第14話 出産

 八日目、月曜日。


 週が明けても授業に代わり映えはなかった。いつも通りの授業。また別のいじめ問題をテーマとしたビデオが流され、自殺後の姿を見せられ、加害者のモデルとなった少女が血の気を失う。


 和泉は授業が終わるといつも通り部屋に戻った。部屋で三人と合流し、食堂に向かうためだ。


 人の活動があるからか、はじめの頃より廊下は温かい。ドアノブもまたひんやりとはしているが、刺すような冷たさはどこにもなかった。


 すでに三人は揃っているだろうと思っていたが、ドアを開けると真尋と治日しかいなかった。二人は授業の度にげっそりと気疲れしている――とはいえ、卒業者が出てからは幾分マシになった――が、今日はそれとは別種の心労が顔に滲んでいる。


「あれ、愛歌は?」


 いつもは和泉が一番最後に部屋に戻ってくるのだが、この日は愛歌の姿がなかった。


「そのことなんだけどさ……」


 真尋が弱々しく話し始める。


「なんか、荷物が無いんだよね、お姫の……」


 見ると、愛歌が使っていたベッドは綺麗に整理され、私物も見当たらない。


「え、それって……」

「やっぱり卒業したってことなのかな……?」


 卒業者が出たことをあんなにも喜んでいたのに、 真尋たちの顔に喜色は微塵もない。むしろ、不安で押しつぶされるのを必死に耐えているような顔だった。


「卒業が喜ばしいことだってのは分かってるんだけどさ、いざ身近な人が卒業したってなると、なんでかのこと思い出しちゃうんだよね……。ねえ、愛歌、死んでないよね?」


 あだ名で呼ぶのすら忘れ、真尋は愛歌の身を案じていた。治日も同じようで、そわそわと手を動かし、不安を紛らわせようとしている。


「聞きに行こう。それしか方法はないよ」


 不安を払拭するにはこれしかない。


「でも、もしそうだったら怖いし……」

「分からないままの方が怖いんじゃない?」

「それは……そうだけどさ……」


 座って嘆いていても何も始まらない。和泉は踵を返して職員を捕まえに行こうとした。自殺を後ろめたく思わないここの職員なら、正直に話してくれるはず。


 和泉がドアノブを握ろうとしたちょうどそのとき、ドアがノックされた。これまで音を立てたことのないドアに不意を突かれ、和泉は思わず後ずさる。


 ドアにはすりガラスが嵌め込まれた小窓があるが、ガラス越しに見えるぼやけた人影は愛歌のものではない。


 和泉が対応を決めあぐねていると、向こうから声を掛けてきた。


「藤宮さんのことで連絡があって来ました」


 年若い女性の声。その内容から考えるに、声の主はここの職員だ。


 緊張が走る。まるで部屋の中だけ時が止まったかのように、和泉たちはびたりと動けなくなった。


 連絡……。


「どうぞ」


 和泉は入室の許可を出すと、白い制服に見を包んだ女性が姿を現した。和泉たちが施設に来たとき、施設のドアを開け、講堂まで案内した女性だった。確か、医務室の担当職員でもある。


 胸のネームプレートには「栽原さいはら」と書かれている。愛歌の話を思い出すに、彼女が愛歌のクラスの担当らしい。その繋がりで彼女が連絡に来たということか。


 栽原は頭を下げると後ろ手にドアを閉め、柔らかだがどこか淡々とした口調で告げた。


「愛歌がどうかしたんですか?」

「藤宮さんは現在、入院中です」

「入院?」


 卒業でも、自殺でもない。思いもよらぬ答えに三人は首を傾げた。


「はい、藤宮さんは授業中に産気づき、今は病棟の方へ移動しています」


 ああ、と合点がいった。


 今まで生きる卒業死ぬ自殺かの綱渡りをしていたため、部屋からいなくなることがそのどちらかであると思い込んでしまっていた。愛歌はそもそも臨月の妊婦だ。いつこういうことが起きてもおかしくない状況だったのだ。


 だが、そんなことより気になることがあった。


「あの、今、愛歌と会えますか?」

「いつ出産が始まってもおかしくないので、それはちょっと……。おそらく明日には面会許可が下りると思います」

「……そうですか、ありがとうございます」

「面会を希望するときは医務室に来てください、病棟に案内しますので」

「分かりました」


 産後の愛歌に会える。


 いまのやり取りで確信したが、この施設には出産に対応できる医療体制が整っている。


 たった一か月の滞在期間であるのに、何故出産を想定した設備があるのだろうか。収容するのは産後まで待つことも可能なはず。やはり、この施設にはまだ知らない秘密がある。少なくとも、ただ心の健全化を目指す更生施設ではないことは確かだ。


 それに加え、出産に対応している医療設備があるという『病棟』は、配布された地図には載っていない場所だ。面会は、つまり通常立ち入ることができない場所に足を踏み入れることになる。


「それでは、失礼します」


 伝えることを伝えた栽原は、頭を下げて出ていった。仕事をこなして気が緩んだのか、痒そうに頭を掻きながら。


「なあんだ、出産だったのか……。安心したっていうかなんていうか。いや、結構重大イベントだけどもさ」

「本当にね」


 二人とも緊張の糸が切れたといった具合に、ベッドに背中から倒れた。


「じゃあ明日、お昼食べた後に会いに行こっか」

「さんせーい」


 明日の予定が決まり、その日も何事もなく夜を迎えた。だが、真尋はどこか居心地の悪そうな表情をしていた。それを誤魔化そうと明るく振る舞えど、すぐに笑顔は消える。気には留めていたが、答えは本人の口から聞けた。


 消灯後、部屋が静まると、おもむろに真尋が口を開いた。


「あのさ……」


 言いにくいことのようで、数拍の間を置く。


「お姫が自殺してたらもちろん嫌なんだけど、本音を言うとさ、卒業してても嫌だなあって思っちゃったんだよね……」


 そう告白する真尋の言葉に、静かに耳を傾ける。


「なんていうか……置いてかれた、みたいな。裏切られた、の方が近いかも。『居心地がいい』って言ってたのに先に出ていくんだ、って。騙された訳じゃないのに勝手に騙された気になってさ。あー、こんなこと思っちゃうからあたしは卒業できないんだろうなあ……」


 力無く笑う真尋に、和泉は声を掛ける。


「自覚がある分、真尋はすごいよ。自分で自分を騙し続けて、『自分』が分からなくなる人だっているんだよ。自分と真正面から向き合えてるなら、あとは直せばいいだけ」


 罪の意識があれば、いくらでもやり直せる。演技で反省の色を取り繕うよりは、よほど健全だ。


「嬉しいこと言ってくれるねえ、イズミンは。よく『人たらし』って言われない?」

「あーあ、慰めてあげてるのに茶化すとか……。そんな真尋は一生ここ暮らしだね」

「嫌だー」

「ああもう、うるさい! 眠れないだろ!」


 ブチギレる治日。二人は迅速に口を閉ざした。


 ちなみに、治日は愛歌が使っていたベッドで寝ている。それは、一段目が空いたからという理由だけではなさそうだった。

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