令和三年(2021)

第漆夜 いもうと

 気楽さと寂しさの相半ばする一人暮らしの日常を一陣の春風が吹き抜けていったようだ。月初めからおおよそ一週間に亘って私の家に居候していた妹が帰ってから、もう一週間が経とうとしている。ようやく帰ってくれたとも思えるし、もう帰ってしまったようでもある……などと独り残された部屋の中で当座は感慨に耽っていたとはいえ、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を鑑賞して始まった次の一週間のうちにあれよとその痕跡や気配は姿を消して、今や変わらず日曜と混濁する月曜未明の静寂の中で眠られぬ夜を過ごすいつもの私がいる。次に会えるのは祖父の七回忌になるらしい。意外と早いぢやないの。

 事の起こりは義弟の転勤だった。新天地が海を越えた場所にあるということもあって、妹は仕事を辞めて夫と伴う決断をし、二月末で住まいを引き払うことにしたまでは良かったものの、その仕事が三月までずれ込んだことは想定外だったようで、居候の件も直前に打診があったくらい率爾なるものだった。現下、軒並み宿泊料金を下げているホテルで数日ほど寛いで夫を送り出したしかる後、ともあれ妹は私の家にやってきた。そして彼女こそ我が「新居」に迎える初めてのゲストとなった。

 妹と私の仲らいは何やかや言ったところで幼時より極めて良好であったように思われる。それは恐らく、お互い真反対の性向を持っていたそのことがプラスに作用した結果ではなかったか。「とりかへばや」よろしく、所謂「じゃじゃ馬」気質で外向的な妹と、押しに弱く内向的な私とは、兄妹として凸凹と上手く収まっていたのかも知れない。加えて、妹がどちらかといえばスポーツが得意な、日に灼けた健康的な少女だったのに対し、私が勉強に活路を見出すしかない色白の虚弱な少年だったのも出来過ぎなくらいに好対照だったろう。何より、改めて思い返しても忸怩たるものを禁じ得ないけれど、二人の関係性について思い致す時に決まって脳裡を過ぎるのは、小学生の時分に初めてキャンプをした北海道での思い出である。夜陰に紛れてテントに闖入してきたコガネムシの鈍い翅音に怖じける私を妹は一喝するや、手近のタオルか何かを巧妙に振り回してコガネムシをテントの外に文字通り「叩き」出してしまった。端的にこのエピソードだけで二人の関係性を示唆するに十分だろう。譬うるならば、それこそエヴァのアスカとシンジの如くなのである。

 そういう訳なので、妹は会えば何かと私をおちょくってくることが常となっており、今回も家にやって来るなり本やインテリアや絵や照明器具など目聡く論評してはツッコミと質問攻めとで臨んできたし、驚くべきことに私の不在中にこっそりスパイス棚の写真を撮って自分のインスタグラムに載せてしまった――しかも「結婚できない独身男性のスパイス棚」として――と事後報告を受けた。その上、単身用オール電化の電気温水器ゆえに一日に使える湯量の限られるにも関わらず、まさしく「湯水」のようにお湯を使うし、とにかくあちこちの照明を点けては消さない……もうやりたい放題(と注意したら「ケチだ」と詰られた)。挙げ句に、概ね我が蓬屋の観察を終えた妹は「丁寧な暮らし系のYouTubeでも始めれば」と宣うのだった。

 敵わない。いつもそうだった。私はある時期まで、妹に「強い」という印象しか持っていなかった。何となれば、第一、幼少期を通じて私と喧嘩して妹が泣いた記憶がないし(兄たる私も当然、泣いたことはない。念のため附言する)、それどころか牙を剥いてくるのは決まって妹だったのだから……。だから「大人」になった妹の涙に触れた時、何か見たり聞いたりしてはいけない禁忌に触れてしまったような錯覚に私が陥ったのは無理からぬことであったろう。それは二度しかない。一度目はまだお互いが学生と院生で、同居していた頃のこと。失恋した妹が深夜にトイレで啜り泣いている声をたまさか聞いてしまうという、私にとっての「不運」があった。そして二度目は、妹が社会人になって数年を経た頃、仕事の悩みを聞いて欲しいと呼び出されたお店で一筋、頬を伝った涙の流跡であった。その頃、すでに妹は結婚前の義弟と同棲していたというのに、その恋人ではなく兄を選んで相談してくれたという事実は私を舞い上がらするに足りた。張り合ったところで私に勝ち目はないのに、実に愚かなことである。しかし、妹にこれをやられてしまうと兄はイチコロにならざるを得ないだろう。「大人」同士となってからの兄妹の真率な会話というのはその時が初めてだったから強く印象に残っている。ちなみに、その時のお店はもう何年も前に閉店してしまって今はもうない。

