第8話 地獄への道は善意で舗装されている
初めての授業の後、和泉ら四人は昼食を囲んでいた。
真っ白に照らされているというのに、食堂の雰囲気はどんよりと暗い。食事の手が何度も止まる者もいれば、そもそも飲み物しか頼んでいない者もいる。目の前の真尋と治日も、食が進んでいない。愛歌は相変わらず上品に、そして元気にパスタを食べている。
「ねえ、この後話があるんだけど」
「ああ、うん、言いたいこと分かるよ……」
和泉が切り出すと、先刻承知とばかりに真尋は答えた。
二人は食事を残すらしいので、和泉はハンバーグ定食を急いで口に入れる。ハンバーグ定食は真尋が絶賛していただけあって、これからも食べたいと思えるほどに美味しかった。
自室に戻ると、四人はベッドに腰掛ける。
「授業、どうだった?」
和泉はあえてぼかして問いかけた。自分のクラスだけが異常だったという可能性があり、そうならば自分自身がそれ相応の人物だという評価を付けられかねないからだ。
「なーんか、説教臭かった」
「こっちもだよ」
真尋に治日が同調する。二人ともうんざりしているといった様子で、吐き捨てるように言った。どういう授業だったか言わないあたり、二人とも質問への対応を手探りしているようだ。
だが説教臭いことに反発心を抱いていることから、少なくとも内容に思うところがあったのだろう。
「えー? 楽しかったよ? 愛歌のところは恋愛映画見たよ」
とは愛歌の答えだが、正直愛歌の感性をどう評価していいか未だに分からない。愛歌が見たのは本当に恋愛映画だったのかも分からない。だが今はそれはどうでもいい。
「お嬢様はお気楽でいいねえ」
「えへへ」
真尋の皮肉を褒め言葉と思い、愛歌は照れた。その笑顔に毒気を抜かれた真尋は、腑抜けた声を上げながらベッドにもぐりこむ。
「あー、イズミンの匂いがするー」
「出てけ」
和泉は布団の上から叩き、真尋を自分のベッドから追い出した。
「私のとこの授業は、退屈だったな」
「どんなのだった?」
「いじめのドキュメンタリーみたいな、道徳の授業で流してそうなやつ見せられた。ありきたりすぎて先の展開が丸わかりだったけどね」
「いじめの、ね……」
最後の自殺者の写真については語らない。もちろん、元ネタがいたということも。
和泉の言葉から何を察したのかは定かではないが、二人は押し黙った。愛歌ですら空気の重さを感じ、表情に陰りができる。
しばらくの間の後、沈黙に耐えかねたのか、真尋が様子を窺いながらおそるおそる口を開く。
「あのさ、ちょっと思い出したんだけど。ネットで一瞬だけ盛り上がった都市伝説でさ、ヤバい施設があるって話……」
三人が聞き入る中、真尋は話を続ける。
「元の書き込みは消されてるらしくて、尾ヒレが付きまくった話しか残ってなかったんだけどさ、そのヤバい施設で非人道的なことやってるんだって。『頭にチップを埋め込んで恐怖を感じない兵士を作る』とか『新興宗教が邪神に生贄を捧げてる』とかめちゃくちゃな設定も多い中でさ、地味なやつもあるわけよ」
無人兵器の開発に躍起になっている昨今、女子供を便利な兵士に仕立て上げてどうするのだろうか。稚拙な陰謀論の域を出ない説だ。
そして邪神の生贄説はどうでもいい。
「それが『どこにあるのかは分からない』とか『何もかもが白くて精神がすり減っていく』とか『教育と称してストレス耐性テストをやってる』ってやつ。なんか、ここのことっぽくない?」
どこにあるのか分からない、何もかもが白い施設というだけでなく、感じ方によれば『心の養育プログラム』はストレス耐性テストのようにも感じられること。確かにここのことを言っていても不思議ではない。
「その他のそれっぽい設定も、悪意マックスで嫌がらせしてくる感じのやつだったんだよね。ここもさ、わざと自殺できるようにしてたり授業の感じだったり、悪意に満ちてない?」
だが和泉は、「悪意」という言葉に引っ掛かった。
「私は、悪意なんて感じないけどな」
「え、どこが?」
心底理解できないという顔で、真尋が顔を覗き込んでくる。
「杉方って人が自殺したときの喜び方もそうだし、授業のときも本当に私たちのこと考えてるような感じだった。私にはあれが、演技のようには見えないな」
