「僕も」
「うん、皆で逃げよう!」
脱走の決意を新たにしたところで、ドアが優しくノックされた。
「藤宮さん、お時間です」
栽原の声。
「はーい。それじゃ、みんな頑張ってね」
愛歌は返事をすると、小声で三人を激励した。最後に一人ずつハグをして、笑顔で部屋を出ていく。それを和泉は笑顔で送り出した。
もう二度と会うことはないだろう。
愛歌が出ていった部屋は、まるで死んだように静かだった。
「イズミン、よく笑顔でいられるね……」
閉じたドア見つめながら、真尋は言う。
「愛歌が幸せそうなんだから、笑ってあげるしかないでしょ」
「それはそうだけど、あたしにはできないよ……」
二人は暗い顔のままだった。
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