 一週間の居候中、妹はとにかく出掛けていた。仕事関係もさることながら、別れを惜しんでくれる人達と会うために。私の家には、居候前に宅配――その伝票の送り主の欄に記された妹の苗字が私のものと異なっていたことは、何がなしに不思議な感慨を催さずにはいなかった――で送ってきた自分用のエアベッドで眠る時だけ帰って来る体であった。何かと不如意な中で遣り繰りしたり工夫したりして、お別れを言いたい人達とはあらかた会えたようだ。エアベッドは、居候が終わったらそのまま私にくれるらしい。今度、来客があった時にも使えるようにと……何という理に適った判断だろうと思う。その辺り、何かと余分な金銭や労力を費やしてしまう私とは違って行動にそつが無いのは相変わらずだ。

 滞在最終日。兄妹が束の間の同居とあって、ここぞと母と祖母が電話を掛けてきて、私の新居の様子を妹に報告させ、私は私で暫しお別れする前の午餐にボロネーゼを振る舞った。例の「スパイス棚」のナツメグを多めに振ったボロネーゼを妹は随分と褒めてくれた。日常が俄かに祝祭の色を帯びた。

 出発の直前、私の淹れたコーヒーを飲みながらソファで寛ぐ妹がふと「色んな仕事してきたなぁ……」としみじみ、誰に語り掛けるでもなく独り言ちたのを私は聞き逃すことができなかった。そこには私のよく知っているはずの妹ではなく、確実にキャリアと年端を重ねた一人の女性の姿があった。仕事を辞めることについて、妹が実のところどう思っているのかは分からない。義弟は羽振りの良い職種でもあるので経済的な心配はないにせよ、知り合いの全くいない新天地で妹は人間関係を一から作り上げていくことになるはずだ。ただ、その点は義弟も気にしてくれているようで、新居は賑やかな都市部に定めて自分はそこから車で郊外の職場まで通うのだという。そういった心遣いは兄としても一等嬉しい。嬉しいと言えば、妹はいつの間にか山田詠美の小説を好んで読んでいたらしく、私の蔵書の中から何冊か未読の作品――『無銭優雅』『学問』『賢者の愛』あたり、それと文庫も数冊――を持って行ってくれた。さなきだに膨れているキャリーケースに丁寧にそれらを荷造りしている姿を見ると、やはり可愛い、と思えてしまう。小説が、一先ずは無職となる妹の無聊を慰めることを願って止まない。

 親族であったり、かつては親しい間柄であったりしても、日常を共有しなくなった者同士の会話は、近況報告の尽きて後、得てして使い古された思い出話をなぞるしかなくなってしまうらしい。勿論、語り合える過去、共有する思い出があるということ自体、それはそれで貴重なことではあるのだろうけれど、何度も何度もなぞる度に思い出も摩耗してしまうからこそ、今回の居候が妹と私との間に澱んだ時間を些かなりとも揺り動かした新しい思い出として「あの時は……」と語り得るものとなっているであろうことが次に会えた時の楽しみではある。

 ……などと思いつつ、年度末の書類作成も一段落して新たに始まる一週間は二日間だけ働けば良いという事実に心躍らせてしまっているから、この後、眠ることは難しいだろうか、否、早く眠りたい(ような、もう少し日曜の余韻の味わっていたいような)。


追記:

にしても、か弱い人が泣いていたら慰めてあげたくなるのに、「強い」はずの人に泣かれると一緒に泣きたくなるのは何故だろうか。

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