第21話 被虐少女

 施設内の空気を暗く沈ませた日の夜も、いつも通りかなおと談話をした。計画の外にいるかなおから、今の施設の雰囲気を知りたいからだ。


 調理場担当の職員を除けば、周りに人はいない。声量に気をつけていれば、盗み聞きされることはないだろう。といっても、聞かれてはまずい話はしないが。


「あのさ、かなお。授業内容が急に変わったりした?」


 お茶を飲みつつ、かなおの表情を確かめる。かなおは、一服し落ち着いていた顔を俯かせた。


 施設の雰囲気がどれだけ悪くなろうとも、かなおは自殺はしないだろうという確信に近い考えを和泉は抱いていた。体は風が吹けば折れそうなほど細身で、性格は小動物のような気弱さなのに、思いのほかタフな精神を持っているのだ。


 なので、普通なら不安にさせるようなことでも安心して訊ける。


「そうですね……。授業だけじゃなくて、この施設全体が、昨日あたりから変わった気がします」

「やっぱりそう感じる?」

「変な噂を聞いたって、うちの部屋みんな、暗かったりピリピリしてたりで……」

「噂なんて、どこまで本当なのか分からないけどね」

「だと、いいんですけど……」


 かなおが沈痛な面持ちで、カップに注がれたお茶を眺めている。その左頬は、少し赤く腫れていた。おそらく殴られたのだろう。


「かなお、また怪我増えてるね。いい加減相談しに行ったら?」


 茨戸が暴力的なのは何か訳があるはずだと、かなおはそれを解決しようと躍起になっている。そのことが原因で、たびたび暴力を振るわれていた。


 かなおのタフさはこの面で発揮されている。気弱なくせに、一度決めたら挫けずに続ける。その心の根源にあるものは分からないが。


 それにしても今回は珍しく、殴られたのは顔だ。茨戸なら、バレないように服で隠れる場所を攻撃する。


 ひょっとすると、茨戸が犯人ではないのかもしれない。


「えっと、これは、その……茨戸さんに殴られた訳じゃ、ないです……」

「あれ、そうなんだ」


 やはり。また余計なことに首を突っ込んだのだろうか。


「はい……、同じ部屋の子が不安で震えてたから、励まそうとしたんです。でも、言葉を間違ったのか、怒らせてしまって……。いつも、そうなんです……。助けたいのに、裏目に出て……」


 言葉に詰まりながらも思いを告げる。結果が伴っていない善行は、善行と呼べるのかは分からないが、その行動力と精神力には舌を巻くばかりだ。


 そして、普段は暴力的にならない人物が暴力的になったという事実が、和泉にはありがたかった。順調に精神的に不安定になっている証拠だ。


「えらいね、かなおって。私はそこまで人のために動けないよ」

「え、えらくなんて……! 助けたいだなんて言ってますけど、本当は多分、下心があるんです、きっと。こんなことしてたら、い人に見えるだろうっていう。そんな浅はかな人間なんです、わたし」

「下心がない人間なんていないから、そんなこと気にしてもしょうがないよ」

「……そうですかね」

「そうそう」


 本人の言う通り、何かしらの下心があるように思える。だが、かなおはこれまで遭遇したことのないタイプなので、推測が難しい。


 ただ、善人に見られたいという下心のもっと下には、別の本音が隠れているように思えた。


「ねえ、かなおはここから逃げたいって思う?」

「逃げたいか……ですか? うーん、よく分かんないです」


 おそらく全員が「逃げたい」と答える質問に、かなおは明確な答えを持っていない。ここがどうやら、かなおの言動の根源なのだろう。


「でも逃げないと何されるか分かんないよ?」

「もちろんここから出たいっていう気持ちもありますよ? こんなところにいるってだけで、みんな被害者みたいなものですから……」

「皆が被害者だってことと、何か関係ある?」


 その質問に、かなおは一瞬体をこわばらせた。


 不審に思われたくなくて、焦って口を滑らせてしまったのか。おかしなことを吐露した。


 全員が被害者であることが不都合ということはつまり、自分だけ、あるいは自分含む少数派が被害者である状況が好ましいということだ。


「それは……みんなが辛そうにしてるから……です」


 緊張で引きつる顔で、絞り出すように答えた。


「やっぱり他の子を思いやれるえらい子だよ、かなおは」


 よしよしと頭を撫でてやると、かなおは顔を綻ばせた。


 かなおの言動は、健気に良いことをして称賛されたいという承認欲求によるものかとはじめは考えたが、どうやら違う。自分が被害者でありたいという被虐嗜好とも少し違うような。


 かなおの持つ下心とは何なのか。


 授業内容を聞き出せば分かるかもしれないが、それは向こうも同じことを考えているだろう。自分を隠すためにはぐらかされるか、嘘を言われるかだ。


 巧妙に隠してあるので、これからも言動を注視しなければならない。だが、そのこと自体が藪をつついて蛇を出す結果になりかねない。


 そうでなくとも、近いうちに何か事件を引き起こす。和泉は何故かそういう予感を抱いていた。


 不確定な要素はできるだけ潰していきたい。


「でも本当に駄目だと思ったときは、私を頼ってね」

「和泉さんも、やっぱりい人ですね」

「そうでもないよ」


 互いに笑い合う。


 少なくとも味方につけておかなければ。

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