第10話 かなおと一緒にお風呂(微百合)

 三日目、水曜日。


 結局、二日目は何の収穫も得られなかった。そして三日目もそのまま終わろうとしている。


「はあ……」


 和泉はひとり、ため息をついた。淹れてもらったばかりのコーヒーはすでに冷め、生温さが舌に纏わりついて気持ちが悪い。安っぽいとはいえ、コーヒーの香りだけは変わらず癒してくれる。


 これからどうすればいいのか、和泉は食堂でぼんやりと考えていた。


 職員はそこまで巡回していないとはいえ、あまりうろうろしていると別部屋の少女たちに露見する可能性がある。協力することもできるが、集団は大きくなるほど制御が効かなくなる。密告者が現れるかもしれないし、出し抜こうとする者が出てきて計画が破綻するかもしれない。


 まずはエントランスに続くドアを見に行ったが、相変わらず施錠されていた。指紋認証式の電子ロックなら完全にお手上げだが、古いタイプのドア錠だからといって何かが解決するわけでもない。


 鍵を入手するか、ピッキングするか。この二択とはいえ、ピッキングの知識や技術を持っている仲間はいない。実質一択だった。


 鍵は職員が持っている。エントランスの鍵を貸してくれと言うのも、ポケットに入っている鍵をこっそり奪うというのも危険性が高い。鍵置き場が分かれば、とも思ったが、そんなところまで監視カメラがないというのは都合が良すぎる考えだ。


「脱走する方向に考えすぎかな……」


 余計なことを考えずに、優等生のふりをしていた方がいいのかもしれない。


「いやでも、何されるか分からないしなあ……」


 事実として、自殺に追い込まれる、いじめ被害者の死体を見せるといった倫理観の欠如した所業がある。


 今日の授業は昨日の続きで、今度は被害者の遺族と加害者の身内へのインタビューだった。何人も授業を欠席している中、当事者である隣の席の少女は真面目に出席していた。本気で反省しようとしているのか、あるいは何かしらの危機を察知したのか。どちらにしろ懸命な判断だと思う。


 今度はそばで嗚咽の音を聞きながら、自殺した両親の写真を見た。周囲からの度を越した誹謗中傷と、子供の教育に不手際があったことに対する自責の念によって死を選んだらしい。読み上げられた遺書には被害者とその身内、そして娘に対する謝罪が書き連ねてあった。


 和泉はスマホで時間を確認すると、すでに自分の部屋の入浴時間は過ぎていた。急いで冷え切ったコーヒーを飲み干す。


「中途半端な時間に行くのもなんだし、小浴場に行くか」


 小浴場は通常の浴場と違い、生理が来ている女子のための浴場だ。こちらは様々な配慮から部屋ごとの入浴時間は設けられておらず、自由に出入りしていい。生理が来ているわけではないが、許してくれるだろう。


