応援コメント

第玖夜 宝石商の鞄と金庫」への応援コメント

  • 行人さま

    お散歩にはミネラル入りの麦茶をはじめとした水分必携の時季が訪れておりますね。御存知かとは思いますが、気圧変化の他、脱水も偏頭痛のトリガーになるそうです。そう云えば私は閃輝暗点に前後して、凄く咽喉が渇いたり空腹をおぼえたりするのですが、行人さまは、そんなことありませんか? 歴史上の偏頭痛患者として名高い芥川龍之介さま、そして夏目漱石さまも男性ですが、実際には男性に少なく、女性に多い頭痛の種類ですよね。男女を問わず、つらいのが偏頭痛。偏頭痛のエッセイが書けそうな私ですが、無理は禁物。今は止めておきます。
    お互いに気を付けて過ごしましょう。

    「御青」は、不変の緑、超絶の美という意味なのですね。新緑の季節に似合う単語です。葉っぱがメイラードの色を醸す時季を好む私ですが、蒸し器での燻製は繰り返さぬよう、重々気を付けます。
    時間による「濾過」が思い出を純化する……一般的に思い出が綺麗と云われる理由が此処にありそうですね。今の解釈が懐古と反応することを「メモワール反応」と名付けましょう!

    「芯の強さ」を「美学」として纏っておられた大叔母さまも魅力的なオトナですが、そのパートナーさまも、さすがと云いますか、独特のキャラクターを保持しておられたのですね。重箱のような鞄に詰まった宝石の煌めき、その鞄の軋む音、彫刻の手触りのように伝わってまいります。そして、行人さまはサードニクスの月生まれという豆知識を仕入れました。
    行人さまの少年時代の目線が光りますね。Tおじさまの所作が「大仰で子供染み(ているように私の眼には映っ)た」ところ、その表情に「能面のような澄まし顔」を見受けられるところ、凄い観察力です。と申している私も、人の本性を見抜く目は幼少時代のほうが冴えていました。母に「あのお医者さん、嫌い。絶対、悪いことしている人だと思う」と云った数ヶ月後、そのお医者さんは横領罪で新聞に載っておられましたから。以来、母に巫女扱いされ……と云うのは冗談ですが、怖いコドモだと思われていたことを、オトナになってから知りました(サルベージ、お聴しくださいませ)。Tおじさまの意味深長な御手紙、さまざまに思い巡らせることができますね。溢れるメモワール反応、本領発揮を楽しみにしております。

    関係が長くなるほど「みっともない」面を露呈してしまうのは人間の性でしょうか。私など既に尊敬する行人さまにボロボロと恥を溢し過ぎているのでは、と危惧しております。
    勝手な推察ですが、Tおじさまたちのように、あえて別れを択ばれるオトナは、これ以上、お互いの「みっともなさ」を悟られぬよう、スタイルを保持するために別れるのかもしれない……なんてことを幼い領分から失礼しました。

    オフィーリアのめざめを悦ばしく思ってくださり、ありがとうございます。予約投稿なる機能を使い、本人は不在気味ですが小説は更新されていく。不思議などと思いつつ、たゆたうように此処に居る気楽さに、ひたっております。

    NHKの「100分de名著」では今月、『金閣寺』を特集中なのですね! 数ある三島文学の中、一人称で書かれた小説が『金閣寺』と『仮面の告白』だけという事実、行人さまの御言葉で初めて知りました。永遠と束の間の共存が見えます。それは生と死の関係性に繋がりますよね。

    左目から、ひとすじの流涙かと思えば流血でした。他愛無く麦粒腫に罅が入ったのです。これは「麦秋至(むぎのときいたる)」前に「麦粒癒(むぎのつぶいえる)」の予兆でしょうね。はじけて以来、少しばかり調子が良いのですが、調子に乗り過ぎないよう気を付けなければ。

    でハ又、春永に(永遠の御青に立ち止まりたいと希う者は年中、この結びを用いても良いのではないかと思う今日このごろです)。

    作者からの返信

    ひいな樣

    この度も取り留めのない「メモワール反応」にお付き合い戴きまして恐縮です。またお返事、遅くなってしまいました。ごめんなさい。

    ここ数日は雨がちで、窓を開けても換気どころか逆に生温い空気に押し入られてしまい、ふと見遣ったハイグロメーターの数値が70%近くまで上昇しているのに気付いて慌てて除湿すること度々です。もう散歩中の人には水分補給が必須な時季だのに、逆に過ぎたる部屋の水分にはお引き取り願わねばならない時季……ただ、湿潤とのお付き合いの難しくなれば、それを暫し忘れさせてくれる麗しき「花紺青のご婦人」も追っつけお見えになることでしょう。

