第6話 どういう集まりなんだろね?

「名前はまだ考え中なの。いくつか候補はあるんだけどね」


 愛歌は幸せそうな笑顔を浮かべて、お腹を撫でる。その姿は微笑ましくも見えるが、未成年の妊娠ということに少なからずいらぬ憶測をしてしまう。


 ともかく、この部屋五人目の住人の名前はまだ決まっていないようだ。


「お嬢様っぽいし、やっぱり婚約者との子供だったりするの?」


 愛歌本人が明るく話しているせいか、真尋は追及しても大丈夫と判断したようで、さっそく質問を投げ掛ける。正直なところ、和泉も気になっていた。


「ううん、婚約者はいるんだけど、誰との赤ちゃんなのかは分からないの」

「おーっと、話変えよっかー?」


 さも当たり前のように愛歌は倫理的に危うい話をするので、不意打ちを食らった真尋は急いで話題を逸らそうとした。わざとらしいオーバーリアクションには、藪をつついてしまったことに対する焦りが滲み出ている。


 しかしながら本人は一般的な倫理観から外れているという自覚がないのか、真尋の提案をやんわりと断り、おしゃべり好きを遺憾なく発揮しようとした。


「そういえば、愛歌の恋人たちのお話してなかったね。あのね、初めに付き合った人は――」

「ストップ、ストーップ!」


 真尋は大声を上げ、今度こそ強引に止めた。


「えー? 愛歌のお話、聞きたくなかった?」

「いや、なんというかさ、あたしたちにはちょっと早いかなーって。ね、治日?」

「僕に振らないでよ!」


 二人とも顔を赤くして、目をどこに向けていいのか分からない様子だった。


 愛歌がどういう家庭環境で過ごし、どういう教育を受けているのかは分からないが、本人が言った通りもうすぐ生まれそうだということだけは確かだ。ゆったりとしたワンピースタイプのマタニティウェアは、お腹のところでぱつんと張っている。


 生まれそうになればどうなるのか。健全な心を育てるのだとかいう妙な施設に、出産育児ができる設備があるとは思えない。出産時だけ施設の外に出られるのだろうか。そもそも入所期間が一か月しかないのに、臨月の少女を連れてくる理由も分からない。健全な心を育むという目的に緊急性があるのならまだしも。


 あれこれ考えつつも、施設について未だ分からないことだらけなので、深く考えても仕方がない。和泉は早々に思索を切り上げた。


「まあ何はともあれ、寝床は決まったね。イズミンと愛歌が一段目で、あたしと治日が二段目ってことで」

「イズミン……」

「二段目が良かったなあ……」

「ホント、ダメだって」


 いつの間にかあだ名が付いていたが、別段変な呼称でもなかったので訂正は求めない。親しみを覚えてくれたのは、純粋にありがたかった。


 自己紹介も終わり、自分の居場所も決まった。そうなれば、話の進路は最も気になることに自然と向かうわけで……。


「それにしても、ここって何なんだろね。『健全な心を育む』とか言ってたけどさ。起きたんだし、とてもじゃないけど信じられないんだけど」

「怖いよねえ……」


 真尋が神妙な面持ちで言う。


 「あんなこと」とは、当然ながら杉方の自殺のことだ。


 一連の出来事を思い出した愛歌は怯えたように身を縮めたが、能天気さを感じさせる声色のせいで、いまいち状況を飲み込めていないような気がしてならない。


「そもそもの話、あたしたちってどういう集まりなんだろね? 女ってことくらいしか共通点なさそうじゃない?」

「所長の話を真に受けるんだったら、私たちは不健全な心の持ち主ってことになるんだけど、皆は心当たりある?」


 和泉は何気なく疑問を口にしただけだったが、真尋と治日は居心地の悪そうな顔になった。一方で愛歌は、不思議そうに首を傾げていたが。


「心当たりかー……、あると言えばあるかな……?」

「……ノーコメントで」


 歯切れの悪い肯定と、にべもない返答の拒絶。どうやら二人には言いたくないような心当たりがあるらしい。


 愛歌は不健全といえば不健全なのかもしれないが、どちらかというと必要なのはまともな倫理観のような気がする。


 そして和泉自身は、心当たりがないと言えば嘘になるが、誰であれ持ちうる程度のものだった。


「私だって『自分は健全です』なんて胸を張って言える人間じゃないかもしれないけど、それでも人を自殺に追い込むような場所に押し込められるほどじゃない。誰だってよこしまな考えは持って――いや、愛歌は持ってないかもだけど、大抵は持ってるから、私達だけ選ばれるのはおかしいよ」


