第11話 ひとり目の卒業者

 四日目、木曜日。


 少女たちの意識が決定的に変わった日。


 この日もこれまでと変わらない授業であった。いじめに関するビデオを見て、感想文を書く課題を出される。たったそれだけの内容。


 だが授業前に衝撃的な報告があった。誰もが掴みたがる希望が、不意に訪れたのだ。


「昨日までの授業を通して、赤松さんは無事、卒業していきました」


 庭瀬は誇らしげに言う。


 隣の席が空いていることから、彼女が赤松だということは分かった。昨日までの授業で流されたいじめドキュメンタリービデオ、その加害者側のモデルとなった少女。


 卒業した。額面通りに捉えればこの施設から出ていったという意味だが、当然そのような意味で捉える者はいない。卒業生代表の末路は、皆もよく知っている。少女たちは矢継ぎ早に質問を投げかけた。


「卒業って、まさか自殺したって意味じゃないですよね?」


 不信感が剥き出しにされているのにもかかわらず、庭瀬は笑顔を崩さずに答える。


「はい。杉方さんは卒業したあと自死という道を選びましたが、卒業と自死とは関係はありません。赤松さんは生きていますよ」


 周囲はにわかに明るくなるが、和泉はいまいち腑に落ちなかった。とはいえ、和泉は黙したままやり取りを見つめるだけで、それ以上は踏み込まない。


「あの、卒業できる条件って何なんですか?」

「それは所長からも説明がありました通り、健全な心を養えたかどうかにあります」


 それを聞いた少女たちは、希望を掴んだような、そんな顔をしていた。この施設の職員は異常であることは分かっているはずなのに、誠実な語り方のせいか、誠実なことを語っているように勘違いしているのかもしれない。


 所長が言っていた長くて一か月の教育期間とは、罪と向き合い更生したと判断されれば、その時点で卒業できるという意味だった。そのことは希望であるが、そう易々と鵜呑みにはできない。


 改心したとして、一体どうやってそれを判断するのか。


 しかし、そう考えているのは和泉だけのようだった。


「それだけでここから出られるんだ……」


 希望に満ちた呟きが、和泉の耳に小さく届く。


 たった『それだけ』が簡単にできるなら、こんな所にはいないような気がする。


 少女たちの胸の内では、これまでの「下手をすると自殺に追い込まれる」という警戒心が、「上手くやればすぐに卒業できる」という下心に塗り潰されていく。


 そんなことがあったからか、今日の授業は皆、要所要所で悲痛な顔をしていた。当然和泉もその流れに乗り、顔を暗くしてみせる。


 赤松は二回目の授業時には自分の犯したことを心から悔いているようだったが、それを表面だけ真似するのは、どれほど通用するのだろうか。


 我ながら浅はかだと和泉は思ったが、それが現時点での最適解だと判断した。庭瀬の答弁には未だ疑問は残るが、自分の口からは尋ねたくない。余計な詮索をしていると見なされたくなかったからだ。


 和泉は目の前の映像に集中する。


 授業内容は再び再現ドラマの視聴で、前回とは違う人物が主人公として描かれていた。


 とはいえ、やはりそれは再現ドラマでしかなく、誇張されたフィクションのように意外性のあるストーリーではない。今回もありきたりで、予想のできる内容だ。


 将来有望だが他人を見下すきらいのある少女が、いじめに遭い首を吊るという展開。


 いじめの主犯格は表立って行動せず、その少女を排除しようという漠然とした雰囲気をクラスに作るだけ。そのあとは攻撃対象に飢えているクラスメイトが勝手にやってくれる。そういうやり口だ。


「ひどい……」


 誰かがそう言った。上辺だけで言っているのなら、その言葉はそのまま自分に返ってくるというのに。


 皆が皆、判を押したように胸を痛めている態度を取っている。白々しいが、彼女たちも生きようと必死なんだと思う。それでも最後に映された自殺体の写真には、本心から顔を歪めているようであったが。


 職員の様子や授業内容がどうであれ、生きたまま卒業した者が現れたという事実は希望に映るだろう。このことが広まれば、明日からどの授業でも出席率が跳ね上がりそうだ。


 映像が終わり、部屋が明るくなる。


 感想文用の用紙を渡され、授業が終わると、庭瀬は最後にこう告げた。


「卒業認定を待たずに自死を選びたい方は、遠慮なく相談してください。エントランスに案内したあと、まで見届けますので」


 変わらず笑顔で話す庭瀬に、少女たちが顔に張り付けた心痛は本物になった。

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