第22話 死を眺め、生を見つめる(残虐描写)

 十三日、土曜日。


 ついに待ち望んだそのときが来た。


 自殺見学計画は当初、不穏な噂を流して不安を掻き立てるという計画だった。授業内容が過激なものに一変したことが計画の追い風になったことは事実だが、真尋と治日の精神状態にも少なからず悪い影響を与えている。


 二人は授業が終わると、しばらくベッドで伏せるようになっていた。


「二人とも大丈夫?」


 和泉が声を掛けるも、生返事しか返ってこない。もう少し経てば元気になるとは思うが。


 何分経っただろうか。まず真尋ががばりと起き上がり、次いで治日がのそりと起き上がった。


「うん、もう大丈夫、多分。メンタルはゴリゴリに削られてるけど。いや大丈夫じゃないわ、やっぱ」

「こっちはメンタルだけで済まないかもしれないけどね」


 元気とまではいかないが、二人とも持ち直してきてはいた。


「メンタルだけじゃないって、ハルちんのとこどんな授業してんの?」


 二人の罪を知ってからは聞くまでもないと思っていたが、メンタルケアをする必要があるのならば知っておかなければならない。そう思っていると、折よく真尋が聞いてくれた。


 思い出すのも嫌なようで、治日は顔をしかめる。


「やってることは単純だよ。何の効果もない錠剤を飲んで、その日の健康状態の記録をつけるってだけ」


 真尋の質問に、治日は忌々しげに答える。不快に思っているのは真尋に対してではなく、授業内容に対してのようだ。


 その内容が予想外に軽いものだと思ったのか、真尋はきょとんとする。


「え、それだけ?」

「それだけだよ。たったそれだけのことで、こんなにも気持ちが悪くなるんだ。そもそも信じられる訳ないだろ、頭のイカれた連中の言うことなんか。実際に何飲まされてるか分かったもんじゃない。そう思っただけで不調をきたすんだよ。ノーシーボ効果ってやつ」

「ノーシーボ?」

「プラシーボの反対」

「ああ、そういうことね……」


 ノーシーボ効果。ノセボ効果、反偽薬効果とも言う。人間の思い込みというのは不思議なもので、ときに物理的に肉体に現れる。「病は気から」ということわざがあるが、あながち間違っていないのだ。


「わざわざ体調の記録を取らせるってのも嫌らしいよ。何か変化があるかもって思ってしまうし」


 得心が行ったようで、真尋は治日に同情の眼差しを向けた。


「そっちだって、イカれた授業やってるんだろ?」

「そうなんよ、聞いてよ二人ともー」


 耐え忍ぶのも我慢の限界だったのか、真尋は決壊した堤防のように語り始めた。


「まずね、レポート用紙が配られるんだけど、そこに同じクラスの子の名前がひとり書いてあるんよ。そんで、その子の良いところを書いてくださいって言われて書いたら、次は悪いところを書いてくださいって言われんの、書いた良いところと同じくらいの文量っていう指定付きで。書いたらその場で回収されるんだけど、その場で自分宛のが返却されるっていうね。あたしは結構辛辣なこと書かれてて、『気持ち悪いオタク』とか『媚び売ろうとして明るく振る舞ってる』とか。根暗な自覚があるから頑張って明るく振る舞っとるんじゃい! っていうね。いや、自分の名前書かなくていいから、あたしも結構なこと書いたんだけどさ。それからはアレを書いたのは誰だ、あいつか? っていう疑心暗鬼でギスギスしまくって今に至るわけよ。つらい」


 相変わらずよくしゃべる。治日と二人で、真尋のまくしたてるような報告に圧倒されていた。


「特に筆跡知ってる子から書かれてたらその場で喧嘩始まってさ、掴み合いにまで発展しても白服は何にも対処しなくてもう大変よ……」

「え、止めに入らなかったの?」

「うん」


 わざと仲違いをさせるような授業内容の陰湿さも気になるが、和泉はなによりもそこに引っ掛かった。


 先日の栽原さいはらのことを思い出す。和泉が沈痛な面持ちで医務室に入ると、彼女は心配そうに駆け寄ってきた。そのことから、白服たちは収容者に対してある程度は一般的な配慮ができるものだと思っていた。激しい喧嘩を止めようともしないというのは、持っていた印象とは違う。


 自殺を称賛するような価値観を、統率が取れているように一様に持っているとはいえ、同じ部分はそこだけなのだろうか。


「なんか、喧嘩が始まったら急に無表情になって固まっちゃったんだよね。喧嘩見慣れてなくても、そうまでなるもんかねえ……?」

「ふうん……」


 なんとなく、茨戸に掴みかかられたときの園井を思い出した。衝撃的な出来事に直面すると身動きが取れなくなることがあるらしいが、そういったものなのだろうか。


「この流れで聞くけど、イズミンのとこは?」

「ああ、こっちはスナッフフィルム。今日はいじめられっ子が仕返しに学校で銃乱射する映像だったね、アメリカのどっかで。ネットに流そうと考えてたっぽくて、頭にカメラ固定して主観で虐殺ショーを鑑賞できるようになってた。最後は警察に射殺されてたけど、どっから流出したんだろうね」

