第7話 まるで道徳の授業のような
施設に到着した時間が遅かったこともあり、今日だけは夕食の時間がずれている。
全員同じものが出されるのかと思いきや、いくつかのメニューから選ぶタイプのものだった。和食や洋食が並ぶ中、焼き魚定食を選ぶと、ハンバーグ定食を頼んだ真尋から「老けてるねー」と言われた。とんでもない偏見だ。偏見を根拠に人を評価するのは間違っている。
専門の飲食店で食べるものよりは劣るが、味はそれなりに美味しかった。食事だけを見るのなら、ここに住んでもいいと思えるほど。
ちなみに、料理まで真っ白なのでは……とも思ったが、流石にそんなことはなかった。ただ、皿から箸やフォークなどに至るまで食器類がすべて白いのにはうんざりしたが。
食事時間が押しているということもあり、食後はすぐに入浴だった。初日なので仕方ないとはいえ、思いのほか忙しい。
入浴時間は部屋ごとにずれており、脱衣所が多少ごちゃついただけで浴場で混雑することはなかった。混雑はなかったのだが、脱衣所に妊婦が入ってきたときにざわついたのは無理もない。愛歌が向けられる視線など気にしないのは、能天気さゆえか、見られるのに慣れているからか。
夕食を食べ、風呂も入り、あとは消灯時間を待つだけ。部屋で三人と会話していると、不思議と合宿や修学旅行を思い出す。
杉方の自殺を除けば、この施設のことを『少し変わった施設』くらいに感じられるようになってきた。思ったより普通だっただけで、それで安心するというわけではない。異常な要素が大きすぎるからだ。
なんの変哲もない夜が過ぎていく。
就寝前に喉を潤そうと部屋を出ると、ちょうどかなおも部屋から出てきたところだった。和泉の顔を見るなり、子犬のようにぱたぱたと寄ってくる。
「今、大丈夫?」
和泉が誘うと、かなおは快く申し出を受け入れた。
食堂は決まった時間にしか食事を出さないが、飲み物は就寝時間外であっても提供してくれる。コーヒーやお茶など選択肢は少ないが、いつでも温かい飲み物が飲めるのはありがたい。
二人は温かいほうじ茶をすすりながら隣り合う。ゆっくりと深く息をすると、ほんのひと時だけ、お茶の香ばしい香りが信じがたい現実を忘れさせてくれた。
「そっちの部屋はどう? うちは変な奴ばっかりだった」
「えっと……」
軽く世間話でもしようと思っていたが、かなおの顔は暗くなる。しまった。もう少し探ってから話題を選べばよかった。
「茨戸さんと同じ部屋になりました……」
周りに人がいないことを確認して、かなおは小さく話し始めた。
「ああ、あのチンピラね」
かなおに合わせて、声を小さくする。
「流石にもう暴れないんじゃない? 下手すると何されるか分からない場所なんだしさ」
和泉は平然と嘘をついた。
この施設と職員たちが異常であることは、茨戸でも痛いほど分かったはず。だが、計画的な暴力は抑えられる可能性があるにしろ、短絡的な暴力についてはその限りではない。茨戸が激情に駆られるタイプの人間であるのは、講堂での騒動を見ていれば分かる。突発的に手を上げることは、容易に予想できることだった。
これは単なる気休めだ。
「そう……ですかね?」
「そうそう。大丈夫だって」
「でも……もし狙われるとしたら、わたしみたいな弱そうな子ですよね」
「考えすぎ。もし何かあったら、医務室に相談員がいるらしいからすぐ相談してね。私にでもいいよ」
「ありがとうございます。和泉さんって、本当優しいですね」
「そうでもないって」
冗談めかして笑ってみせると、消灯時間を告げるアナウンスが聞こえてきた。
「あら、まだあんまり話してないのに」
まだ話し始めて数分も経っていない。
視界の隅には、調理場の整理をしている職員の姿が見えた。早くカップを返却しなければならない。
「あ、あの……明日もこうやってお話しませんか?」
かなおはまるで壊れ物でも触るように、おずおずと提案してきた。もう少し堂々とすればいいのにと思うが、頼られている感じは悪くはない。
「いいよ。今度はもうちょっと余裕をもって来ようか」
「はい!」
笑顔のまま、かなおと別れる。
その笑顔に、和泉は何故か妙な違和感を覚えた。
どうもかなおは言っていることと感情がかみ合っていない気がする。先ほど、茨戸に狙われるなら自分だと言ったときも、口ほどには恐れていない様子だった。
ほんの微かな違和感だったが、気に留めておこう。
* * *
二日目、火曜日。
朝、和泉は起床時間を告げる音楽で目を覚ました。
部屋に時計がないのでスマホで時間を確認すると、今は七時らしい。朝日を浴びたいところだったが、あいにくと窓がない。代わりに高光度の照明が、太陽の代替物として天井や壁にへばりついている。
身支度を済ませ、任意参加のラジオ体操に参加した。体操は軽運動室という、講堂と同じくらいの広さの部屋で行われる。任意参加なだけあって、参加者は数人だけだった。
