第7話

「すまない、シバ、待たせてしまって。色々調べてみたんだが先ほどのお前の豹変に関することだがあれはおそらく"ブラーフマ"と呼ばれるものだと思う。ブラーフマとは自分の中にある他者への憎悪に溺れてしまう状態のことを言う。お前の場合は一時的なもので完全なブラーフマとなったわけではないがこれから先なにがあるかわからないから何とも言えないというのが現状だ。」


「完全にそのブラー何とかになったらどうなるんですか?」


「憎しみのままに破壊と虐殺の限りを尽くすと言われている。一応人間としての自我は残るみたいだがもはや人間とは呼べないだろう。強いて言うなら魔族という部類になるだろう。」


「魔族ですか?魔族って何か人間に危害を加えたりしてるんでしょうか。むしろむやみに虐殺してるには人間に方だと感じるんですけど。」


 教官の発言に対しシバは少し不信感を覚えた。恐らくアイに自分の過去について聞かされたことが大きいのだろう。ゆえに語気を強めて言った。


「魔族側からしたら人間こそ悪の根源と思われても仕方ないと思うのですが。"昔の保護区の魔族の大量虐殺"、それに"異端魔法士の討伐"、あの出来事は人間の欲望とゆがんだ正義が引き起こしたものです。そのせいで一体どれだけの魔族が命を落としたと思ってるんですか?そして、人間も、、」


過去の記憶を見たシバは学院である程度信頼していた人物の言葉、そして思想がひどく悲しいと感じた。そして魔族は殺すべき対象であると思っている国、ましてや目の前にいる教官ですら間違っていると感じた。そんなシバの過去、そして思いなど知らない教官はシバをひどく責め立てた。


「シバ、今の発言はいつものように聞かなかったことにしてやるとは言わない。なぜなら憎むべき魔族ではなく人間が悪と言ったのだ。これは学院の禁則次項どころか国の国法違反で異端思想の持ち主と言われ正当な裁きを受けてもらう必要があるぞ。それに魔族こそが悪の根源だ。奴らの体を流れている血は我々人間に対して様々な悪をもたらす。奴らがいる限り我々人間の世界に悪が存在するのだ。人間の悪の根源は魔族であろう。ならその根源をつぶすことが人間社会の平和につながることは自明である。」


 教官は鬼気迫る表情でシバに近づき言った。さすがにいつもの凛々しい教官とは違い何かにとりつかれたような豹変ぶりにシバも後ずさりせざるを得なかった。

その様子に我に返った教官はコホンと咳払いしいつもの教官に戻った。


「すまない、つい自分の魔族に対する憎しみをお前にぶつけてしまった。確かにお前は国法違反の発言をしたがお前がそのような人間ではないことなど私が一番よく知っている。お前の好奇心にはいつも振り回されてばかりで全く困るよ。」


(別に本心から思ってることなんだけどな、けどここは面倒になりそうだし、またさっきの調子でしゃべられても怖いし。)


「教官、何かあったんですか?」


 シバはただならぬ教官の豹変ぶりが気になり聞いた。


「私の両親は魔族に殺されているんだ。特に何かしたわけもなくな。突然だったよ、目の前で母親の頭が吹き飛び、怒り狂った父親は容易く魔族に四肢を切られなすすべなく殺されたのだから。他にもあるぞ。遠征訓練で魔族に遭遇した私の友人は魔族の血を大量に浴び気が狂ったように私たちに襲い掛かってきたんだ。彼は同じ教室で学んだ同士を何のためらいもなく殺したんだ。」


「だから、私は魔族こそ憎むべき悪だと思っている。私のように魔族に私の大切な家族、仲間を殺されるような人間が出ないようにしなくてはならない。私が教官になったのはこの国の、世界の平和のためなんだ。」


 教官は先ほどの鬼気迫る表情とは異なり落ち着いていた。しかしその瞳にはゆるぎない決意の色が見えた。ぽつりぽつりと紡ぐ彼女の言葉がシバの胸にぐさりと突き刺さる。

 そしてねっとりと彼女の言葉の一つ一つが頭に残り侵食していくように感じた。 シバの国や学院に対する復讐心をむしばみ逆に魔族への憎悪を植え付けてくるようだった。


(なんだ、何かが頭に侵食してくるみたいだ、、)