 和泉が着替えやタオルを取りに戻ると、薄情にも和泉を置いて入浴してきた三人が楽しそうに談笑していた。


「お、イズミン、やっとお風呂入るの?」

「……なんで誰も呼びに来なかったの?」


 のけ者にされたことが信頼の薄さを物語っているようで、少し険のある口調になってしまった。


「だって考え込んでたし、邪魔しちゃ悪いかなって」

「ああ、まあ、そっか……、ありがと」


 不用意なことを言ってしまった。むしろこの発言で壁が出来てしまうかもしれない。信頼関係は大事にしないと。


「じゃ、お風呂行ってくるね」

「いってらー」


 軽率さを内申反省しながら、和泉は踵を返した。真尋たちは別段気にしている感じはなかったが、次もそうだとは限らない。


 ため息とともに小浴場の入口をくぐると、先客の姿が見えた。


「あれ、かなお?」


 先客――かなおは和泉に気づくと、反射的に脱ぎかけの服を着直した。


 束の間の硬直のあと、ようやく声を掛けてきたのが和泉と理解したようで、ぎこちないながらも笑顔になる。


「い、和泉さん……。あ、わたし後で入りますから、和泉さん先にどうぞ」


 何か触れられたくないことがあるのか、かなおはそそくさと脱衣場から逃げようとする。


 だが荷物を抱えようとしたとき、かなおは小さく苦痛の声を上げた。


 様子がおかしい。


「待って、かなお」


 かなおの動きがぴたりと止まる。その顔には緊張の色が滲んでいた。


「もしかして、茨戸に殴られた?」


 動きの違和感から考えると、殴られたのは腕か肩だ。


「そんなことないです。本当に何でもないですから……」

「私、そんなに信用ない?」


 再び逃げ出そうとしたかなおを、和泉は再び止めた。


「そういう訳じゃ! ただ、和泉さんに心配かけたくなくて……」


 俯いたまま、消え入るような声で言う。


「やっぱり殴られたんだね?」

「…………」


 その無言は、紛れもなく肯定を意味していた。


「じゃあ、一緒にお風呂入ろっか」

「なんでそうなるんですか!」

「昔から『裸の付き合い』って言うでしょ?」

「そ、それは、そうですけど……」

「早く入らないと入浴時間終わっちゃうよ?」

「いや、でも、他にも傷跡が……」

「ほら、かなおも脱いだ脱いだ」


 和泉はぽんぽんと服を脱いでいくと、かなおに堂々と裸体を見せつけた。羞恥に顔を赤らめながら目を逸らすかなおを、和泉はにんまりと見つめる。


「分かりましたよ! でも、引かないでくださいね?」

「そんなこと気にするならお風呂誘わないって」


 観念したかなおも、渋々といった様子で脱いでいく。


 シャツを脱ぐと、右の二の腕のあたりに痣が出来ているのが露わになる。これが茨戸が殴った跡なのだろう。こんな細腕がよく折れなかったものだ。


 そして左腕に巻き付けた包帯をするすると解いていくと、こちらには無数の切り傷の痕が。かさぶたは無く赤みもないことから、リストカットは最近のものではないと分かる。


 ブラジャーを脱ぎ薄い胸を晒すと、うっすらとあばら骨が浮いているのがよく見えた。


 一糸纏わぬ痩身矮躯を見ると、あらためて本当に高校一年生なのか疑わしくなってきた。そんな子の脱衣姿を眺めていると、なぜだかいたいけな少女を辱めているような錯覚を覚える。年齢はひとつ下なのに。


「あの、目がいやらしいですよ……」

「ごめんごめん、かなおが可愛いからつい見入っちゃった」

「もう、からかわないでください!」


 最後まで脱ぎ終えたかなおは、ムッとした表情でずんずんと浴場へと入っていった。髪を結い上げた和泉も後を追う。


 小浴場とはいえ、二人しかいない浴槽は広い。その広い浴槽に、二人は肩を並べて浸かった。


「医務室には行った?」

「いえ……、行けないんです。バレたらまた殴られるので……」

「暴力沙汰が公になれば困るのはあっちでしょ。いかにも脳筋な蛮族のやり口だね」

「でも、もうちょっと我慢してみます。きっと茨戸さんも、何か抱えてるんだと思うんです」

「嫌な奴相手に、そんなこと気にする必要ないのに。案外相談してみたら、すぐにエントランスに追い込んでくれるかもよ?」


 エントランス、つまりは首吊り縄がある場所。和泉は冗談めかして言ったものの、そうなる可能性は十分にある。


 かなおは困り顔で笑う。


「酷いことですけど、そうなってくれたらなあって、実はちょっと思ってます」

「酷いことされたんだから、それくらい願ってもバチ当たらないって」


 和泉は自分の手を、かなおの手にそっと添えた。かなおは驚いたのか、手がびくりと跳ねる。


「やっぱり和泉さんって、の人なんですか?」


 そう言いつつも、かなおは手を振り払おうとはしない。


「言ったでしょ。かなおが可愛いからだって」

「本気にしますよ?」

「遊びだって言ったら、どうする?」

「怒ります」

「じゃあ、これは?」


 不意に唇を重ねた。かなおの少し荒れた唇が熱く感じる。


 まるで恋人がするキスのように、優しく唇を押し付ける。息遣いや体温、鼓動までもが互いに伝わっていく。かなおはされるがまま、和泉を受け入れた。


 何秒そうしていたのか。どちらからともなく唇を離すと、かなおは蕩けたような顔で和泉を見つめる。何かを求めているような吐息には、艶めかしささえ感じられた。


 だが和泉はかなおの態度などお構いなく、けろりと笑顔になる。


「さ、もうこんな時間だし、さっさと上がろっか」

「もう! やっぱりからかってるんじゃないですか!」


 かなおは和泉にパシャリとお湯を掛けた。


「そうそう、もっとビタミン摂った方がいいよ、唇」


 そっと、かなおの唇を指でなぞる。


 すると、がぶりと噛みつかれた。


「いてっ! あー、歯型が……」

「お返しです」


 ちょっと血が出た。

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