 褒められて嬉しかったのか、愛歌は何故か隣の治日に抱きついた。抱きつかれた治日は満更でもなさそうだったが、愛歌のお腹に気をつけながら、やんわりとその豊満な体を引き剥がす。


 人間である以上、一切の邪念を持たない方がおかしい。程度の問題だとすれば、なおさら他に選ばれるべき人物がいるはず。そちらについては、和泉は心当たりがあった。


「っていうかさ、杉方だっけ? あの子が、首吊ったのって嘘だったり……しないよね?」


 これまでの認識を覆すようなことを真尋が言い放ったが、その可能性はあるにしても低いだろうと和泉は思った。


 なけなしの希望にすがろうとする真尋には申し訳ないが、目を逸らしてはいけない。


「でも、あの臭い嗅いだでしょ?」


 あの臭いは明らかに糞尿のものだった。汚物が死体から垂れ流れたのではなく、誰かがあそこで漏らしたというのなら話は別だが。


「アレ込みで嘘ってことは……」

「僕も和泉と同じ考えだよ。大体、そんな手の込んだ嘘ついて何になるの?」

「それは……ビビらせて真面目に真面目ちゃんになるように仕向けるとか、ぜーんぶ悪趣味なドッキリでしたー、とか……?」

「違法建築物に女の子詰め込んで悪趣味なドッキリするだけとか、それこそ非現実的すぎるよ。場所も人も異常で、僕たちはドッキリじゃない何かしらの目的で集められたっていう方が自然だね」

「それはそうかもしれないけどさ……」


 空気が剣呑になってきた。


「ちょっと待って、今そんなこと考えても仕方なくない? ここが何なのか考えるにしても、分からないことが多すぎると思うんだけど」


 ここで精神をすり減らし、仲違いするのは合理的ではない。和泉は二人の応酬を断ち切り、落ち着くように促した。


「不安なのは分かるけどさ、一旦落ち着こう? もしかしたら、こういうことになるのが向こうの思う壺かもしれないし」


 思った通り二人は手の平で転がされるのが嫌なようで、見るからに面白くなさそうな顔で押し黙った。


「そういうの考えるのは明日からってことで」

「うん……分かったけど、ドッキリじゃないにしろ隠しカメラとかないか調べた方がいいんじゃない? 変な場所ってことは間違いないんだし」

「まあ、それは確かに」


 分からないことが多くとも、異常な場所であることには違いない。隠しカメラの類があるという可能性は確かにあり、そして実際に確かめられることだ。


 和泉たちはクローゼットの中、机の裏、ベッドのマットレスなどくまなく探してみた。……が、物が少ない部屋であったので、調査はものの数分で終わった。


「なーんにも無いね」


 結果、何も見つからなかった。


「喜ばしいことなんだろうけど、なおさらここが何なのか分からなくなった気がする」

「もしかして、相当変わってるけど、本当に健全な心を育てるってだけの場所だったりしない?」

「いや、変わりすぎでしょ……」


 謎が深まる。考えても無駄だということがかえってよからぬ憶測を生み、膨らんだ疑念によって部屋は暗い雰囲気に飲まれていく。


 そんな空気を、ぐうっというお腹の音が晴らした。


「お腹空いちゃった」


 愛歌がそう言ったとき、ちょうどよく食事時間の始まりを告げるアナウンスが施設内に響き渡る。


「とりあえず食堂行こっか」


 緊張の糸が切れきった和泉たちは、職員の案内に従って食堂へと向かった。

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