第12話 希望の伝播
卒業者が出たということは、昼食の時間に一気に広まった。昨日、一昨日とあんなに暗かった食事風景が、今では嘘のように明るい。会話が弾み、食事の手も進んでいる。その様子はまさに、希望の光を手に入れたようであった。
真尋たちもその話を聞きつけているらしく、部屋で合流したときから明るい。食堂ではその話題で持ちきりで、さっそく真尋もその流れに乗る。
「でさ、あの話ホントなのかな? 卒業したって」
「うちのクラスの赤松って子。白服が言うには、ちゃんと生きて卒業したって。嘘を言ってる感じはしなかったな」
嘘といえば、ここの職員は驚くほど嘘や演技がない。愚直なほど正直で、不気味なほど真摯だ。その態度が仮に嘘であるならば、自分自身すら騙しているような洗脳状態なのではないだろうか。和泉はそう思ってしまう。
「僕んとこにその子と同室の子がいるけど、朝ご飯食べたあとに白服に呼ばれてたらしいよ。多分、授業中に荷物まとめて出ていったんだと思う」
「愛歌、その子見たかも。昨日、相談室に入っていった子が『赤松さん』って呼ばれてた気がする。ものすごーく落ち込んでた」
「相談室ってことは、愛歌は医務室に行ってたの?」
「うん、赤ちゃんのことでお話があるって呼ばれたの」
「ああ、そういうことね」
愛歌の話から考えるに、赤松は演技ではなく本当に過去の行いを悔いていたらしい。
「なーんだ、じゃあ別に逃げ――」
「真尋」
何の気なしに脱走計画のことを話そうとする真尋に、和泉は鋭い視線を向けて黙らせた。計画が露呈しても安全なのかは、今のところ判断が出来ない。
「おっと、ごめんね……」
別室者たちに聞かれなかった確認するように、真尋は目だけを動かして右に左に見渡す。幸い、それぞれ自分たちの話に夢中で、耳をそばだてている者はいなかった。
「そのことについて後で話があるんだけど」
真剣な顔で話を切り出した和泉を見て、真尋と治日はつられて口を引き結んだ。愛歌はサラダをもぐもぐしている。
愛歌が食べ終わるのを待ち、和泉たちは食器を返還した。怪しまれることのないよう普段通りを装って食堂を後にしようとしたその時、未だ食事中だったかなおと目が合った。こちらが小さく手を振ると、向こうは笑顔で手を振り返してくる。
茨戸とは仲が良くないらしいが、他の二人とはなんとかやれているようだ。同室のふたりと一緒に食事をしている。さりげなく見渡してみると、食堂の隅にひとりで食事をしている茨戸の姿があった。
「知り合い?」
「うん、バスで隣だった子」
「ふうん、あんな気弱そうな子でもここに呼ばれるんだねえ」
「ここに集められた理由はそれぞれって言ってたし、どんな授業受けてるか知らないけどね」
「あー、そういえば『毛無し』がそんなこと言ってたね」
「毛無して……」
かなおがここにいる理由。そこはあえて避けていたが、そろそろ聞いても大丈夫だろうか。だが、かなおは少年院に収容されるような心当たりがあるあたり、窺い知れない闇を抱えているような気がする。
どこか巧妙に隠された地雷のような、そんな闇。
言動は気弱そのもので、乱暴者である茨戸すら慮ってあげる優しさも持っている。それでも他人の嘘に人一倍鋭い和泉は、その裏に何かあるように感じていた。
部屋に戻ると、四人は流れるように定位置に座る。
「さっそく結論から言うけど、まだ警戒しておいた方がいいと思う」
「え、なんで?」
「私たちの常識が通用しないのは分かってるでしょ?」
「それはそうだけど、自殺もせずに卒業した子がいるのも事実でしょ? それを見習えば無事に出れるんじゃない?」
希望に目が眩んで現実が見えていない。法を無視した異常な施設の実態を知った者を、心が健全になったからといって無事に解放するだろうか。
主張の対立は治日の参加でさらに劣勢に傾いた。
「一応逃げ出す算段を立ててた方がいいって言った僕が言うのもなんだけどさ、和泉、ちょっと考えすぎじゃない?」
「……だといいんだけど」
誰もが自分は大丈夫だ、無事に外に出られるんだと思っている。いや、そう言い聞かせているのかもしれない。このような異常事態において、精神を張り詰めたままにする方が、かえって心を蝕むことに繋がる。
和泉は退いた。
何もなければそれでいい。何かありそうなら自分が備えていればいい。皆疲れているのだ。今はそっとしておこう。
「ごめん、私心配性なところあるから……」
いつもより調子を落とした声に、真尋は焦った。
「別にイズミンを責めてるわけじゃないって! ただ、もうちょっと気楽にしててもいいんじゃないかなってことで。あ、ほら、ゲームする? ネトゲがダメだからフリーゲームしかできないけど」
バッグからいそいそとノートパソコンを取り出す真尋。普段使いしないのか、綺麗にしているだけなのか、パソコンは新品同様に傷も汚れもなかった。
充電切れてもモバイルバッテリーあるから安心して、とゲームをやり倒す気満々だ。実はこのとき、和泉はノートパソコンに使えるモバイルバッテリーを初めて見た。こういうものがあるのかと、内心感心してしまう。
「ありがと。でも、ゲームは上手くないからパスで」
そう照れながら断ったが、実際には治日がやりたそうにノーパソを見ていたからだ。インターネットから断絶されたこの施設では、娯楽は少ない。遊びに飢えるのは仕方のないことだった。
そして予想通り、すかさず治日は名乗りを上げる。
「やりたい。僕がやりたい」
「お、んじゃハルちんやってみよか」
「変なあだ名で呼ぶな。それで、どんなゲームがある?」
「大体ホラー。そして大体屋敷に閉じ込められる系」
「こんな状況なのに、よりによってそんなのばっかりなのか……」
「定番なんだからしょうがないじゃん!」
流石に屋敷に閉じ込められる系ホラーではないゲームを治日は選んだ。ホラーではあったが。
治日がプレイするのを他の三人が見守ることになった。治日がベッドに寝転がりノートパソコンを広げ、その両脇に座る和泉と愛歌と、治日に覆いかぶさるように乗っかった真尋がディスプレイを覗き込む。
「ねえ、窮屈なんだけどさあ!」
「みんな見たいんだからしょうがないじゃん」
「怖くないところが来たら教えてね。それまで目つぶってるから」
「いや愛歌、まだスタート画面だから……」
このまま何も起きなければいいのに。和泉は願った。
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