「ラジオ体操とか、ますます老けてるねー」
「朝の軽い運動は健康に良いの。それに、そういうのに参加して白服たちに良い印象持たれてた方がいいでしょ」
「うわー、打算的ー」
とは、朝食時の会話。言うまでもなく、「白服」とはここの職員たちのことだ。誰が言い出したのかは知らない。
そしていよいよ最初の授業が始まる。
真尋たちと別れ、指定された部屋に入る。その部屋は視聴覚室のようで、並べられた長机のほかに、スクリーンとプロジェクターがあるだけだった。
部屋には男性職員が待っており、胸のネームプレートには「
「席は特に決まってないので、空いてる席に座ってください」
とのことなので、和泉たちは適当に席を埋めていく。ぱっと見渡してみると、自分も含めて八人の少女がここに呼ばれているようだ。
「これから皆さんにはビデオを見てもらって、感想文を書いてもらいます」
そう言うと、庭瀬はプロジェクターを操作し、部屋の照明を落とした。
まるで道徳の授業のようだ。と思ったら、本当に道徳の授業に使われるようなドラマが流れ始める。
自殺者が出るような施設での映像鑑賞。どんな映像を見せられても不思議ではない。そう思い身構えていると、ある一人の少女の生い立ちから始まり、学校での生活を中心に描いた学園ドラマだった。
主人公である千佳(仮名)は一般的な家庭で生まれ、愛情深く育てられた。趣味と特技はピアノ演奏で、将来の夢がピアニストなだけあって、その腕前はかなりのものらしい。そのおかげか、小学校の音楽の時間では人気者だった。
主人公の名前が仮名であることから、ただのドラマではなく、再現ドラマのようだ。物語に派手さはなく、リアリティがあることからも、実際にいた人物をモデルにしていると考えられる。
そして、千佳が高校に入学するまでの展開はさらっと終わり、高校入学のシーンから少し暗い雰囲気を演出しはじめた。
道徳の授業でのビデオといえば、主人公が差別や偏見と出会ったり、いじめ問題に関わるのが定番だが、どうやら後者のようだ。
千佳は高校に入学して早々、いじめの標的になった。役者の容姿はどこにでもいそうな少女だったが、彼女の顔は「モグラ」というあだ名を付けられるような造形をしているらしかった。少なくとも、誉め言葉ではない。
すぐ隣から、足を揺する音が聞こえる。和泉は、彼女が「モグラ」と呼ばれ始めたころから、隣に座る少女が落ち着きをなくしていることに気づいていた。眉間に寄せられたシワには、どんな感情が刻まれているのか。苛立ちか、あるいは怒りか。
少女に対するいじめは徐々にエスカレートしていく。悪口に始まり、ついには肉体的な攻撃へ。
場面が体育館へと変わった。体育の授業でバレーボールをしているが、だらだらと試合をしている者が多い。
そこで事故――というにはあまりにもわざとらしい――が起きた。
試合の序盤から狙われたようにスパイクを打ち込まれていた千佳であったが、ついにボールを受け止めきれずに転倒してしまう。そこにひとりの女子生徒が、こぼれ球を拾う振りをして、倒れていた彼女の手を踏みにじったのだ。
体育館に悲鳴が響き渡る。
駆け寄ってきた体育教師に、千佳の手を踏んだ女子はディフェンスに必死だった、これは事故だと説明した。周囲の生徒もそれに同調し、痛ましい事故という形で片づけられた。
だが悲劇はそこからが本番だった。
踏みつけられた右手に後遺症が残り、ピアノを弾くことが困難になったのだ。千佳は夢を断たれた。
それから少女は不登校になり、ついに――。
「こんなもの見せてどうしたいの!」
隣の少女が立ち上がり、吠えた。教室中の視線が一か所に集まる。
ああ、こいつが犯人か。周囲の目からは、そんな声が読み取れるようだった。いじめの犯人が分かったとして、その目には義憤の色は欠片もない。ただただ冷ややかな感情が張り付いている。
「いや、これ本当に事故かもしれないし、いじめと繋がってるように見せるのは違うんじゃないかなあって」
声をすぼめながら、少女は力なく座った。
今更のように取り繕い、自分が無関係であることを装う。だがこの場にいる誰もが、その思惑を見抜いているように見えた。
スクリーンには、自宅のあるマンションのベランダに足をかけている少女が映し出されている。
少女がベランダを超える様子を、隣の少女は青ざめながら見ている。だが、映像はそこで終わった。所詮は再現ドラマなので、本当に飛び降りるわけもない。
少女が安堵の表情を浮かべたのも束の間、次の瞬間、一枚の写真が映し出された。
苦し気に嘔吐する声をそばで聞きながら、和泉はスクリーンを眺める。
そこには、自殺した少女の写真が映されていた。「モグラ」と形容されていた顔は、損傷と流血でよく分からなかったが。
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