自殺騒動での職員たちの反応は、それこそ
授業でも、加害者のモデルであろう少女が嘔吐したとき、授業を担当していた
「あれが演技じゃなかったとしてさ、なんで自殺できるように準備してんの?」
「それは心が健全になった末の道として想定してて、許容してるっていうことで、それ以上でもそれ以下でもないんじゃないかな。ここは場所だけがおかしいんじゃなくって、職員もおかしい。その『おかしい』の方向が、私たちの想定外なだけなんだと思う」
「想定外なおかしさ……」
異常であることは理解しているが、それでも分かりやすい「異常さ」だと理解しようとするのは無理もない。正義を掲げて悪人を過剰に攻撃するという自慰行為は世に溢れている。
再び静寂。
そこで今まで考え込んでいたように黙っていた治日が、その重い口を開いた。
「ねえ、『地獄への道は善意で舗装されている』って言葉知ってる?」
「なにそれ、ことわざ?」
「ドイツのことわざ。解釈はひとつじゃないんだけど、善意の行いが発端で悲劇がもたらされるって解釈もあるんだよ。イカれた善意で自殺に追いつめられた展開がそのまんまだと思ってね」
自嘲するように笑う治日を見て、真尋は途端に明るく振る舞い始める。
「ちょ、ちょっと待って。それだとあたしたち皆、殺されるみたいじゃん。変なこと言わないでよー」
血の気の引いた顔を見れば、明るい言動とは裏腹に、内心では恐れているということが手に取るように分かる。
「じゃあ杉方って人、卒業生代表だって紹介されてたけど、他の卒業生は? とっくの昔に皆自殺してたんじゃない?」
「だからそういうのやめてってば!」
絶望感と焦燥感がぶつかり合う。
「二人とも落ち着いて!」
和泉が強く諫めると、時が止まったかのようにぴたりと静まった。
「真尋が言った書き込みがここのことだとしたら、少なくとも一人は無事に外に出られてるってことでしょ。ここネットとか使えないんだし、外に出るしかないよね」
「そっか、そうだよ! あー、それで思い出したけど、ネット使えないの辛い! ネット依存症にとっちゃ、それだけで十分拷問だよ……」
安心した途端、本筋とは別のところで苦しみ始める真尋。愛歌のことをお気楽と言えた義理ではないと思う。
「それに、縄があるエントランスに繋がるドアは鍵閉められてたし、自殺するにしても方法が相当限られるよ」
「ふんっ……、そんなこと分かってるよ」
叱られた子供のように、治日は不機嫌そうにぷいっとそっぽを向いた。
「治日ちゃん、怖いんだね、よしよし」
「くっつくな」
寄りかかって頭を撫でてくる愛歌を、治日は引き剥がす。
「でも、直接見てないっていっても自殺者が出たのはほぼ確定してるんだから、逃げ出す算段を立ててた方がいいと僕は思うけどね」
「それにはあたしも賛成ー」
「愛歌はあんまり逃げなきゃって思わないけどなあ。でも、皆が逃げたいなら手伝うよ」
「このお嬢様、お気楽過ぎる」
脱走した方がいいかもしれないという考えは、当然和泉も持っていた。その考えが自分の口から出る前に上がることは嬉しいが、ことはそんなに容易ではない。
「逃げるって、どうやって? 窓は無いし、エントランスへは鍵が閉められてて行けないし」
「それは……今から考える」
現状ここは、ほとんど閉鎖空間といっていい。具体的な脱走計画は、和泉ですら持っていなかった。
「あ、そうだ」
だが治日は、ものの数秒で妙案を思いついたようだ。
「男に股でも開いて、鍵開けてもらえばいいんじゃない?」
口から出てきた計画はお粗末で品の無いものだったが。というより、本気で言っていない。そもそも体を使えば逃がしてくれるような場所ではない気がする。
「絶対嫌だよ、そんな役! 流石に初めてはこんなとこでしたくないし!」
「僕だって絶対嫌だよ。処女だし」
二人の視線がこちらに向く。冗談半分とは思うが、すがる気持ちは本物に見える。
そんなものを期待されるような印象を与えているのか……。
「いや、私も処女なんだけど」
「愛歌もー」
「「「それは嘘でしょ!」」」
三人の声が綺麗に揃った。
「えへへ」
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