猫の理由 祖母の場合

@aaaaa-ryunosuke

短編3000字完結

 孝子の人生には常に猫がいた。覚えている限りで一番古い自分の写真は、四角い座布団の対角線にちょうど良い大きさで寝かされた赤ん坊の頃の自分と、その隣で守り猫のように鎮座する、当時、両親が飼っていた大きな茶トラが一緒に写っている白黒写真だ。


 


 たぶん、押し入れの奥のアルバムをひっくり返せば、きっと今でもそんな白黒写真が何枚か見つかるだろう。子ども時代、娘時代、お嫁に行ってからも、母となり、祖母となり、夫が居なくなり、一人暮らしになってからも、常に孝子の側には猫がいた。


 


 一匹、一匹、思い出せる。大人しいの、やんちゃなの、大きいの、小さいの、長生きだったの、早く死んでしまったの、フッといなくなってしまったの。


 


 どれも孝子の人生を彩り、孝子を支えて来てくれた大切な存在。人に絶望した時もあったし、自分自身に絶望した時もあったが、どんな時も、猫は寄り添い続けてくれた。


 


 でも、もう孝子は猫を飼えない。自分の年齢を考えると最後まで猫を飼い続けることができるかわからないからだ。今までは猫が先に逝ってしまったが、今度は自分が先に逝ってしまうかもしれない。そうなればその猫は行き場を失う。そう考えると今までのように猫を飼うことができない。悲しいが自分はそういう年齢なのだ。


 


 せっかく、トイレやご飯の心配をしなくてはならない相手がいなくなったのだからと、友達と温泉旅行などに繰り出してみたものの、旅自体は楽しくとも、帰ってくるとより寂しさが募った。


 


 孝子は、ペットショップを見て回るようになった。改めて、猫にはこんなにもたくさんの種類がいることをこの年になって知った。


 


 孝子はずっと猫はノラの子を拾って飼っていた。一度もお金を出して買ったことはない。


 


 ある日の病院の帰り道、急な雨に降られた孝子は商店街のアーケードに逃げ込んだ。そこで小さなペットショップを見つけた。そこは不思議なペットショップだった。


 


 そのお店の猫には値段がついていなかった。そして大抵のペットショップで売られているのはかわいい盛りの子猫たちだったが、そこにはすでに大きくなった大人の猫たちもいた。


 


 そして何よりその店が他のペットショップと違うのは、孝子には、なじみ深い、雑種の猫たちがいることだった。


 


 しばらく猫たちが遊ぶのを眺めていた孝子だったが、好奇心を抑え続けることができずに店に入って店員の女の子に尋ねた。


 


「この子たち、売っているの?」


 


ショーウィンドウを内側から磨いていた女の子は手を止めて答えた。


 


「いいえ、こちらの猫たちは引き取り手を探している保護猫です。気になる子はいましたか?」


 


「いぇ、私はもうおばあちゃんだから、猫は飼えないから・・・」孝子は慌てて否定した。


 


「そうですか、でも、ゆっくり見ていってくださいね」女の子はまたショーウィンドー磨きに戻る。


 


 孝子はその日から毎週、病院の帰りにはそのペットショップのウインドーを覗きに行った。


 


「あら、先週までいたキジトラがいないわ、どこかに貰われていったのかしら、いい所にもらわれていったんならいいけど」


 


「あら、また、新しいおチビちゃんが3匹も増えてるわ、みんな柄が違うけど大きさは同じぐらいだからきっと兄弟ね、とっても元気」


 


「おまえはいつまで経っても、行先がないみたいだねぇ、もう大きいもんね、困ったねぇ」


 


 保護猫たちは比較的子猫のうちは人気らしく、子猫は翌週にはいなくなっていることが多いが、大人猫はなかなか引き取り手が無いらしく、もはやそこの主になってしまっているような子もいた。


 


「猫でも人でも、年寄りは人気がないんだねぇ」


 


 孝子は柄にもなく愚痴ってみたりもした。


 


 そうだ、もうお年寄りの猫を飼うのはどうかしら?それならわたしの老い先短い人生でも間に合うかも知れないしなどと、一人、考えることもあった。


 


 孝子は通い続けるうちに、もう一つの傾向を見つけた。大人猫でもペットショップで売っているような猫であれば、引き取り手が見つかるようだった。


 


