第17話 非情な脱走計画

 情けなく懇願する真尋に思わず治日も吹き出し、部屋に明るさが盛り返してくる。


「いやあ、思ったより暗くなっちゃってごめんね。でもこれからはなんとなくで付き合っちゃダメな気がしてさ」

「私も同じこと思ってたから気にしないでいいよ。真尋が切り出さなくても、どのみち私から打ち明けてたと思うし」

「そう? 僕は隠し通したかったんだけど」


 真尋のフォローに回ると、今度は治日が不満を漏らした。わざとらしく真尋をじっとりと睨みつけていることから、それが本音ではないことが分かる。


「まあまあ、拒絶されなかったんだから良しとしなされ」

「真尋には言われたくない。あと、真尋のことは受け入れてないからね、僕」

「辛辣ッ!」


 まるでここが学校の教室のように、当たり前のような笑いが起きる。手の内を明かすことは、存外結束力を高めているようだった。緊張感が足りていないようにも見えるが、その実、覚悟は決めきっている。ここから逃げよう、と。


「それじゃあ、どうしようか。今のところ最も可能性がありそうなのはエントランス経由で外に出ることだけど」

「やっぱり真正面からになるよねえ……」


 正確には「エントランスに可能性がある」ではなく、「エントランス以外に可能性がなさすぎる」であるが。


 エントランス以外は、今のところ手詰まりだ。


 まず、行けるところが少ない。自分たちの居住区画や教室、浴場などしか立ち入りすることが出来ないのだ。脱走計画を企てた当初は外に繋がる場所を探ろうと勇んでいたが、結局すぐに諦めた。


 残るは職員用区画と医務室の奥の病棟だが、そのどちらも情報が少ない。病棟については愛歌が情報を掴むことが頼りにはなるが、それも期待していいかどうか。


 施設の全貌を見ていれば玄関以外の出入口の場所や職員の数に見当がついたかもしれないが、ここに来たときは生憎と夜であり、施設の前面しか見られなかった。


 結局、エントランス経由で玄関から出て行くのが最も可能性が高い。


「まずはエントランスに行く方法考えないとね。あそこを突破できないと話にならないし」

「ねえ、鍵手に入れるんじゃなくて、どうにかしてこじ開けられないかな」

「正直それもありだと思う。それならついでに玄関も開けられるかもしれないし。問題は壊すときに音が出ることと、壊すための器具があるかってこと」

「分かってたけど、やっぱりそこが問題だよね……」


 治日の提案に一理はあるが、やはり問題が多い。騒音対策はタオルで消音すればどうにかできるかもしれないが、肝心の器具があるかが問題だ。バールがあれば好ましいが、この施設にそんなものが置いてあるのを見たことがない。


「鍵、しかないかなあ……」


 やはり鍵を探すしか。


「んでも、それだと結局玄関開けるのに別の鍵がいるよね?」

「うん、流石に同じ鍵で開くわけないし……」


 鍵置き場は職員用区画にあるであろうし、何らかの手段で職員から鍵を手に入れたとしても、玄関用の鍵を一緒に持っているかも分からない。


 どうしたもんか。そう思い悩もうとしたとき、和泉はあることに気づいた。


「――いや、そもそも鍵がいるかどうかも分からないんだった」

「……あ、そっか。内側からならつまみ回せばいいだけのタイプかもしれないってことか。玄関にありがちな」

「逃げられないようにされてるって思い込みが強すぎて、そこらへん確かめるのが頭から抜けてた」


 我ながらアホすぎる。ため息をこぼすように言いながら、和泉はベッドにくずおれた。


「まず、どうにかして下見しないと」


 玄関が容易に開けられるのなら、問題はドア一枚になる。それならば多少の荒事を起こしても、無理やり外に出ることができるかもしれない。


「正直に鍵を貸してもらうのは、自殺したいですって言ってるようなものだから無理だし……」


 自殺したいと申し出ると、おそらく死亡確認するために監視しようとするはず。首を吊る手前でやっぱり止めましたと言えればいいが、はいそうですかと承認してくれるかは分からない。首吊りの補助を買って出る可能性もある。


 とすれば――。


「良い案かは微妙だけど、思いついたから二人に頼み事していい?」


 思いを巡らせた和泉は、起き上がって二人に向き直る。


「任せて!」

「できる範囲でなら」


 前向きな返事を聞き届けたあと、和泉は計画の一端を話し始めた。


「真尋は確か、他の部屋の子たちとも仲が良かったよね?」

「情報収集のために頑張ったからね! 何の収穫もなかったけど!」


 真尋は脱走計画立案当初には、他の部屋に探りを入れていた。脱走を企てていそうな部屋はあるにはあったらしいが、どこも決定的な手段を考案するには至らなかったらしい。


「そのときはありがと。それで、今度は仲が良い子たちに卒業者が実際どこに行ったか分からないって情報流してくれる?」

「そりゃまたなんで?」

「計画には他の子たちのが必要だから。みんなさっさと卒業できるかもって明るく振る舞ってるけど、実際は現実から目を逸らしてるだけだと思うんだよね。頭の片隅には卒業生代表のことがチラついてるはず。そこを自覚させてほしい」

「うへえ、空気悪くなるだろなあ……」

「それが狙いだから」

「うーん……分かった、頑張ってみる」


 歯切れは悪いが、やってはくれるようだ。


 治日の方には、真尋以上に受け入れてくれるか分からないことを頼む。


「治日は、食堂で私と話してるだけでいいよ」

「それは……僕の社交性がないから?」

「違う違う、これもちゃんとした計画だよ。人って何気なく耳にした世間話とかを信じてしまうことが多いらしいから、食堂で隣に聞こえる程度に話す感じでお願い」

「それで、その『世間話』ってのは?」

「治日の家のことを、この施設のことと絡めて話してくれる? 『大病院の娘』がそれっぽいこと話してるだけで、かなり不安は広がると思う」

「さらっときついこと頼むね、和泉って……」


 感触は良くはないが、もうひと押しだ。


「でも、このままだと何されるか分からないよ?」

「分かってるよ。やってやるさ。僕だって『牧場送り』みたいなことされたくないし」

「ありがと。頼りにしてるよ、真尋、治日」


 安心しきった笑顔を二人に向けると、二人は気恥ずかしそうに頬を緩めた。


 ここから逃げ出すには、協力が必要不可欠だ。二人は協力的なうえに、真尋は社交性を、治日は特殊な立場を持っている。


 相性のいい二人に出会えたことは偶然であるが、このときばかりは天の恵みのように感じられた。ツキが回ってきている、と。和泉は、いもしない神様に感謝した。


 大きな一歩を踏み出せたことを心の中で喜んでいると、じとっとした表情に変わった治日がこちらを見ていた。


「頼まれたことはやってやるけど、僕と真尋の負担が大きくないか? 和泉は僕の話聞くだけだろ?」


 ただ話すだけなのに負担が大きいとはどういうことだろうかと一瞬疑問が湧いたが、おそらく精神的な負担のことを言っているのだろう。自分たちの手で不安を撒き散らすのだ。罪悪感というものを、すでに感じているのかもしれない。


 そういえば、重要なことを言っていなかった。


「いや、私の仕事はその先だよ」

「先……?」

「不安が広がってくと、それに耐えられなくて自殺しようとする子が出てくると思うんだ。だから、その子の自殺を見学するついでに、エントランスの下見をするつもり。見学の理由は適当にでっちあげれば、多分大丈夫だよ」


 こともなげにそう語る和泉に、二人は押し黙ることしかできなかった。

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