「やば……」


 真尋の反応は、授業内容とそれを平然と語る和泉の両方に対するものだったが、和泉はそれに気づかない。


「超今更なんだけどさ、なんでこんなことされてるんだろね、あたしたち」

「それは私も思ってた。歪んではいても、最初は言われた通り『心を健全にする』って目的なのかと思ってたけど、最近は度が過ぎてるよね」

「ほんとそれ……」

「……まるで実験動物だね、僕たち」


 治日の言葉に、部屋は沈黙した。


 かなり強引ではあるが、何もかもが建前で、何かの実験のために集められたというのなら辻褄が合う。


 授業でやっていることが実験なのかもしれないし、それに対する反応を観察されているかもしれないし、脱走を企てることも向こうの想定内なのかもしれない。


 自殺者は未だ出ていないものの、施設内の雰囲気は日増しに悪くなっている。極度の不安から攻撃的になる者も少なくはなく、真尋が言ったような喧嘩が散発している状況だ。


 今も部屋の外で怒鳴り声が聞こえた。巻き込まれないためにも、部屋の外には極力出ないようにしている。


 激しい罵り合いはときに殴り合いに発展するが、意外にもそれを止めるのは茨戸であることが多い。茨戸自身、衝動的に手を出すこともあるが、それ以上に喧嘩を力づくで収めている。力で彼女の右に立つものはおらず、割って入られると誰も喧嘩を続けられない。


 かなおの言う通り、茨戸が暴力的であるのは何か抱えているからなのだろうか。


 折を見て話し合いの場を設けよう。茨戸を脱走計画に引き入れることができれば、利するところが大きい。並の女子では持ちえない膂力りょりょくは、荒事に役立つ。


 そう考えていると、ドアがノックされた。


 突然響いた音に三人はびくりと反応してしまうが、和泉だけはノックの意味をいち早く察した。


 ――そのときが来た。


「和泉さん、いらっしゃいますか?」


 庭瀬の声。


 返事をしてドアを開けると、そこには和泉と同じクラスの少女が立っていた。名前は知らない。そういえば今日の授業には出席していなかったな。彼女はまるで亡霊であるかのように生気が無く、卒業生代表と同じ空気を纏っている。これが死相というやつだろうか。


 死を予感させる異様な雰囲気を察したのか、いつの間にか辺りは静まり返っている。


「自死を選びたいという相談がありましたので、連絡をしに参りました。見学者がいるということも了承済みです」

「そうですか、お疲れ様です」

「…………」


 和泉はその少女に目を向ける。自分の自殺が見学されるというのに、何の反応も示さない。本当に許可が下りたのか疑わしいが、そう言うのならありがたく機会を頂戴しよう。


「それじゃ、行ってくるね」


 庭瀬たちについていく和泉を、真尋たちは口を噤んだまま見送った。


 エントランスに繋がるドアの前で、庭瀬は鍵を取り出す。上着の右ポケットだ。そして音から察するに、他の鍵はポケットに入っていない。


 庭瀬が鍵を開けると、静寂に包まれた廊下に解錠音が通り抜けていった。その音の意味を理解しない者はいない。


 金属製の割に軽そうなドアを押し開けると、外と近いからか、底冷えするような寒い空気が流れ込んでくる。


 約二週間ぶりのエントランスだ。


 病的にまで白い施設において、そこには数少ない色付いたものが垂れ下がっていた。


 自殺志願者は吸い寄せられるように首吊り縄のもとへと歩く。


 和泉は庭瀬とともに彼女の後を追うが、視線だけは玄関ドアに向けた。


 ところが。


 ――無い。


 玄関ドアの錠がどのようなタイプか確かめるつもりだったが、そもそも錠らしきものが存在していなかった。鍵がかかっていない、どころではない。出入り自由なのだ。


 想定外のことに目を奪われそうになったが、今まさに首を縄に掛けている少女にそれとなく目を向ける。


 あれでは簡単に脱走できるどころか、外からの侵入者も許してしまう。およそ人権という言葉が存在しないような施設であるのに、外からアクセスしやすくしているとは考えにくい。


 少女が椅子を蹴った。そちらにはそもそも興味が無い。


 そもそも玄関に到達することすら困難なのかもしれないとも思ったが、あのドアをくぐる前のことを思い出してみても、周囲に森があることしか分からなかった。


 縄がうまく首にのか、少女はじたばたしている。うるさい。


 罠かもしれない。だが罠であったとしても、ここにいることと何の違いもない。


 自殺を完遂させようと、庭瀬が少女の体を強く引き下げ、首を圧迫させている。


 罠でもかまわない。逃げよう。


 和泉が思考を終えたとき、少女はすでに息絶えていた。縄に圧迫された顔は醜く、直視できるものではなくなっていた。

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