第13話 愛をください(微百合)
七日目、日曜日。
この施設に来て初めての日曜日だ。
日曜日が休暇なのはこの施設でも同じらしい。かといってすることは少ない。ただでさえ施設側が与えてくる「やること」は、午前の授業と午後の課題しかない。それすらもない日は、些か退屈に過ぎる。ネットに繋がっていればいくらでも暇潰しの手段があるが、この施設は何もかもと断絶されている。
談笑、読書、昼寝。それぞれが様々なことで時間を潰しているが、丸一日それで時間を潰すには間が持てない。それこそストレス耐性テストのようだ。
閉塞感は、依然として纏わりついてくる。
和泉は誰も利用しているのを見たことがない自習室で勉強をしていた。勉強といっても、貸出のタブレット端末で講義動画を視聴しているだけだが。そして、なぜか真尋も付いてきている。
「真面目ちゃんだねえ、イズミンは」
真尋は机にだらしなく伏せながら、和泉と同じくタブレット端末で科学実験の動画を見て暇を潰している。
「別に。無事に出られた後のこと考えてるだけ」
あれから和泉のクラスでは卒業者は出ていないが、他のクラスでは数人出たらしい。やはり演技での悲嘆は効果が無いということなのだろうか。
そもそも卒業認定基準が曖昧だ。健全とは何を指すのだろうか。それをどう判断するのか。結局思考はそこに行き着く。
「それが真面目だって言ってんのー」
「だって真面目だし」
「はあ……。イズミンの爪の垢を煎じて飲ませたいよ、自分に」
「飲んでみる?」
「ノーサンキューでーす」
ぐだぐだと無駄話をしながらも、和泉はタブレット端末から目を離さない。和泉はすでに学校の授業より先のことまで学んでいるが、特に英語は他言語ゆえに離れれば離れるほど馴染みが無くなっていく。それを防ぐためにも、英語に触れる機会を設けたかったのだ。
「英語なんて、エロサイトに書いてる単語くらいしか覚えてないなー」
「外国に行ったとき頼りにするね」
「襲われるわ! 性的な意味で!」
真尋が飽きてきたので、今日はここまでにしよう。別に真尋に合わせなくともいいのではあるが。
「そろそろ部屋に戻る?」
「さんせーい」
部屋では治日が真尋のパソコンでゲームをしているはず。あれ以来治日はゲームをしたがるようになった。だが和泉が厳しく言ってあるので、そのゲーム欲は渋々抑えられているという次第だ。
ここではろくに電子機器の充電ができない。おそらく自由に使えるコンセントは職員しか利用できないのだろう。脱衣所にはドライヤーはあるが、プラグはコンセントに固定されている。他の場所でも同様だ。
いざというときにスマホやパソコン、モバイルバッテリーが使えるように節電するよう和泉は徹底させていた。
だが今日が日曜日ということで、今日だけは一時間だけゲームをしていいと言ってある。とはいえ、気難しい年下を甘やかすために、和泉は一時間以上自習室に籠っていたのだった。
今頃は、愛歌と一緒にホラーゲームを楽しんでいると思う。
タブレットを返却した二人は、他愛もない会話をしながら部屋にゆっくりと向かった。
部屋の前に立つと、真尋は音を立てるようにわざとらしくドアノブを回した。
「ただいまー」
真尋がドアを開けると、治日と愛歌はキスをしていた。
「お邪魔しましたー」
パタン、とドアを閉める。
「もっかい自習室に行こっか。急に勉強したくなってきちゃった」
「そうだね。あー、私も科学実験の動画見たくなったかも」
「うんうん、そうしよう」
二人が踵を返すと、部屋のドアが薄く開き、低く刺々しい声が漏れ出てきた。
「気を使われる方が気持ち悪いんだけど」
振り向くと、じとっとした目がこちらを覗き込んでいた。
「それじゃあ……お言葉に甘えて、お邪魔します……」
妙によそよそしく真尋は振る舞う。その顔は心なしか赤い。