 アメリカンショートヘア、アビシニアン、ペルシャなど。孝子の猫の種類に関する知識は最近のペットショップ通いで身に着けたもので、決して詳しくはなかったが、昔から孝子が飼ってきたいわゆる野良猫、日本猫と比べれば人気が高いようだった。


 


 


 そんなある日、病院の帰り道、いつものようにペットショップを覗くと、毛の長い大きな猫が保護猫の中で異彩を放っていた。


 


 フサフサの毛にきな粉をまぶしたような、その猫は孝子の目をじっと見つめていた。


 


 すっかり孝子は魅了されてしまった。どうしよう。この猫が欲しい。でも、私は最後まで面倒を見れるかわからない。


 


 少し考えてみましょう。来週まで・・・いやダメ。わかってるこんな素敵な子はきっと来週にはいなくなっている。こういうペットショップで売っているような種類の子はすぐに貰い手が見つかる。


 


 孝子は自分の中にまだこんなに情熱的に何かを欲する気持ちがあることに驚いた。


 


「気に入った子がいましたか?」


 


 いつの間にか店員の女の子が近くに立っていた。


 


「あの、薄茶色のフサフサの子がとても気になるの」


 


 孝子は素直に答えた。


 


「触ってみますか?」


 


 孝子はうながされるまま、店の中に入った。


 


 彼女の毛はとても美しく繊細だった。触り心地もよく、とても野良猫だったとは思えなかった。


 


「この子は本当に野良猫だったの?」孝子は不思議に思って尋ねた。


 


「いいえ、これは一人暮らしのあるお婆さんがとても大切に飼っていました、ただ、そのお婆さんが、亡くなられたのでこちらで新しい飼い主さんを探しているんです」


 


 孝子は納得した。きっと前の飼い主はとてもこの猫を愛していたのだろう。毛艶といい、この人に対する信頼感といい、それがよくわかる。


 


「この子を飼ってあげてくれませんか?」女の子がそういった。孝子は一瞬、耳を疑った。


 


「でも、わたし、最後まで飼えるかどうか」


 


「こんな言い方失礼かも知れませんが、もしもの時はまたこちらで新しい飼い主を探します、こういう猫は人気なので、飼ってくれる人を見つけるのは比較的難しくはないんです、ですから、こういう人気の猫はお客様みたいな、猫を飼いきれるかわからないと心配している方に優先的にお譲りしているんです」


 


 そういわれると孝子はもうこの子が欲しくてたまらなくなっていた。


 


「若い雑種の猫となれば、20年後まで飼えそうな人ということになりますが、こういう人気のある種類であれば、お年を召された方でも、いいえむしろ、お年を召して最後まで飼えないかもと心配されている方に譲りたい。私はそう考えているんです」


 


女の子は続けた。「環境が変わるとかで猫に負担が掛かるというのもありますから、猫を第一に考えれば許されることではないのかもしれないけど、私は猫も幸せになってほしいけれど、猫を飼う人も幸せになってほしいと思っているんです」


 


 結局、私はその子を飼うことになった。名前はキナコにした。毛色がきな粉色だからた。私の猫飼い人生の最後にこんな立派な舶来猫を飼うことになるとは思わなかった。


 


 彼女を引き取る時に支払ったお金は、ご飯代と予防接種代と長毛種用のブラシ代だけで、2万円も掛からなかった。未練がましく捨てないでおいた猫用品が役に立つ時が来た。


 


 女の子の話では種類はサイベリアンで、年齢は2歳ということらしい。血統書ついていなかったが、ペットショップ巡りでサイベリアンの子猫が48万円の値段がついているのを見つけたことがある。


 


 私はエサと猫砂など、たいていの猫のための品物はそのペットショップで買って、届けてもらうことにした。なるほど、こうやって店の経営が成り立っているのだなと感心した。あとで訊いたら女の子は店長らしい。うちの孫と同じぐらいの年齢ではないだろうか。彼女一人で切り盛りしているとのことだから大したものだ。


 


 貰った名刺を眺めながら、頭の中で、私がもしもの時にあのペットショップに連絡してくれる友達の名前をリストアップしていた。


 


 友達も年寄りばかりだから、何人かに伝えておかなくちゃ、忘れたり、私より先に逝っちゃったりするものね。


 


 でも娘夫婦にはなんて言おうかしら、私が死んだらここに電話して、猫を引き取りに来るからなんていったら、あの子たちどんな顔するかしら。


 


                                  おわり


 


 


 


 


 


 

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