「だから、私はお前が心配なんだ。周りから無能と言われ続けたお前が悪に染まってしまうことが怖いんだ。私はお前がどんな人間か知っているからだ。どんなに魔力が少なく無能と罵られてもお前には物事の本質をとらえる思考力がある。それはお前が他のだれよりも秀でている才能だ。その思考力はきっとお前の武器になる。だから魔族の声にそそのかされずに自分の力を信じてほしい。これが私の願いだ。」


 教官の言葉はシバが両親の仇を打つと心に誓っているにも関わらず、すっとシバの心に響いた。彼女の表情は穏やかで優しい笑みであふれていた。

彼女は魔族への憎しみと同じくらい平和を求め、仲間を愛し、そしてシバのことを思っていた。たとえどんなに無能であっても見捨てることはない、そういった思いが読み取れるほどに彼女の言葉は温かいものだった。

自分の境遇の違いでシバと教官の思いは対立してしまっている。シバにはこの対立がとても苦しかった。こんなにも自分のことを思ってくれた『人間』はこの学院に入ってから初めてだった。それ故に自分の気持ちに揺らぎが生じていることも酷く痛感する。

自分の選択は果たして正しいものなのだろうか。シバにはこの疑問が残酷なまでに突き刺さる。


「教官、教官が今まで僕のことを気にかけてくださったこと改めて感謝しています。教官の過去に何があったか知らなかったとはいえ先ほどの発言に対して謝罪します。これからも物事の本質を見極めながら自分で考えて行動したいと思います。だからまずこれから行われる大会で自分なりの戦い方で必ず勝ってみせます。」


 シバには大会で頑張るということしか言えなかった。今まで唯一自分のことを見てくれていた教官に対してせめてもの答えだった。

正確には教官のような『人間』も含め国や学院に復讐するといった冷徹な考えに迷いが生じていた。まだシバは皮肉にも人間的であったということだろう。自分は魔族になりきれない人間なのだという現実を突きつけられたのだ。


「そんなに思いつめるな。お前ならできる。だからもっと肩の力を抜いてだな。そうしないと思いつくものも思いつかなくなって本末転倒だぞ。」


 シバが内心どのような思いでいるか知らない教官は言った。そしてシバを残して図書館を後にしようとするとふと立ち止まりシバの方に顔を向け言った。


「明日反省文提出だぞ。」


「、、え?」


「え?じゃないだろう。本来ならば国法違反の者には厳罰が待っているところを私が反省文にしてやってるんだ。ばれたら私の首が飛ぶ。忘れるなよ。」


 教官はいつもの笑みを浮かべ図書館を後にした。



「、、、あの人間は危険、シバくれぐれも注意して。」


 魔導書の姿から戻ったアイが図書館のドアを厳しいまなざしで見つめながら言った。シバは教官に恩を感じているから先程の教官の豹変ぶりや平和への強い想いもくみ取ることができるがアイには理解できないというようだった。


「アイ、さっきの教官の様子どう思った?俺は少しだけならわかる気もするんだ。それに一応あの人に恩も感じているんだよ。」


 シバが今までの胸の内をアイに明かした。


「、、、分かっている、シバは優しい。だから彼女のことで自分の気持ちに揺らぎが生じることも仕方がないこと。私はいつもシバのそばにいてどんな選択をしてもついていくと決めた。」


 アイの表情はいつも通り無表情で不愛想であったがシバがどんな道を選択したとしてもすべての力を使ってシバのために生きる。彼女の言葉から彼女の気持ちがはっきりとシバに伝わった。

たくさん悩んで苦しくても私がそばにいるから安心していい。シバの姉として生きてきた時間が長い分まだアイのお姉さん気質は抜けていない。もちろんアイには自覚はないが。



そして大会前日の朝シバに話しかけてきた女子生徒がいた。

彼女の名はキャリア・キネカである。眼鏡をかけたこのクラスの委員長的立場の生徒でクラスメイトからの信頼は厚い。そんな彼女がシバに話しかけるなど今の一度もなかった。そのため教室は朝から不穏な空気が流れていた。



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