第9話 愛の定義

 お嬢様の能天気さには調子が狂ってしまう。部屋の雰囲気が暗くなりすぎないのは助かっているが。


 明るくなった雰囲気に便乗して、真尋は出会ってからずっと気になっていた疑問をついに口にした。


「気になりすぎるからこの際聞くけど、お腹の子供が誰との子なのか分からないってどういうこと?」

「えっとね、パパ候補が六人いるの。赤ちゃんができた頃に付き合ってた彼氏が六人ってことね」

「うん、貞操観念が違い過ぎてクラクラしてきたぞー?」


 思った以上に面食らう内容だったようで、真尋は顔を赤らめながら枕を抱え込む。和泉のベッドに座っているので、当然和泉の枕である。


「ホント、どうかしてるよ」


 一方で治日は、露骨に嫌悪感を放っている。座ったまま身を離し、ため息をついた。


 愛歌はそんな感情など気にも留めない。それだけ安穏な環境で育ったのか、あるいは生来より楽観的なのか、嫌悪感や悪意に鈍いようだ。


「ママから『愛は有限じゃない』って教えてもらったの」

「有限じゃない、ねえ……」

「うん、そうなの。だからママはパパじゃない人とも愛し合えてるんだって。愛歌はママの考えが素敵だなあって思ったから、私もいっぱい好きな人作ってるの」


 それってただの不倫なんじゃ……、と真尋は和泉にだけ聞こえるほどの小さな声で呟く。和泉が肘で小突くと、真尋は余計なことを言わないために手で口を覆った。


 愛歌の倫理観が世間と決定的にズレているのは確かだ。だが愛歌の母親が本気でそう言っているのか、不倫を誤魔化しているのかは定かではない。安易にそこに踏み込むのは母親の否定に繋がるかもしれず、結果として愛歌との溝を生むことになる可能性がある。この部分は詮索しない方がいい。


「でも彼氏の彼女さんはそうは思わなかったみたいで、喧嘩しちゃって残ってるパパ候補は三人になってるの」

「残ってる……っていうのは?」


 喧嘩しようがしまいが、父親候補は父親候補だろう。愛歌は会話内容もふわふわしている。そう思ったが、事実は愛歌の言う通りであった。


「うん。あのね、殺されちゃったの、彼女さんに。今までもそういうことがあって、愛歌も殺されそうになったことあるの。怖かったなあ……」


 当時のことを思い出したのか、愛歌は自分の身を抱いた。


 真尋は抱える枕をぎゅっと握る。和泉も、彼女が抱える問題の闇深さは想定外だった。


 愛歌がこの施設にいる理由が分かった気がした。ただ単に本人の倫理観がズレているだけではない。その結果として人間関係を破壊し、死者を出しているのだ。親の教育に過ちがあり、本人が幸せなまま周囲を不幸にしている。


 加えて、死生観も普通とは言えない。


「彼氏が殺されたって割には、なんというか……元気だね」


 尋ねる真尋は必死に明るく振る舞おうとしているが、笑顔が引きつっている。


「これもママの言葉なんだけどね、『愛し続ければ心の中で生きてる』んだって。だから愛歌が忘れない限り、皆と繋がっていられるの」

「へ、へえ……。愛歌のママ、良いこと言うねえ……」

「自慢のママだよ」


 また母親の言葉だ。どこまで本気で言っているのか、どこまでも嘘で塗り固められているのか。


 愛歌の恋愛観は理解はできるが、納得はできない。愛や恋といったものとは無縁だった和泉にとっては、なおさらのことだった。


 愛歌はどちらかというと、白服たちと同じ側だ。どこまでも真っ直ぐで、そして根本からズレている。


「だから愛についてもっと教えてくれるここは、愛歌にとっては居心地がいいの」


 愛歌は授業で恋愛映画を見たと言っていた。授業内容は自分と――おそらく真尋や治日とも――毛色が違い、精神的に追い詰めるようなものではない。それを鑑みるに、愛歌は自殺に追い込まれないのではないだろうか。


 なんにせよ、今はまだ結論を急ぐときではない。逃げるにしろ、真面目ぶるにしろ、情報が足りていなさすぎる。


「愛歌のとこみたいに平和な授業もあるんだし、もしかすると自殺に追い込まれるほどだったのって卒業生代表だけかもしれないね。だからって脱走計画を忘れろってわけじゃないよ。まずは白服たちに真面目に従いつつ、脱走計画を練ろう。真尋も治日も、それでいい?」

「はーい」

「うん」

「あと分かってると思うけど、脱走しようと計画してることは誰にも言っちゃダメだからね。バレたら何されるか分からないし」


 二人は重々しく頷いた。


 やや強引に話をまとめた後、脱走計画の下準備の話を切り出す。


「とりあえず、外に繋がってそうな場所をさりげなく探ってみようか。ドアの鍵をどうにかしてエントランスに行けたら、それが一番いいんだけど。怪しまれないことが最優先だから、無理はしないで」


 簡易地図には載っていない職員用区画も気になるが、正面玄関から外に出られるのが一番だ。廊下には、部屋同様カメラが設置されている様子はない。職員さえいなければ、様子見くらいは安全にできるだろう。


「そういえばここって、結構アナログだよね。ドア、電子ロックじゃないし」

「白くて綺麗だから新しい感じがするけど、実際は古い建物なのかもね」

「掃除大変そ」


 ここが古い建物だとすると、長期間同じようなことをやっていると考えてもいい。それでもここを元ネタにした都市伝説が一瞬しか流行らなかったということは、それだけ外に無事に出られている人が少ないとも言える。


 真尋たちに言った言葉も所詮は気休めに過ぎないことを、和泉は理解していた。ここに来てから気休めばかりだ。


 安寧を手に入れるためにも、やるべきことをやらねばならない。


「とりあえず、課題を終わらせてから探索しよっか」


 とにかく今やるべきは、真面目な姿勢を見せることだ。


「面倒くさいなあ、感想文」

「あたしなんて学校行ってなかったからシャーペン握るの一年以上振りだよ」

「愛歌は赤ちゃんが出来てから学校に行かせて貰えなかったけど、お家でちゃんと勉強してたよ」

「もー、愛歌の話コメントに困るー」

「えー、そう?」


 ぐだぐだと駄弁りながら四人は机に向かい、用紙に授業の感想を書き込んでいく。


 そんな中、治日が物憂げに独り言ちた。


「愛、ねえ……」

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