第16話 罪語り

 和泉たちが医務室から出ると、三人の周りにだけ絶望がまとわりついているかのように暗かった。無事に出られるかもしれないという希望を見つめる者たちとは違い、ここから地獄へは簡単に落ちていけると思い知らされている。


 陰鬱な雰囲気の中、真尋が口を開く。


「切り替えすごいね、イズミン。あんなヤバいこと言われたのに。子供がどこにいるのか分かんないとか、牧場に行くとか」

「だからこそだよ。逃げないと私たちも何されるか分からないんだし、そのためなら愛歌だって利用しないと」

「そりゃそうなんだけどさ……。分かってるよ、それが正解なんだって。でも気持ちが追いつかないっていうか……」


 続く言葉が見つからないのか、真尋は床を見つめながら口をつぐんだ。


「ごめん、変なこと言って……。イズミンはあたしたちのこと考えて動いてくれてるのに」


 束の間の沈黙を経て、ついには謝罪の言葉となってこぼれ出る。


「気にしないでいいよ。落ち着くのが得意なだけだから」


 言いつつ、自室のドアを開ける。部屋の中に踏み込むと、いつもより薄ら寒く感じた。暖房を切っていたからというだけではない。人ひとり分の温かさが足りないのだ。


 和泉と治日はいつものようにベッドに座ったが、一方で真尋だけは距離を取るように壁際の椅子に腰掛ける。


 いつになく真剣な顔をしている真尋は、自分を落ち着かせるように一度深く息をしてから話し始めた。その声にはお気楽さの欠片もない。


「あのさ、色々考えることあると思うんだけど、その前にはっきりさせようよ。みんな、何でここに来てんの? 生半可なことじゃ、こんなところに呼ばれないよね? 別に責めるわけじゃないよ。あたしだってそんな立場じゃないし」


 地獄の入口に連れてこられた心当たり。前回ははぐらかされて話は終わったが、今回は自ら晒すという。


「脱走計画を本格的に実行しようっていうのは、言わなくても分かってるよ。でもそんな危険を顧みない計画を実行するには、お互いのこと知らなさすぎるよね、って話。上っ面だけじゃなくてね」


 家柄や趣味を明かすのとは次元が違う。ともすれば人間性を疑われることを暴露することになるが、それはお互い様であるという見込みからだろう。


 本性を晒すこと自体に意義がある。隠し事はしませんよというポーズを取ることによって、信頼を勝ち取ろうとしているのだと思う。


 ここにいることが、何かしら問題を抱えていることの証左だ。いつ誰が後ろから刺してくるか分からないと警戒するのは不思議ではない。


「もちろん最初はあたしからね」


 前回同様、提案者だからという理由で律儀に真尋が一番手となる。真尋は二人を見るわけでもなく、どこか遠くの一点を眺めるような目つきで自らの悪事を述べ始めた。


「よく芸能人に対するネットでの誹謗中傷が問題になってるって報道あるよね? あれのいくつかはあたしが関わってるんだよね。印象悪くするきっかけみたいなの作ったらさ、あとは勝手にヘイト向けてる連中が燃やしてくれんの。本気で嫌いな奴から、なんとなく気に入らないってだけの奴まで、炎上の発端になる燃料を撒いてたわけね。たまに自殺する奴も。そんなことする理由は、ただのストレス発散。んで、世の中簡単に操れるバカばっかりなんだなーって思ってたら、クラスの子たちも炎上騒動に流されてて、なんか白けて学校行かなくなったって感じ」


 そこまで一気に語ると、真尋は自嘲の笑みを浮かべる。


「あたし自身の書き込みはまったくの嘘ってわけでもないし誹謗中傷ってほどでもない、法的に引っ張れない程度の書き込みしかしてなかったんだけど、こんな所に連れてこられるってことは、全部筒抜けだったんだろうね」


 最後に「どう? クズでしょ?」という自虐の言葉で締めた。


 真尋も愛歌とは別の形で他人の人生を壊してきたようだ。


 ネットでの誹謗中傷の問題はよくテレビで目にする。和泉も真尋と同じく、真偽の分からぬ情報に飛びついて騒ぎ立てる連中を見下していた。真尋はそういう連中を実際に操っていたのだ。