    偏頭痛の予兆は、私の場合、概ね台風など気圧の変化によるものが殆どなのですが、確かに先月の頭痛の前後に喉の渇きがありました。久し振りにガムを購入したくらいです。経験上、喉の渇きは私の中で花粉症やネブライザーと「親和性」が強く、偏頭痛と結びつくことがこれまで無かったのです。実は年々、偏頭痛に見舞われる機会が増えてきていることでもありますから、今回はもしや「新たな扉」を開いてしまったのかもしれません……喉の渇き、私はてっきり紅茶の飲み過ぎとばかり思って油断しておりました。最近「きつき紅茶」という美味しい大分県の紅茶を戴く機会がありまして、自宅でもつい一度に三杯くらい飲んでしまう日が続いていたのです。そんな貪婪な(笑)私ですから、「今は止めておきます」の「今は」の意味を何時も乍ら曲解しつつ、ひいなさんのお書きになる偏頭痛のエッセイで大いに啓蒙されたいな、などと思ってしまったことを此方こそお許し下さいますよう。
    「無理は禁物」といえば、無理の利くこそ「御青」の春の特権のように思えてきました……否、「無茶かも知れませんが、無理ではないと思います」というアニメ版エヴァのミサトさんの科白も聞こえて参ります。殆ど眼られず迎えた今朝は、身体の不調に反していよいよ時間の「濾過」による思い出の純化が絶好調のようです。来月初めに実写映画が完結を迎える「るろうに剣心」、JUDY AND MARYが歌ったアニメ版OPの「そばかす」にも、思い出がいつも綺麗であるとの歌詞があったことまで思い出されました。

    さて、終ぞそう呼ぶことはありませんでしたが、「Tおじ」の独特のキャラクター、読み取って下さいましたこと嬉しいです。「大仰で子供染み(ているように私の眼には映っ)た」Tおじのことを自分の「仲間」のように思っていたところに、ふと浮かべられる「能面のような澄まし顔」は、コドモの眼にどこか為体の知れぬ恐ろしさを以て迫るものがありました。この振幅が私や妹を惹き付けて已まなかったのだろうと今は思えます。
    にしましても、ひいな巫女様の予言、お美事ですね。よく「七歳までは神の子」といいますけれど、それ以降のコドモも暫くは「半神」くらいの存在ではあるのかもしれません。「記憶の集合体」になる前のコドモは「感性の集合体」として、研ぎ澄まされた感性(霊性?)だけで世界と対するからでしょうか。私がTちゃんに抱いたように、コドモがオトナを「怖い」と思うのと同様に、オトナもまたコドモのそういった部分を「怖い」と思うというのは面白いことですね。

    「私など既に尊敬する行人さまにボロボロと恥を溢し過ぎているのでは」……何と何と、何年も完結させていない雑文を陳列し続けて憚らぬ私こそお恥ずかしい、というよりもはや厚顔無恥まで逢着したずうずうしさ、今一度、省みなければなりません。畏れ入ります。それよりも、尊敬するひいなさんから頂戴しましたご高察、「みっともない」面を露呈してしまうことに開き直るか、あくまで自分のスタイルを保持する「美学」を貫くか……なるほど肺腑を突かれました(御自身の「美学」を貫かれた田村正和さんの訃報が伝えられたばかりということもありますので)。現在、約2分に一組が離婚しているというこの国で、大叔母夫妻は後者を選んだのだと思えば、私も少し慰められるような気も致します。折々にお優しいお言葉、本当に有り難うございます。

    オフィーリアが日々めざめていく度に、私が過去に御作に「投函」したお手紙も甦ってくることワクワクしております。やはり御作を一度しか読まないのは勿体なさ過ぎますね。再読に堪える文章というものを私も物したいものですが……。

    中々に強太かった麦の粒にもそろそろ「年貢の納め季」が間近く迫っているのですね。引き続きご快癒をお祈りしております。あ、リモートワーク開始まであと1時間を切りました。それぢや又、春永に(とは本当に通年で使いたい書留文言、でも使い続けていると「いつまで経っても春じゃあ、老成できないじゃない!」と「花紺青のご婦人」からお叱りを受けてしまうでしょうか……笑)。

    編集済