誰がそうしようと言ったわけでもなく、四人はベッドに座った。談笑時の陣形だ。笑える状況ではないが。
真尋は座るなり枕を抱きしめる。真尋は恥ずかしいと何かを抱きしめる癖があるらしい。出来れば自分の枕を抱いてほしい。
「いやあ、女の子同士のキスなんてびっくりしたよ。リアル百合っていうか。ねえ、イズミン?」
恥ずかしさを誤魔化すためか、真尋はあえてそれを話題にする。
「うん、まあ、多様性ってやつだよ」
先日かなおとキスしたとは言えない。
「なんでまたキスなんか……? いつの間にかそんな関係になってたん?」
「いや別に……、愛って何なのか知りたかっただけ」
平然と放たれたその言葉を聞いて、ことの元凶に視線が集まる。
「あのね、好きな人とキスしたら幸せになるから、何かヒントになるかなって」
自信満々に語る愛歌。段階を色々飛ばしてキスをしてみるという結論に至ったのは、らしいといえばらしい。
「授業で『愛は幸せを広めるもの』って言ってたから、ちゃんと愛が伝わるようなキスをしたの」
続けて自信満々語る愛歌。一体どんなキスをしたというのか。治日は顔を赤らめてそっぽを向いた。
「んで、どうだったんよ、ハルちん」
「まあ、悪くはなかった」
「愛が伝わったのね!」
嬉しかったのか、愛歌は満面の笑みで治日に抱きついた。抱きつかれた方も満更でもなさそうだ。
「はわわ、リアル百合じゃて、イズミン……」
「多様性多様性」
真尋は真尋で嬉しいのか楽しいのか恥ずかしいのか、肩を掴んで揺すってくる。和泉は便利な言葉、「多様性」で雑にあしらった。
「愛歌ね、授業で
栽原というのは、愛歌のクラスを担当している職員のことだろう。
「それは……?」
「愛歌の『愛』が間違ってるってこと」
おそらく間違っているというレベルではないが、野暮なことは口にしない。
「最初は驚いたんだけどね、お話を聞いてると、どんどん新しいことに気づくの。これが『本当の愛』なんだって」
「気づくってことは成長してるってことですぞ、お姫。いやあ、めでたい!」
ここに来て愛歌のあだ名が初登場したが、それはどうでもいい。
「思い出してみたらね、ママはパパじゃない人とも愛し合ってたけど、そのことで喧嘩なんてしてなかったの。『愛し合う』ってことは二人の間だけの問題じゃなくて、もっと周りにまで愛が伝わらないといけないんだって。誰も不幸にならないのが『本当の愛』ってことなの」
愛歌にしてはもっともらしいことを言った。ただ、母親はバレずに不倫をしていただけなのでは、とも思ったが。
「なんか、お姫のとこだけ授業まともじゃない?」
「ずるいよね、不健全の化身なのに」
「健全だもん!」
クラス毎に扱いがこうも違うのか。
心の健全化が目的ならば、他人に迷惑が掛からない恋愛を心がけようとする愛歌は、すでに卒業間近なのかもしれない。
「この分だと、愛歌はそろそろ卒業しそうだね」
「そうだったら、寂しくなるなあ……」
「そうだ! 皆無事に卒業できたらさ、いつかどこかで会わない?」
真尋はスマホをひらひらと見せる。連絡先を交換しようということらしい。
「僕は別にいいよ、寂しくないし」
「治日ちゃんの意地悪ー」
「僕、性格悪いから」
そう言いつつも、なんだかんだ連絡先を交換した。
出られるかも分からない。出られたとしても、会えるかも分からない。それでも希望を抱かずにはいられないのだろう。
「愛歌、嬉しいなあ、こんなに大切なお友達ができて」
幸せそうに、和泉たちの連絡先が入ったスマホを抱きしめる。その姿はまるで、玩具の宝石箱を愛おしむ幼子のように純真だった。
「絶対、お外で会おうね」
そして翌日、愛歌は出産した。
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