応援コメント

第伍夜 お別れのレッスン」への応援コメント

  • 段落下げは、こういうネット系ではあまり意味をなさないので、
    行を一行空けて貰えた方が読み易いです。

    内容は良いし、おっしゃってる事も納得できるのですが、
    PCで読むと凄く読み辛いのです。
    原稿用紙のルールはネットとは相性が良くない様で…。
    続きも読ませて頂きます。

    作者からの返信

    白狐姫と白狐隊 樣

    お返事が遅くなりまして大変失礼しました。
    以前にもコメント頂戴したことありましたね。また遊びに来て下さり嬉しいです。

    この度はリーダビリティについてのご指摘、頂戴しまして有り難うございます。web上における書式といいますか筆記法については侃侃諤諤、諸処に議論の惹起する問題でもあるようで、私も夙に興味を持っておりました。

    如上、一筋縄では行かない難しい問題のようですが、こと拙文に関しては、仰るように慥かに一行空けをもう少し多用した方が読み易いとのご指摘その通りかも知れません。夜の手慰みに物する漫筆であるということに加え、私などはヨムにもカクにも、とかく高密度の文章を好む性向であるため、そういった個人的な好みがそのまま拙文にも反映されているのだと改めて思い知らされた気が致しますが、ともあれ、内容というよりもレイアウト的に「読み辛い」、しかもそれが、本来であれば気楽な読み物であるはずの「エッセイ」であるというのは何やら残念に思えてきますね……。

    高密度の文章を拙文の個性として好んで下さる読者の方々もいらっしゃいますのでドラスティックにとは参りませんが、頂戴したご指摘を踏まえまして、新たにアップする際に文字密度の「按配」はいま少し工夫してみようと思います。

    逆にそのように読み辛い拙文、それでもご高覧下さっていることに改めまして御礼申し上げます。


  • 編集済

    工藤様、待望の随想録『第伍夜 お別れのレッスン』の更新、ありがとうございます。随想録カクカク詐欺事件の捜査が解決に向かわれた末、運命の月曜日の更新ですね。お疲れさまでございます。

    「モノは思い出と繋がるための回路だのに、人は総てのモノ=思い出を抱え切れない」……仰るとおりです。年末に差し掛かり、大掃除に着手しようとする私にも、抱え切れない思い出を処分する、ひとつの機会が訪れているのでしょう。
    過去崇拝者を自認する者には、過去に生き得る「モノ」の整頓、頭を悩ませるところです。「感傷」をいなす術。工藤様を見習いたいところです。化石になる前に手を打たなければいけません。
    いとおしいはずの「本」が「荷」に感じられた御心、お察しします。手離した本にうしろめたさを抱えるお気持ち、引越し業者の作業員様たちのテキパキとした生命活動を見守るお気持ちもまた、お察しします。
    「少人数で会えば心地よい食事の席が、多人数になると俄然鬱陶しくなってしまう」という喩えから、沢山の「思い(重い本)」と対峙された現場の形跡が伝わりました。
    「本棚は人生の縮図」ですね。手に取った本を読んで生きていた、あのころの自分を思い出せるのですから。

    さいごに、過去と繋がる回路としての「人」という存在、ありがたいですね。
    「思い出していたよ」という言葉の何とも、あたたかい余情が残ります。早く会えるようになるといいですね。
    素敵なレッスンをありがとうございました。おやすみなさいませ。

    作者からの返信

    宵澤樣

    運命の月曜日、お待たせしておりました「随想録カクカク詐欺事件」の中間報告に早々にお目通し下さいまして有り難うございます。後編が「来週もお楽しみに!」などとならないようにしたいものですが、何やら身辺がきな臭くなってきたような……流石は年の瀬です。

    幸いと云うべきか、私などはこの度の引越しですでに大方「お別れ」果せてしまった感がありまして、指して掃除すべき場所も見当たらないことですから、今年の大掃除は例年に比して心身共にゆうたりとできそうです。過去崇拝者の大掃除は得てして「大懐古(回顧)」の時間となりがちでしょうが、宵澤さんも呉々もお気を付け下さいますよう(笑)

    それから、引越しに係る取り留めの無い所感に心中お察し下さいまして、こちらも有り難うございます。思い出の中には、高校時代に毎日のように使っていたはずの下駄箱(今は「靴箱」と呼ぶのが主流だそうです)の位置のように、もう思い出せないし、思い出す必要も無いものが確実にあるようだと、この度の引越しを機に実感しましたが、「感傷」をいなす術を身に付けることは、やはり感性の鈍磨、鈍くなることと表裏一体のような気もして、善し悪しは相半ばするでしょうか。難しいところです……。

    新居まで「生き残った」本達ですが、使用済みの段ボールを早く業者に引き取りに来て貰いたくて、とにかく本棚に大雑把に収めてしまったせいか、今は目当ての本が直ぐに見つからないという「後遺症」に悩まされております。なまじブックカバーなどかけておりますと大変……自業自得ですね。収められている本の中身もそうですが、私の場合、既に総ての本棚を視界に収めることが出来ないという点においても、「本棚は人生の縮図」とは中々に含蓄のある言だなと首肯したくなります。何処かの本棚に眠っている、忘れられた「自分」の姿を発見する楽しみが今後は出来そうですが、とまれ先ずは行方不明本の捜索もしなければなりません。宵澤さんの本棚にはどんな本が並んでいるのでしょうか。月彦君の本棚には錚々たる文学作品が並んでいるようですが……。

    仰る通り、過去と繋がる回路としての「人」は大切にしたいもの、年の瀬など大勢で会う機会の多い時節には(今年は中々それも叶いがたいようですが)、「過去崇拝者」とは行かないまでも、多かれ少なかれ人はそのように思うものかも知れませんね。

    様子を見つつ、また御作にコメント書き込みに参上致します。ソレヂヤ。

    追伸
    行方不明「者」の中に、アナナスとイーイーがいました……。

    編集済