「本物のクズじゃん……」


 そう呟く治日とは違い、和泉は真尋に対して嫌悪感は抱いていなかった。むしろ、本当に自分の内側をさらけ出したことに感動すらしていた。


 真尋は、信頼されようと身を切っている。


「そう言うハルちんはどうなんよ。菊塚病院の黒い噂、もしかしてハルちんが関わってたりするんじゃないん?」


 黒い噂。そう言われた治日は、刺さりそうなほど鋭い視線を返した。


 剣呑な雰囲気になるかとも思われたが、煽るでもなく真っ直ぐと見据える真尋の目により、治日の舌打ちだけで済んだ。


「本当にムカつくね、真尋って。はあ……。どんな噂か知らないけど、僕がクスリ売ってたのは本当だよ」


 自身を抱くように、ベッドの上で膝を抱える治日。その姿は、どこか自分を守ろうとしているようにも見えた。


「『スマートドラッグ』って言葉、聞いたことくらいはあるだろ? 集中力高めたり目を覚まさせたりで勉強や仕事の効率を上げるっていうクスリ。あれを真面目な奴らに売ってたんだ。しかも本来は病気の治療に使うようなやつを」


 スマートドラッグとは、脳機能を向上させる目的で服用する薬品だ。作業効率を上げる一方で、その依存性や他の副作用が問題視されている。


 効能の低いものはサプリメントとしてドラッグストアで購入可能らしいが、治日の言っているものは違うようだ。


「父さんの病院から流してたんだけど、あの人はそれを分かっていながら叱りすらしなかったよ。それでも表沙汰になるのは嫌なんだろうね。警察には僕のこと触れないように釘を刺してたっぽい」


 菊塚家の家庭事情は知らないが、この親子が正面から向き合ってはいないことは確かだった。治日のクスリの横流しという問題行動も、この家庭事情の問題から来ているのかもしれない。


「多分だけど、庇うのが無意味だと思ったんだろうね。皆は違うんだろうけど、僕はきっと父さんの希望でこんなところに押し込まれてるんだよ。嫌われてるんだ」


 そう言って、治日は語り終えた。膝に埋もれた顔は、今にも泣き出しそうなほどに歪んでいた。


 謎の権力者からではなく実の親から要請を受けたとあれば、この悪趣味極まりない仕打ちも意味が変わってくる。


 二人は治日にかける言葉がなかった。


 空気が暗く、沈んでいく。


「……最後は私だね」


 話の流れを無理やり引っ張る。だがこれから話すことは、逆に二人を落胆させてしまうかもしれない。


「はじめに言っておくけど、私はこんなところに来る心当たりはほとんど無いよ。だから、もしかしたらってやつ話すね」


 真尋と治日は目をこちらに向けることなく、静かに和泉の言葉を待った。


「高校一年のとき、私のクラスで自殺があったんだよね、いじめが原因で。クラス全体がいじめるか黙ってるかっていう雰囲気になってて、その子の味方なんて誰もいなかった。担任も含めてね」


 まるでその子がいないかのように、周りは振る舞う。そうでない者は、傷つけた。


「私は黙ってる側の人間だったんだよ。でも、いじめ問題を華麗に解決するなんて、フィクションの世界でしかありえない。良心が痛もうが、次の標的になるかもって考えたら、誰だって口出せなくなるよ」


 標的がいなくなることはない。ただのそういう集団心理に過ぎない。


「いじめを止めなかったことが悪くはないなんて言わないよ。でもいじめの主犯格が野放しなのに、私はここにいる」


 ここにいるべき人物が、他にいる。


「私が真尋や治日なんかと違うって言ってるんじゃないよ。真尋と治日だってそんなに悪くはないんじゃないかって言いたいの」


 そしてこれも気休めだ。


「真尋はただのきっかけの一つを作ったに過ぎないし、それだけヘイト向けられてる人は遅かれ早かれ炎上してたと思うよ。実際に追い詰めた連中の方が悪いはず。治日だってそう。そんなクスリを求めてる方も悪い。それに、父親から嫌われてるんじゃなくて、接し方が分からないだけかもしれないよ。ここが単なる更生を目的とした施設だと思ってたのかもしれないし」


 気休めであり、ただの可能性。


 それでも――。


「それでも……、もし二人が本当に悪人だとしても、私は二人を置いて逃げようとは思わないよ」


 二人は顔を上げる。その目には希望の光が灯り始めていた。


「はは、やっぱイズミンは人たらしだねえ。言ってほしいこと言ってくれる。いよっ! この人たらし!」


 嬉しかったのか、照れ隠しなのか、真尋は茶化す。


「はい、ざんねーん。真尋だけ置いて逃げまーす」

「待って! 見捨てないで!」

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